見出し画像

詩) 舵

   舵

現在を詠うことを
僕は恐れていたのかもしれない
刻々と移動する客船の中を世界と呼ぶ―――
そのような僕自身について詠うことを
恐れていたのかもしれない

船べりから望む青い海は
この船を浮かべるだけのもので
それ以上のなにものでもない、と
詠うことを怖れてきた僕は
その虚言にしがみついてきた

この船の舵をとる者が見る海図に
陸の望めぬ進路を書き入れたのは
紛れもないこの僕だ
快適な眠りのみを求めて
揺られつづけるこの僕自身だ

甲板に出て見回しても
ただ、うねるような海原があるだけだ
しかし、本当にそれだけなのか
海図を今一度見てみるがいい
風の匂いを嗅いでみるがいい

太陽の運行
そして星の運行
それらを注視する―――
海図に点々と記された航跡
すでに何度も同じ地点を通っている

引出しの中に隠れているもう一枚
それを並べてみる―――
この方向に陸がある
おぞましい陸がある
本当におぞましいものなのか―――

僕は舵を切る
海はうねりを増し
舳先が空へ
そして波底へと上下し
僕はもみくちゃにされる

黒雲が嵐を連れて来る
疲弊し、磨耗した五感が
再び悲鳴をあげ
虚偽の永遠を引き裂き
死へと続く引き綱を掴む



燃えるような喉の渇きに
目が覚めたとき
熱く黄色い輻射が甲板を炙っていた
平板な群青色の海面には
微かな風しかなかった

船べりに手を掛け
彼方を見回すと
銀色に光るものが見えた
陸、だった―――
僕は舵を切る

じりじりと近づくにつれて
阿鼻叫喚に満ちたような高い軋りと
低周波の呻きのような唸りが
次第にどす黒さを増してゆく水の上を
まるで多足のムカデが這うようにして渡ってくる

無数の縄が投げられ
それを船に結わえ付けると
船はぐいぐいと引き寄せられてゆき
あっという間に接岸は終了し
渡り廊下が船端に掛けられた

ふらつくように僕は船を下り
僕は人工物の林へと歩き出した
予測のもとに創造された林
明瞭で、疑問の余地のない林
人々はそこで暖を取っていた

ふと振り返ると
今しも船が沈められるところだった
(これで僕も、歴史の一部たる現在の一員だ・・・)

          (2009.2.28)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?