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人による人の過大視

こんにちは、領です。

新月の頃、天の川を見ようと山の方へ行ったのですが、天の川は見えませんでした。それでも、町にいるときより、たくさん星は見えました(*^-^*)
山の方の地平線は星が見えるのに、町の方の地平線は、金星の1つしか見えませんでした。
光害って凄いです。確かに、宇宙から観たとき、夜側の日本列島は輝いています。
思ってみれば、今年、44歳!!
いまだに、天の川を見たことがありません( ;_: )シクシク
絶対、45歳までに天の川を見たいです。あと、アンドロメダ銀河とマゼラン雲も見たいです。

人による人の過大視について

確かに人間は認知の面で、圧倒的に動物より優れていると思います。時空や概念、観念、思考、感情の認識範囲が圧倒的に広いです。
日常を生きる分には、「人による人の過大視」は、気にしなくて良いと思います。
自然や『人』に対する、畏怖の欠如、放漫さ・・・、これらは、自然の循環に押し流されて最終的に落ち着くところに落ち着く気がします。

私にとって、「人による人の過大視」で、なにが問題かというと、

・人は、世界を創造することができる。世界を自由に選択することができる。
・魂が経験を求めている。
・人は、二元性の世界に自ら選んで生まれ、原初に戻っていくことを挑戦している。
・人間中心的な思考で、悟りを解釈してしまうこと。人が悟りに至ると思考すること。人が原初の状態に復帰すると思考すること。無名無形の焦点に対して仏身、一者、真我、など人由来の、人型のイメージを与えること。

『人』という情報自体が滅することが悟りの境地になるので、人中心に人型に、悟りに関してイメージすることは、悟りに対してのまっすぐな思考に覆いをかぶせることになります。

そして、これが最上のミスだと思う思考は、

・悟りを広めて人類の進化を促す。

進化を求めることが、悟りを求めることが、善であるという思考は、「人による人の過大視」だと思います。
愚かしさや世界の混乱と悟りの機運は、表裏一体で存在を顕します。
悟りの機運が落ち着いているときこそ、一応の平和だったりします。

今だけ金だけ自分だけ
生殺与奪の権に、究極レベルで圧倒的な格差がある時代
21世紀とは思えない卑劣な蛮行がまかり通る時代

こんな期間にセットで、悟りの認知が広まる構造を持ちます。

文明が本当に崩壊しそうなとき、いや、崩壊したとき、次の文明の種が芽を出すか、枯れてまた繰り返すか、どちらの世界も展開する構造です。覚醒を促すために災いがある訳ではないということです。

何が書きたいかというと、落ち着いた心で「悟り」を扱いたいということです。
進化、悟りとキラキラワクワクするよりも、物理的な構造として冷静で分析的な態度が必要だと思います。

悟りの智慧が、常識の期間が来ますように・・・。
認識の焦点は、【唯一・遍在】という構造を持つ、故に、全ての人生を『自分』が経験する構造になる。これが、数学的に示唆され、常識になりますように。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

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