太宰治「虚構の春」の前衛性。

短編が好きである。その原体験は太宰治の初期の短編群である。

中でも「二十世紀旗手」は全てが前衛的な恐るべき短編集である。

その中の「虚構の春」は何やら日記のような手紙のような、奥野健男氏の巻末の解説の言葉を借りれば実に風変わりな作品である。改めて読むと、発表された昭和12年頃の市井の人々の生活が今読むと非常に興味深い。

例えば以下のような下り。

「会社に入って1ヶ月半、君は肉体が良いから、朝鮮か満洲に行って貰いたいと頼まれました。」

…これ、当時の配属ガチャか(笑)。

それは冗談だが、本書を手に取ったのは高校生の頃である。帰宅時に寄っていた古本屋で買って、衝撃を受け、かなり夢中で読んだのを今でも思い出す。

当時、16、7の頃学生鞄に入れていたのと同じ本を、時を経た今、鞄に入れて読んでいることに少ししみじみしてしまった。

やはり太宰治の作品群、特に初期短編集は狂気を孕んでいる。

そしてその魅力を先程も述べた奥野健男氏が実に巧みに解説をされていて、頷きながら読むほどにのめり込んだ。邂逅とでも言うべき、本当に得難い読書体験だった。

「虚構の春」は本当に不思議な、奇怪な作品である。

新鮮な輝きを放ち続ける太宰文学の魅力に、改めて触れたい。

以上。

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