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少しずつ『当たり前』を取り戻していく。

何ヶ月ぶりかの美容院へ行ってきました。
数ヶ月に間に、いつも通っていた美容院は場所を移転。
色々と最新の設備が入れておりました。
何かと最新はすごいよなぁー。

『想・遊・共・育ラボ』楽しく遊ぶ!ayakoです。
(お弁当屋・保育士・ヨガインストラクターとして活動中)
子どもをお手本に生きる私のひとりよがりnote。
今日もよろしくお願いします。

自分で髪の毛を切ることは少し屈辱的だった

お弁当のお仕事が始まってから、お休みのない私は美容院へ行くことができませんでした。
やっと、日曜日の午後は比較的時間ができることがわかり、美容院の予約を入れたら・・・なんとまさかのそこに注文が入ると言う奇跡。
(今までこの日のこの時間の注文なんてなかったのに。)

でも、どうにかやるべきことを終わらせて美容院へ行きました。

長年にお付き合いの美容師さん(通称:boss)とお互いことの変化の経緯を話しながら、
「自分で髪の毛を切っていたんです」
というと。。。
「あぁーそうなったかー。大変だったねー」と痛んでいるところを切ってもらったら、20センチ切ることなって。
だいぶ頭が軽くなるました。
切った後・・・20センチって、だいぶ切ることだったのだなぁーと思ったけど。

パサパサな感じも。
バサバサな感じも限界でした。

美容院ってすごくて、1時間くらいで違う自分になれるのだから。
行った方がいい。
気分がここまで変わるのだから。
行った方がいい。

20センチがだいぶ私を縛り付けてた。物理的にさよならして、すっきり

話しながら、自分で髪の毛を切るのは本当に嫌だったことなのだとわかりました。
もう二度としないと思う。

ちょっと思い出すだけでも嫌だったなぁーって気持ちになる。
それは、自分でも最悪できないわけでないことはわかったのだからいいのだけど(自分で髪の毛を切ると言うこと)
それをするほどの時間のなさは、『おかしい』のだと言うこと。

髪の毛を切りながら・・・
私はここから『私』を取り戻していく。
みたいな言葉が降ってきて。
その都度労っていたし、全力で甘えさせてきたつもりだったけど。
やっぱり『おかしかった』のだなぁ・・・と。

常々、『自分を大切にする』ことを大事にしてるけどそれは『つもり』だったのかもしれません。
でも、『つもり』でもいいから取り組み続けることが大事で。
私とってはあの時、自分で髪の毛を切る と言うことが『自分を大切にすると言うこと』だった気がします。
でも、本当にやりたかったのか??
と言われれば、本当はやりたくなかったと言うことが、美容院に行ってわかったような気がします。

特に女の人は、誰かに『手』をかけてもらうことが、ものすごく大事になってくる。
だから、美容院 エステ などなどそういうお仕事が成り立つのです。
最悪、自分でできることを誰かに委ねる意味は
『自分を大切にしていると実感を感じる』
ことなのかもしれません。

だって、誰かがいなければ自分のことは見えないのです。
誰かが自分自身を労ってくれるのを見て、自分が労ってることも実感できるだなぁと
改めて、大切な場所だな と感じることができました。

当たり前にできていたことができなくなる。
その分、今までできなかったことができるようになっているのだけど。
私は、両方。大事にしていく。
時間は24時間しかないけど・・・今までの当たり前も、これからの当たり前も両方持っていきたいと思います。

しかも、もっと贅沢に。

あたらしい朝は、希望も朝。
今日も素晴らしい1日へ。
いってらっしゃーい。



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