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成功と失敗

その曖昧な境界線

成功 or 失敗。
人はある瞬間の状態・結果に対し、このどちらかで評価します。

ですが、世間一般で取り交わされるこの評価、成功と失敗の基準といいますか両者を隔てる境界線は、明確な様に見えて実はとても曖昧で、そして多くの場合、一瞬の刹那的な評価だけに終始しがちで、長い時間軸の視点からじっくりと評価されることはとても少ない、という特徴があります。

ある瞬間の評価に意味はない

在学中の成績など最たるものですし(よく考えると、試験成績だけで優劣評価をするなんて意味がなく、ナンセンスの極みではないかと)、製品の良し悪し、事業経営、そして政治決断もしかり。
中でも、人それぞれの人生について成功か失敗かを評価するなんて、はたしてどの時点で、どういう基準で評価できるのか、そもそもそうした評価に意味があるのか、私には判りません。

過去から現在、そして未来へと続く途切れない時間の流れの中で、全てが繋がり変化し続ける現実のある部分だけを、まるで静止画の様に切り取って良し悪しを評することは本質的に意味がないということを、私たちは自覚する必要があると思います。

新しい未来は失敗から生まれる

これまで3桁にのぼる世界中の起業家の方々と対話を重ねる中で痛感したことは、彼らが歩んだ道、悩み、情熱を知れば知る程、ある一瞬の姿だけに一喜一憂したり、ある段階の姿だけで成功か失敗かを論じるのは意味がない、ということです。

山の様な失敗…と申しますか、思いどおりにゆかない、うまくゆかなかった事を数知れず経験した末に、素晴らしい製品やサービスを生み出す方は沢山いらっしゃいます。いやむしろ、最初からずっと成功ばかり、一度も失敗したことはありません! 楽勝です! という起業家に会ったことはありません。

とても辛いこと、最も難しいことは、思いどおりにゆかないことばかりが続き、うまくゆく = 成功することは永遠にないんじゃないか…と思いたくなる時に、自分を信じ、自分を再び奮い立たせて、決して諦めずに、またうまくゆかないかもしれないことに挑戦し続けることです。
私は、真の優れた才能とは、この姿勢を堅持できるかどうかにかかっていると信じています。

世紀の発明の多くは、思わぬ失敗から生まれます。多分それは、世界の理を理解出来ていない私たちにとって失敗なのではなく、ある革新を生み出すために必要な、必然の過程なのだと思います。

何一つ確実なものがない、将来の完璧な予測が不可能な(不確実性に溢れた)現実世界の中で、神になり得ない私たちが未知のものに挑戦すれば、うまくゆかないことはむしろ自然です。

スナップショット的に切り取られた結果に対し、成功 or 失敗という二元論的な評価を下す癖を改め、もっとマクロに、そして長い時間軸の視点から捉え考える習慣を身につける習慣が必要です。
そして、うまくゆかないことを恐ることは自然な感覚ですが、それを避ける必要はありません。自分が望む、よりよい未来を掴むためには、恐ることを恐れてはいけないのです。

…と、久々に作ったカルボナーラの味がなんだか微妙な時、そう思って自分を慰めるのでありました(笑)。

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