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オープンであること


オープン : それはIT進化の原動力

私は、いつか携帯電話は、PC以上の性能をもつオープンなデバイスに必ずなる… 2001年に3Gが始まる前から、ずっとそう信じてきました。

ですので、かつてi-modeの仕様設計・開発にあたっていた中の者の一人でしたが、ことある毎にこう呟いていました。
いずれ(こういう特殊かつ独自仕様の)i-modeはなくなるよと。

自身が開発していた内容に正反対の考えでしたが、ある特定の関係者だけに閉じたクローズなシステムは、遠からずIT全体の生態系から排除されるとする世界観は、パソコンに初めて触れてプログラミングを始めた80年代から、ずっと揺るがずに抱いています。

通信の世界において、固定電話の世界が技術革新の中で取り残され、インターネットの世界が恐るべき速度で進化した理由はただ一点、「オープンか、オープンでないか」の違いであったと思います。

閉じた生態系は衰退する

あらゆる生態系の進化は、開放系の中で自由な競争を通じて適者生存の形で進んでゆきます。他との関係を遮断・排除する閉鎖系は、その進化のプロセスを歪め、ガラパゴスと揶揄される全体の生態系から逸脱した特殊な系へと分化し、行き止まりとなり、そして多様性を失い、やがて衰退してゆきます。

この原理と特徴については現在の自由経済システムにも十分留意され、独占的・優越的地位の濫用は健全な競争・進化を阻害するものとして忌避され、厳しい規制が加えられるのが常です。
勝者総取りは、システム全体の健全性を毀損し、必ず衰退を招くからです。

かつてPCの世界でも、OS分野で独占的・優越的地位を占めるに至ったマイクロソフトに対し、独禁法の観点からバンドル強制の禁止等、世界各国で厳しい規制が加えられ現在に至っています。これにより、Windows OSを用いるPC上でも、自由にソフトをインストールすることが可能です。
OSで独占的シェアを持つマイクロソフトは、自社OS上で動作するソフトの配信とインストールを独占的に制限していません。

私は、こうした自由な構造が、パーソナル・デバイスの世界でも構築されるべきだと考えています。その原則、哲学はシンプルです。
オープンであれ。
あらゆる可能性に対しオープンであれ。

様々なルールで縛り制御するクローズなシステム、閉鎖された生態系の管理は比較的容易です。前提条件を固定するため、不確実性の多くを消し去ることが可能であり、様々なリスクを回避しやすくなります。この代償として、その系の独裁者がルールを恣意的に決定・制御出来るため、意にそぐわない新たな革新は排除され、未知の可能性は容易に潰され、自由な競争を通じた適者生存の進化は消滅します。

私たちは神ではありません。
全てを「正しく」統べる力を持っている訳ではありません。未来は誰にも予測出来ず、世界は不確実性に満ちています。
その不確実性の中で、果敢に未知に挑戦することで、私たちの文明は進化しています。
この原理に逆らう、真逆の行為は改めるべきだと私は信じています。

スマホへのアプリ配信に関する課題

この考えに立ち、私はこう考えます。
国内市場で50%のシェアを超えるiPhoneには、Appleが承認したアプリをApp Storeからしかインストール出来ない、同様に市場シェアを二分し50%に近いAndroid端末についても、原則としてGoogleのあぷり・ストアからしかインストール出来ない、そんな独占的・優越的地位の濫用は改めるべきだと私は考えます。
(独禁法対象となる市場シェアの基準は20%超)

AppleやGoogleは神ではありません。私たちの未来に対し全責任を負うこともありません。であるならば、今や独占的・優越的地位を占めるに至った以上、市場の健全なる進化への道を広げるという意味で、現行のスマホに対するアプリのインストール制限を速やかに撤廃すべきです。

セキュリティの確保が必要であるが故に、アプリ配布は独占的運用が必要とする考えは誤りです。例えば、PCは確かにセキュリティ・リスクを抱えていますが、それを致命的なものと考え、マイクロソフトが独占制御すべきと考える人はいません。インターネットの基盤であるサーバーもルーターも同様です。

必要なものは標準仕様とオープンな運用ルール

必要なことは、社会基盤であるという前提に立ち、必要かつ適切なルールを定め運用することにあります。例えば電気、自動車、ガス、電話等、社会を支える重要インフラについては、その運用や仕様について「標準仕様」が定められ、オープンな関係者の協議により合意された運用ルールが整備・適用されることで、オープンな環境を維持しつつ、基本的なセキュリティも確保されている様に。

なぜスマホのアプリについて、そうしたことが出来ないのでしょうか?
はるかに極めて複雑で高度な3G/4G/5Gですら、長い基礎研究と協議を重ねながら国際標準が定められ、高度なセキュリティが担保され、そしてオープンな競争が維持されています。

世界統一は無理だと言われた90年代から、私はその携帯の標準化の世界で、仕様を考え、関係者と時に激しく対立・議論しながら、でも「誰もが、いつでも、どこでも使える携帯を作ろう」という夢と意志を共有したメンバーと共に、膨大な開発・調整・検証作業に従事した経験から、技術に決して不可能はない、必要なのは誰もが納得する哲学だと確信しています。

革新的テクノロジーのリーダーを自負するAppleやGoogleであれば、その優れた哲学をさらに磨き、関係者と共にあるべき、アプリ開発と配信に関するオープンな標準仕様を創ることが出来る。私はそう信じてやみません。

社会基盤としての整備

好むと好まざるとにかかわらず、もはや私たちの生活にスマホは欠かせません。これからさらに激変するデジタル化社会において、その重要性が高まることはあっても、これが不要とされることは(当分は)ないでしょう。
であるならば、これからの未来社会の進化の可能性を広げるためにも、オープンな環境の整備は急務であり、これは健全な経済競争と成長、そして社会秩序を維持する上でも重要な課題です。

以上の考えから、私は政府が提言する規制案(アプリ配信・インストールに関する独占的・優越的地位の濫用の禁止)は賛成であると同時に、その規制と運用ルールについては政府ではなく、民間主導の標準化団体で定められべきだと考えます。

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