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アントレプレナーシップとは


子供の頃の「夢」

小学校6年生の頃だったでしょうか、「将来の夢」という作文を書いた記憶があります。皆さんもきっと、一度はあるのではないでしょうか。
私が子供だった頃は(昭和時代)、「野球選手になりたい」と書く子が必ずクラスに数人いましたが、「起業します!」と書く子はゼロでした。戦前はきっと、兵隊さんになりますと書く子がいたことでしょう。最近はYouTuberと書く子が多いかもしれません。

子供が抱く将来の夢は、その時代・社会背景に大きく左右されます。
しかし、ふと気づくと、サッカー選手になる! 世界一のパン屋になる! 歌手になる!…と、既に「世にある職業」を書く子は沢山いますが、まだ存在していない「未知の何か」を想像し、僕はそれを創るんだ!と綴る、ある意味突拍子もない、空想豊かな子は殆どいませんでした。

そんな空想を抱く子は、今も昔もきっと沢山いたと思うのです。でも、こんなことを書いたら馬鹿じゃないかと笑われる、変な奴、おかしな奴だと思われる、仲間外れにされると恐れ、黙って仮面を被り、誰かに尋ねられた時には、本音を隠し、当たり障りのない夢を語っていたのではないでしょうか。

「われ童子の時は語ることも童子のごとく、思ふことも童子の如く、論ずることも童子の如くなりしが、人と成りては童子のことを棄てたり」

(新約聖書 コリントの信徒への手紙第13章 11-13節)

聖書にも書かれている様に、私たちは大人の階段を昇るにつれて、子供の頃の夢や、何ものにも囚われない、自由でワクワクするような空想を忘れてしまいます。
歳を重ねると、そんな自由な心を持っていたことすらも忘れてしまいます。

この箴言は、私たち現代人に対しても深く大切な真理を示しています。
なぜなら、激しく変化する時代の中で、不確実性を恐れず未知の可能性に挑戦し、あるべき未来を創造するためには、この自由な心が必要だからです。

起業が目的のEntrepreneurship教育

最近、Entrepreneurshipが急速に注目を浴び、教育現場への導入が加速しています。ですが、これまでEntrepreneurshipとは何かを探求し、どの様に学ぶべきか試行錯誤してきた私の目には、今の日本の理解と目的は、正直違和感というか、それは違うんじゃないかと思えてなりません。

残念ながら巷のEntrepreneurship教育の多くは、 目指すは「起業 “する” 精神の養成」と解釈し、起業数やIPO、時価総額や収益規模を、この教育の成果目標に掲げています。
Entrepreneurshipは、確かに起業家に共通する資質・マインドセットを含みますが、決して「起業家だけがもつ意識ではない」「起業するための精神ではない」という大事な点がスッポリと抜け落ちています。

それはワクワクする空想力と創造力

Entrepreneurshipの核は何であるか。
各所で様々な議論と定義がありますが、私は、
 「子供の心に抱いていたワクワクする様な空想力」
であり、同時に
 「それを現実のものにする創造力」
ではないかと考えています。

このEntrepreneurshipを先鋭的なまでに持ち続けているのは、設計者や芸術家です。両者の中でも、特に従来の枠を打ち破る先駆者たちは、狂信的なまでに本質を考え抜き、独自の、未知で特異な原則を編み出し、その完全な姿をどこまでも追い求め、貪欲に挑戦と創造を繰り返します。

でも、そうした革新者達も、長い長い旅路の果てに、ある共通のことを悟ります。
かつてピカソが、老齢の域になって
「ようやく子どものような絵が描けるようになった。
 ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ…」
と呟いた様に、彼らは皆一様に果てしない苦悩を重ねた末、子供には元々その豊かな本質が最初から備わっていたことに気づくのです。

Entrepreneurshipは、実は誰もが小さい頃に自然に持っています。
ところが、社会で成長する中で意識は均質な枠に嵌めこまれ、既存システムへの同調を社会から要求され続けることから、いつしか無意識のうちにEntrepreneurshipを心の奥底に封印し、やがてその存在すらも忘れてしまいます。

何をすればよいのか分からない。何をしたいのかが分からない。
無意識の内に心の中でEntrepreneurshipが解放されていた小さい頃は、そんな疑問とは無縁に、自らの精神を無邪気に、そして自由に遊ばせて生きていたのに、大人になるにつれて自らを縛りつけ、自由に夢みることも忘れてしまうことは、とても悲しいことです。

複雑に変化する不確実な現代社会の中で、自らの命を精一杯使い十全に生きてゆくには、このEntrepreneurshipを「教わる」のではなく、子供の頃の心を忘れず、より大胆に伸ばし続ける自律的な「学び」こそがとても大切だと信じています。
起業するとかしないとかは、実に瑣末な問題に過ぎません。

童の心を思い出そう

Entrepreneurshipで最も重要なことは、意識の奥底に潜み、自分自身も忘れていた、奔放で謎めいた「夢」を覚醒させ、その実現に向けて自身で行動し、独自の原理、設計哲学の創造に挑戦することにあります。

それは、複雑な思考方法でもテクニックでもありません。
世界を真摯に丁寧に観察し、極めて簡潔に何を大切と考えるのかの基準、自らの意志と行動を律する原則「プリンシプル」を考え、大胆に行動を起こし、囚われずに変化し続ける意識こそがEntrepreneurshipそのものだと考えています。

ほら、この気持ち、強く惹かれる夢、何かを好きで堪らない気持ち、無我夢中で創る楽しみ。そんな原始的でわくわくする意識を、いつの時代も子供の頃は誰もが持っていたのです。
きっとこの意識は、人が人であることの原点なのだと思います。
この原点の多様性を保ち、より良く伸ばしてゆく先に、人としての幸せがあると思うのです。

その意味で、Entrepreneurshipを学び考え続けることは、人として年齢や立場にかかわらず、全ての人にとって大切なことであり、未来を創造してゆく上で欠かせないものだと深く信じています。
Entrepreneurshipは、決して起業するためだけの精神ではありません。
私たちの誰もが持つ、生きて創造し楽しむ意識そのものなのです。

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