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すっげぇおもしろい未来に生きているから寛容になりましょう【不適切にもほどがある!最終話】

終わっちゃいましたね、ふてほど。
最後のテロップ「2024年当時のままを再現しました」の一文を見た瞬間に、やっぱりクドカンって天才だわ!って震えた。

最終回は見どころシーンの詰め合わせだったと思う。
喫茶店で付いたミートソースを拭ってくれた記憶が重なる瞬間は泣けたし、学校なんて1人や2人の気の合う友達ができたらあとは死ぬまで会わなくていい人たちだからという餞別の言葉も一理あるし、誰にも迷惑をかけていない趣味を咎めることは正義じゃないと思うし。

どんな落とし所にするんだろう?って思って観ていたけど、
最後はそうきましたか。

「やいのやいのと 申してきましたが
 とどのつまりは 老いも若きも
 寛容になりましょうよ!」

「寛容」とは、これまたとても上手い落とし所を選んだと思う。

ミュージカルでも歌っていたけど、寛容になりませんか?っていうのは
大目に見ること、多様性を受け入れること。
でも寛容と大雑把は違うし、寛容と甘えも違うこと。

言われてみると、なんだかとてもしっくりきた。

いや、たとえ大目に見ても、人を追い込むようなハラスメントとかジェンダーバイアスとか、ダメなものは絶対にダメだと思うけど、ハラスメントだということがハラスメントでありそれもまたハラスメントであるみたいな、よくわからない言いがかりハラスメントみたいなものは、お互いが少し寛容になることで回避できる気がする。

価値観を含めて生きていく上でアップデートも確かに必要だけど、サカエさんが言ってたみたいに、人はスマホみたいに片方がアップデートできなくても、もう片方が寛容になれば続けられる、というのはコミュニケーションにまつわるサービスの提供を生業としている立場としても、確かにね…と思った。

でも、どうやってアップデートしていけばいいんだろう?

気付いたら市郎が、部屋でタバコが吸えなくなって、ケツバットしなくって、部活中の水分補給を許すようになって、飲みニケーションが面倒になって、女だからってお酌しなくていいキモイやつにはキモイと言え!という価値観に変わったのは、過去と未来を行き来する中で身をもって経験するものがあっただけじゃなく、昭和と令和のヒト・モノ・コトの「違い」を受け入れることができたからだと思う。

あの市郎が「強制参加で同調圧力の飲み会で縦と横のコミュニケーションを語るな!」と一蹴するのを見て、受け入れることって、やっぱりすごく大事なんだなぁ…と思ったし、なんならその「縦と横のコミュニケーション」のフレーズは弊社の事業に密接な関わりがあるのでドキッとしたりしなかったり。(した)

2024年の世界とこれからで、多様性も、悲喜交々も、受けれて生きていくためには「寛容になりましょうか!」という心持ちがあるかないか次第かもしれない。

「お前たち、こんな時代に生まれて可哀想だな」って市郎が卒業生に贈る言葉を始めた時は、いやそれ同局の金八先生が聞いたら髪を振り乱して怒るやつだよ?とヒヤヒヤしたけど、大丈夫だった!

「でも安心しろ!お前たちの未来はすっげえおもしろいから!」

このセリフを聞いた時、昭和に生を受けた世代だからか、今までのことがまるで走馬灯みたいに過ぎってグッと来てしまった。

そうだよね。
文化も歴史も、子どもの頃に想像してなかった未来になるし、いろんなことが変わるんだよね。
ウォークマンがCDプレイヤーになったと思ったらMDになって、MP3で落ち着くかと思ったら、サブスクになってCDを買わない時代が来るなんて。
親に頼み込んで買ってもらったポケベルがすぐにPHSになって、着信音を自作してアンテナ光らせてる間に携帯に変わって長文メールができるようになって、気付いたら生活に必要なことは、ほぼスマートフォンで完結できる未来が来るなんて。

どんな時代であっても、その当時は「こんな時代に…」とマイナスのイメージで言われるけど、そんなのには耳を貸さなくてよし!
だって、未来はめちゃめちゃおもしろいから!
って言われたら、生きていくことを楽しめる気がするし、
想像もしない未来を生きていられることは、
やっぱりそれだけで奇跡なんだと思う。

年齢を重ねるごとに身体も脳も少しづつ衰えていくから、
今よりもっと受け入れることは難しくなるかもしれないけど、
だからこそ、もう少し寛容になってみようと思う。

すっげぇおもしろいはずの未来をこの目で見られる奇跡を、
当たり前だと思わないように。

そしてわたしも市郎とゆりちゃんみたいに、
帰宅後にヒーローインタビューごっこができて、
くだらなすぎて笑っちゃう人生を送りたい。


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