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大学受験不合格記(その2)

前回の書き連ねに引き続き、
第一志望から滑り止めまで不合格だった3月からの1年間を書いていこうと思います。

どうぞごゆるりと。

6月 「ベンキョウ」から「勉強」へ

自宅浪人を始めるにあたって、まずは入試当日までの綿密な計画を立てる事にしました。

いわゆる「逆算思考」と呼ばれる手法で、各科目ごとにどのような力が足りていないのかを、今までの成績から分析しました。

分析を初めてみると面白いもので、

その能力を身につけるのに最適な参考書は何か。
いつまでにそれを終わらせるか。

といったことが流れるように決まっていき、
それまで漠然と行っていた「ベンキョウ」が生きた「勉強」に変わっていく感覚がありました。

この計画をこなすことができれば絶対に合格できる。
それまでに感じたことのなかった合格の確信が芽生えた瞬間です。

あとは1年間これをこなすだけ…
自分のモチベーションは1年間保つのだろうか。

これが唯一にして最大の不安要素でした。

戦略的第一志望校変更

モチベーションが一年保てるのか。

ネットで調べれば、「途中で燃え尽きる」「途中でだらけてしまう」等、一貫して勉強を進められている例や第一志望校に合格しているという例がほとんど見つかりませんでした。

「普通にやっても俺はまた落ちるな。」

そう確信し、どうしたもんかと項垂れていたところで、
天を切り裂く雷鳴脳天直下、解決策が舞い降りてきました。

「第一志望を上げればいいのではないか」

今の第一志望を第二志望にしてしまえば、妥協の余地が少なくなり、結果としてモチベーション維持につながるのではないか、という小学生が思いつきそうな安直な考えです。

でも、自分の本心を偽って第一志望を変えることなんてできるのか
心のどこかで甘えが生まれるのではないか

普通に頭を使える人間であれば、そう思うのが普通でしょうが、

幸運にも私は頭があまりよく無かったので、
鏡に向かって毎朝

「僕の志望校はT大…僕の志望校は…」

と念じ続けていたら3日くらいで私の志望校はT大に変わっていました。

人間の脳は、思っているよりも単純なのかもしれないですね。

勉強開始

自宅浪人ということで、生活習慣から計画まで全て自分でこなす事になりますが、それがむしろ心地よく感じたのを覚えています。

高校までは
・決まった時間に学校に行き、帰る。
・言われた通りに予習をし、定期テストでそれなりの点数を取れば評価される。
・毎日決められたコミュニティ(クラス)の中で過ごす。

これが普通でしたが、ここからは自分の行動の裁量権は自分に委ねられる事になります。

やるもやらぬも自分次第。
この時、「自由には責任が伴う」という言葉の意味が少しわかった気がしました。

7月 大成功: D判定

6月に受験した模試の結果が返却。
第一志望 / 第二志望ともに最低基準「D判定」

ただ、悲しみの感情は全くありませんでした。

この一ヶ月で勉強した分野の大問では9割5分以上の正答率を出せており、
むしろうまくいっているという指標として受け取ることができたためです。

要するに、自分で考えた勉強方針がうまくいっていることの証明を得ることができたのです。

これが私の受験生活、最初の成功体験です。

8月 計画難航: B判定

最初に建てた計画通り、順風満帆には進まないことを思い知りました。

当初に建てた計画では一日15時間の勉強時間を取ることが前提となっていましたが、そんな生活を2ヶ月以上続けることなどできず、少しづつ遅れ始めていました。

8月に受けた模試は
第一志望大学の判定はC判定。
第二志望大学(現役で受験した大学)の判定はB判定。

これから鬼神の如く成績を上げてくる現役生のことを考えると、
あまりに心もとない結果です。

入試まで残り、半年。
この辺りから少しづつ心の余裕がなくなって参ります。

(続く)




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