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レモン味のキスと月夜のアーティチョーク


マンハッタンの島から出て一駅くらいの

Queensboro Plazaの駅で、黄色から紫の線に乗り換えるために一度プラットホームに降りて、

そうしてもうじき次の日になるような深い時間でも、絶え間なく動いている人達の間で私はずっと月を探していた。

みえるのは、Citi bankのよく目立つ高いビルの光だけで、
あとはあまり何も見えなかったし、いつもは五月蝿い各国の声もあまり耳にはいらなかった。

長い一日が終わって、私はずっと彼のことばかり考えていて、雲隠れした月を見つけられずにいたけれど、不思議と寂しくはなくて、そういうところが大きく変化して久しくなったなあと思う。


愛する人たちの為に久しぶりに料理をすると、ああ自分は何をどれほど好きで、何を幸せに感じているのかがよくわかった。


親友は、子供を欲しがっていた。

高齢出産はまったく珍しいことのないこの時代だが、治療や、やってこない何かを待つプロセスはとても、忍耐がいる。

欲しくて欲しくて仕方がないものでも、なにかが手に入らないときに私たちがどう”幸せ”に向かって立ち振る舞うかの真価が問われる気がする。

ささやかなこの手と私の全てを懸けて、彼らにギフトが訪れるようにと祈って、私はそこにある野菜全てを愛に変えて帰った。


思うに、食べることに関しては本当にきまりなんてものはなく、そうしてこのあいだ私を拾ってくれたレストランの韓国人のボスが、菜食について、ベジタリアニズムについていかに強い信念を持っているのかを語られても全くぴんとこずに、

”好きなもん食やいいんじゃね。”と思いながら黙ってその韓国語訛りの英語を右耳から左耳に流したのを思い出した。

自分の身体のことは、自分が一番よくわかっていて、どれほど大量の情報に人々が振り回されているかなんてことはベジタリアンだとかに限らないし、今に始まった事じゃないけれど、まあそれぞれの哲学が存在していてそれでいいんだろう。

わたしなんてのもとても曖昧で、菜食についてのあらゆる方法もひととおりざっと流して今ここに、マンハッタンの地下鉄の7線に、ときどき1番の電車が突然道を間違えて走ってるくらいに、とても柔軟にしている。

根詰めてこうでなければいけない、ああでなければいけないと、没頭した息の詰まるような時期もあった。


何となく思いついて夜、古いアドレス帳をupdateしてゆく。

そのむかし交わった人達や、新しい糸で繋がっている人たちをちゃんと整理していって、消したり付け加えたりしたら自分の変遷を辿れてたのしい作業だった。

ずっとずっと前に一晩出会ったばかりのひとと短いセックスをして、それっきり二度と会わなかった人とかの名前を見つけて、どんなセックスだったかとかを思い出したりしていた結構暇な、夜中とか。

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