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海外生は学習深度を浅くしてはならない!

海外生の一番のアドバンテージは言うまでもなく海外体験を持っていることです。この海外体験があることと学習の深度を天秤にかけて、海外体験を優先するということについては実はじっくり考えなければなりません。

まず、海外で暮らすこと=海外体験となるのかという点について考えてみましょう。

難しいところではあるのですが、イエスでもありノーでもあるような気がします。

もちろん、日本とは違った環境で暮らしているので、意識しなくても見るもの体験するものも異なってきます。それは、貴重なことであり、日本国内にいては体験できないことです。しかし、見たから体験したからと言って、それが血になり肉になるかというと、また別の話でもあるわけです。貴重な経験にするためには、その体験を言語化していくことが必要になってきます。

例えば、2019年に香港で大規模なデモがほぼ半年に渡り繰り広げられ、政情がかなり不安定な状態でした。

実はこの渦中に香港で生活していた子どもたちは、とんでもなく貴重な体験をしていることになります。

しかし、この歴史的とも言える出来事の中で、何を見て、それをどう考えていくかは、実は自分次第となってきます。

もし、「デモは怖かった」「デモは危険だから近づかないようにした」という感想しか出てこなかったのであれば、それはこのデモの嵐が吹き荒ぶ香港を体験したと本当に言えるのでしょうか?

中学生以上でしたら、ぜひなぜこれほどまでに大規模な抗議活動になったのか、その中で香港はどう変わっていくのかということを考えて、言語化していく必要があったはずです。

また、小学生中高学年であれば、保護者あるいは大人が意義を問いかけ、ある程度は抗議活動の真実の姿(正の面も負の面も)を見せて考える機会を与えるべきだったはずです。

これは少し極端な例でしたが、このような体験をしているからこそ海外生の強みが出てくるのだと思います。

では、学習の深度について考えてみます。
仮に海外体験を数値化してみます。色々な体験から経験値5ptsを獲得したとします。

しかし、海外にいるので、いろいろなことを見てみたいということで、日本にいたなら本来やっていた学習の負担を減らしたとします。学習の深度も数値化してみます。日本の学習深度と比較してマイナス5ptsとなったとします。

そうすると、天秤にかけた場合、プラスマイナス0という結果になってしまいます。

これだと、本末転倒ではないでしょうか?
もしかすると、海外体験を海外にいるということに置き換えてしまっていたら、ただただ学習深度のマイナスだけが残ってしまう結果にもなります。

入試ということを鑑みた場合、確かに帰国生入試というものが存在し、国内生とは別の基準での判定となる学校も多く存在します。

「帰国生は優遇されている」

確かにそうですが、本当に学習深度を浅くして対応できるものなのでしょうか?
日本にいたら本来はやっている量の学習をしなくても、優遇してくれる制度なのでしょうか??

ほとんどの場合、そんなことはありません。

ですので、海外生であったとしても、決して学びの深度を下げるべきではないと思うのです。

海外生活はぜひともエンジョイしてほしいと思います。
しかし、そこに海外生であることの「学び」がなければ、アドバンテージは生まれないのです。