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『鶴かもしれない2020』その音楽について

『鶴かもしれない2020』の見どころを挙げる上で欠かせないのが、音楽だ。これまでも悪い芝居の岡田太郎とタッグを組み、音楽の力を使って作品をより強く印象づけていたけれど、3度目の上演となる今回はまたひと味違う。

まず大きな変更点として、今回は、小沢道成自らが歌う場面が途中に挟まれている。

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女が愛した男は、売れないミュージシャン。彼がつくった楽曲を、女が歌唱する場面が新たに追加された。詳細は見てのお楽しみにしておきたいのだけれど、これがすごくいいのだ。タイトルも歌詞も全然ハッピーじゃないのに、メロディは明るくて、サビのところなんて一発で覚えられるぐらいにキャッチー。そのギャップがなんとも愉快で、手拍子を叩きたい気持ちになりながら、もう一方で古傷が疼くような痛みがチクチクと突き刺さる。

イメージとしては、中谷美紀が主演した映画『嫌われ松子の一生』が近いかもしれない。週に1度、水曜日にやってくる愛人を待ちわびる気持ちを歌ったナンバーは、陽気さが空回りして、悲劇の予感を引き立てていた。小沢道成の歌う、幸せなのにどこか哀れな女の姿は、それを彷彿とさせるところがある。

小沢が岡田に出したオーダーは「ミュージカル調」というひと言だけ。岡田はそのひと言から最大限にイメージを広げ、ぴったりの楽曲をつくってきた。「ひとり芝居」という単語が醸し出す高尚さや静けさとは真逆の、ポップでファンシーな場面になっている。

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そんな新曲を引っさげ、その日の稽古では、岡田太郎と共に音楽面の細かい打ち合わせが行われた。

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パソコンを2台並べ、ふたりの間で軽快なディスカッションが繰り広げられる。

特にさかんに意見交換が行われたのが、オープニングとエンディングで使用する楽曲だ。前回はハードなロックサウンドで観客を打ちのめすことで、しばし呆然とするような幕切れとなった。

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それを新演出ではがらりと変える。小沢と岡田が選んだ曲調は、これまでとまったく趣向が異なるものだった。

なぜ楽曲の雰囲気を変えようと考えたのか。それは、年齢を重ねる中で生まれた小沢道成の演劇観の変化が大きい。

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「4年前ならもっとパンチがあってインパクトがある曲がいいと思ったと思う」

そう当時の自分を振り返る。これまでの、もっと若い小沢道成なら、ラウドなロックで観客を一気に非日常へかっさらうことに醍醐味を見出していたのだろう。けれど、34歳になった小沢道成は違う。

日常から非日常へゆっくりと移ろっていくような曲で始めたい。そう演出意図を説明する。そして最後も、盛大な拍手で劇場が湧き上がるより、うたかたのひとときを惜しむように、どうかこの時間が終わりませんようにと祈るように、拍手が途切れなく続く。そういうラストにしたい、と熱を込める。

それが、今回の34歳の小沢道成がつくる『鶴かもしれない2020』だった。

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そんな小沢道成の要望に、岡田太郎が愛用のMacbookの中からある1曲をセレクトした。シンプルで、静謐で、無駄のない調べ。清らかでありながら、どこか寂しさの薫る音楽だ。小沢道成は聴き入るように耳を傾け、「桟橋で小さい女の子が足でリズムをとって遊びながらお母さんを待っているような曲」と感想を口にする。

面白い解釈だった。確かにシンプルだからこそ、聴く人によってそれぞれのイメージが立ち上がってくるような曲だ。

その曲は3拍子で構成されていた。この3拍子というリズムを、小沢道成はいたく気に入っているようだった。朝の光が射し込むキッチンで、まな板で野菜を刻むような「生活」のイメージが、3拍子にはある。それが、「今回は日常を描きたい」と折々で語っていた小沢道成の理想とハマったのかもしれない。岡田太郎も手応えのある表情だ。

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ここから調整は入るだろうけれど、冒頭とラストのイメージが固まったことで、またひとつ『鶴かもしれない2020』の輪郭がはっきりと浮き上がったように見えた。

どんな楽器を使った、どんなメロディで、『鶴かもしれない2020』は幕を開けるのか。期待をしながら、ぜひ客席で客電が落ちる至福の瞬間を待っていてほしい。

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EPOCH MAN『鶴かもしれない2020』

https://www.youtube.com/watch?v=f6SnFLW2vvI

2020年1月 9日 ~ 2020年1月13日

下北沢・駅前劇場

■小沢道成Twitter:@MichinariOzawa

■EPOCH MANホームページ:http://epochman.com/index.html/


<文責>
横川良明(@fudge_2002

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