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インターネットのエクスプローラー

Internet Explorer (IE)のサポートが2022年6月15日をもって終了したとのこと。ひとつの時代の区切りであることだなあという感慨は、自分のようにWeb制作に携わる人間だけのものではないんじゃないかと思います。

せっかくなので取り留めのない思い出話を。

わたしとIE

IEといえばもう長いことレガシー環境の代名詞のような扱いで、いまのMicrosoft Edgeと同じく、新しくパソコンを買ったときにChromeをダウンロードするためのブラウザーなんて言われたりもしていた。事実プライベートでIEを使うことなんて、数年前までe-Taxで必要とするときに起動していたくらいで(それもすぐEdgeに取って代わった記憶)、最近は基本的に仕事でごく稀に検証用に立ち上げるというようなことがほとんどでした。

それでも、初めてIEに触れたころのことは覚えている。わたしがインターネットを始めたのは1997年の4月ごろの話なんだけど、当時はNetscape Navigator(のちにCommunicator)が主流で、そこにIE4がやってくるというので、たしか専門誌の付録CD-ROMが両者の縄張り争いの主戦場になったのだ。紙の雑誌にブラウザーが付いてきた時代…! もちろん、今と同じで公式サイトからダウンロードもできたと思うんだけど、何十MBものインストールファイルは当時は大きすぎて敬遠されたのですね。

そのあと、IEのシェアが最も大きかった2000年前後は、自分もやはりIEをメインに使っていたのかな…。このへんは記憶が曖昧。ほどなくSleipnirを好んでカスタマイズして使い始めて、2005年にウェブ業界に入ってからはFirefox、Chromeと来て、IEとはあくまで「仕事上の付き合い」になってしまった。

でもまあ、HTMLコーディングが仕事になってしまった以上、自分が使おうと使うまいと、世のブラウザシェアは常に大きな関心事でした。IEが覇権を握っていた時代は、何はなくともIEでピクセルパーフェクトにコーディングできなければ話にならなかった。「ここ1ピクずれてます」みたいにして、ディレクターやデザイナーに詰められたこと何度もある。

ウェブ中毒だから、自分も含めて競い合うようにごりごりにカスタマイズしたブラウザを愛用していた同僚が多いなかで、当時ある仕事のできる先輩はずっと素のIEを使っていた。お客さん目線を忘れないためだったんだな~と今にして思う。

思い出深いバグたち

長年ウェブ従事者を苦しめてきたことでお馴染みのIEのバグ。深追いしていくと無限にあるんだけど、ゼロから自分で組むのであれば、コツさえ掴んでしまえば言うほど大変ではなかったように思います。Googleの台頭により、オンラインで先達のノウハウにあたることも当たり前になっていたし。むしろ、クリーンな設計に努めたいにも関わらず、やむにやまれぬブラウザーハックでカオスになっていくCSSに対して、心を無にして向き合うみたいな精神面を鍛えられた。

一番シビアだったのはIE5.5から6、次いで7~8くらいだったのかな。昔のバグ対策のセオリーとかほとんど忘れちゃったけど、有名なのはfloatした要素に同じ方向にのmarginがあるとIEだけその値が2倍になってしまうというやつで、まあまあショッキングなレイアウト崩れが発生することから、トラウマになった人も多いのかもしれません。図面通りに建てたはずの家が、ある人から見ると壁が屋根ごと隣家に突き刺さってるみたいな状況ですからね。floatはブロック要素にしか適用されないのに、display:inline; にするとなぜかこれが直るのでした。

透過PNGやborder-radius、linear-gradientがIEのせいで随分長いこと使えなかったのにも困ったものです。困ったというか、シンプルに面倒くさかった。ただ囲いの四隅を角丸にするのに、画像を上下に分けてスライスして片方を縦に伸ばし、背景に敷いたふたつのブロック要素を入れ子のように重ねて…みたいなことやってたの、狂気だなと思う。こだわりのパティシエか。

でもまあ、言ってもそれに先立つテーブルレイアウトとスペーサーの時代も修羅だったし、このあとにくるガラケー対応の時代もめちゃくちゃな地獄だったから、なんかそういう過渡期であったのだなとは思います。それに比べたら今のコーディングはたいへん効率的で、あのころのみんなの戦いがあったからこそ今の平和があるのだな、と時々噛みしめるようにはしています。

にしても、本当に最後まで分かり合えなかったのはMac IEですね。Mac IEのバグだけは理屈が分からなかった…。会社にあった検証マシンはまるで気難しい気分屋のバウンサーみたいな感じで、あるときは気前良く通してくれたかと思いきや、またあるとき訳もわからず門前払いみたいな。戦いが…あったのだ。

どうでもいいことでいまだに覚えているのが、当時まだ出始めのPhotoshop CSシリーズで作られたPSDファイルが、なぜかファイルをIEにドラッグ&ドロップしたときだけCS前のPhotoshop環境でも開けるという裏技。それを発見したのも前述のIE使いの先輩でした。IEはどうもこういう、常識的な理解を超えた魔術的なところがあったのですよね。

eの墓標の前で

あれから10年20年と経ち、魔術の時代はいよいよ黄昏を迎えた。雑誌の付録にせずとも、初めからインターネットブラウザーを積んだ超小型高性能端末を、おじいちゃんおばあちゃんから子供まで誰もが使いこなす時代。

そういえば、「IEの中止ボタンがしいたけに見える」なんていうしょうもないインターネットミームもありました。牧歌的な時代よ…。

しかしまあ、インターネットのエクスプローラーだものね。遡れば90年代、Netscapeは高らかに船の舵輪を掲げ、かたや探究者としてインターネットの荒波に乗り出したIEがおり、そういう時代の空気が確かにあった。YouTubeもGoogleもなく、ネットには何があって何がないのか、霧の向こうが無限に海なのか、陸地があって誰かが住んでいるのかも分からなかった。本当になにもなければ、誰かに届くように自分で作るしかなかった。

そんな時代があったことを今、eのロゴか、あるいはしいたけが刻まれた墓標の前で静かに振り返り、「zoom」といえばもう誰にとっても通話ツールで、IEで要素のhasLayoutをtrueにするためだけに使う独自プロパティのあのzoomじゃないんだなという感慨でいっぱいです。ご苦労さまでした。

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