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芸術とエンターテイメント

自分は芸術が好きだ。そしてかなり職人気質だ。

アニメーションが好きだ。複数の人間が絵を何枚も何枚も描き上げ凝縮、音をつけ声を当て作品として昇華する。膨大な時間をかけて生み出したそのちっぽけな尺の存在に魂を感じるからだ。非効率だろうがなんだろうが関係ない。作りたいものを作ってんだから満足いくまで手を抜かないのがクリエイターってもんだろう。

先日Amazon Prime Videoで解禁されたシン・エヴァは芸術だ。本来2~3年で更新されるはずだった最終幕を10年かけて作ったんだ、お金稼ぎとしては非難する人間もいるだろう。だが蓋を開けてみれば興収100億超え。なぜ芸術と呼ぶかは中身を見れば分かる。そして普遍的価値があると自信を持って言える。

手っ取り早くお金を稼ぎたいなら人気漫画・ラノベのアニメ化をすればいい。最近ならタイムリープや異世界ものをやれば必ず一定の視聴者がついてくる。ただこれはエンターテイメントだ。流行りで盛り上がる文化でしかなく後世にその作品自体は残らない。劇場版の鬼滅はエンタメだがUfoが頑張ったおかげでなんとか芸術としての一面も保ちつつある。

エヴァや宮崎駿作品はエヴァや宮崎駿作品として残り続ける。アニメーションではあるが、アニメという非常に大きな芸術の枠に収まらず対等なものとして存在することができる。

アニメの話はいくらしても尽きないのでここらで切り替えようと思うが、芸術とエンターテイメントは完全別個のものではなく、どんな対象にも内包されているものであり、その対象をどう育て導くかによって芸術にもエンターテイメントにも成ると私は考える。

現在最も勢力のあるエンターテイメントはVTuberだ。正直死ぬほど嫌いだ。

VTuberというのは当初似て非なるものだった。初音ミクから着想を得たのだろう、2.5次元の存在ともっと近くに感じたい、初音ミクのような虚像ではなく中身のある実像がほしい、そんな思いから生まれたものが『キズナアイ』なのではないか。

界隈では名高い絵師によって生み出されたキャラデザをもとに作られた非常にクオリティの高い3Dモデル、中身として抜擢されたあまり名の知れてない声優、そしてそんなみんなの愛情を詰め込まれたキャラクターが織りなすヘンテコな動画…。初めて目にしたのはニコニコのランキング上位に突如現れたとある切り抜き動画なのだが、それを機にバーチャルYouTuberというものが多くの人の目に止まり、2000万の借金を抱えて生み出された問題児『ミライアカリ』、キズナアイの正統後継者かと思ったらストロングゼロの擬人化だった『輝夜ルナ』、ねこます、ゲームが上手い杏みたいなやつ、企業がバックにあることが全面に出ているシロちゃん+ばぁちゃる、歌がうまくて途中でクラファンによってかわいい3Dモデルに進化した青なんとか+ゴリラ、今はホロライブだかで活躍してるときのそらあたりまでが第1世代といえるだろう。

第2世代は今のVTuberの大元となるにじさんじの出現、キャラクターでいえば『月ノ美兎』の襲来だ。

にじさんじは今でこそ大手事務所のような面構えをしているが数年前は数あるVTuberのうちのひとつでしかなかった。3Dモデルというまともに動かしたり可愛らしさを求めるには敷居の高すぎる界隈に新たな風を吹かしたのがにじさんじだ。2Dキャラを上半身だけ映し、よりアニメチックに、ときおりフレーム補間によって生まれたギャグみたいな表情もその愉快なキャラクターたちとともに広く受け入れられた。ここらへんからVの新たな二面性が創出することになり、いわゆるライバーとして活動するVも勢力を拡大するようになってきた。2Dモデルは配信との相性が良かったのだ。この頃から現在の第3世代に直結しはじめてくるのだが、同時にエンタメの色も濃くなっていく。

※VTuberの勢いがすごいと先述したが、厳密に言えばバーチャル生主であり、VTuberではない(先に断っておくが特段VTuberが好きなわけではない。ただ新しい文化として受け入れられるかわからないものを大の大人たちが本気で作り上げた当初のノリが好きなだけだ)。

VTuberはその名の通りYouTuberに内包されるものであり、彼らのように企画を発案、収録、編集、そして動画として投稿するという形式が採られ、その中でキャラクターを演じきるというものだった。これは現実の人間と違わずYouTuberそのものだ。そしてたまに配信し視聴者と交流、普段の動画と違って素が出やすい長時間の配信ではボロが出やすく、それも一つの楽しみとして受け入れられていた。

ここで勘違いしないでほしいのは、ボロというのは"出る"ものであり"出す"ものではないということだ。みんながひっそりと楽しんでるパロディを公式が乗った瞬間つまらなくなるのと同じで、最近はそれを履き違えたVの方々がやりたい放題やってるように思える。どうでもいいけど。

今のVTuberはビジネスモデルとして非常に完成度の高いものだ。適当に喋れるキャス主を連れてきて名のある絵師さんにキャラデザを発注し、とりあえずなんか人気ゲームをやらせる。SNSやその他諸々は事務所側が介入しキャラクターとしてのていを保つ。こうすることで一端の人気VTuberの完成だ。配信というのは動画と違い企画力が必要ない。求められているのはかわいいキャラクターがゲームを楽しんでいる姿、そしてたまに見える中の人の現実感であるからだ。ひろゆき氏も述べているとおり、配信というものが今のネット世界を生き抜く中で1番効率のよいスタイルであり、動画は一般の切り抜き兵に任せて何度も配信内容をこすらせればいい。ただこれは完成形であり、アイデアの創出もないし新規性もない。日の目を見ないキャス主、ニコ生主とやってることは一切関係なく、違いはたったひとつ、絵があるかないかだ。声優のように徹底してキャラを演じきるわけでもない。Vとそのファンはよくキャバクラに例えられるがほんとにそうだと思う。よく言えば動物園だ。動物園側にしつけられたさまざまな動物が展示されており、もっと交流したいと思う動物に対してはエサを購入することもできる。

Vの批判はここらへんまでにしておいて、数多くのファンを抱えると同時にアンチも大量に存在するのはこのような理由だと思う。元々の性的嗜好がそういうものを愛せるかどうかでしかなく、決着はつかないし着ける必要もない。(でも知人にバチャ豚がいるのはなんとも息苦しい)

どうすればちょうどいい現実感を保ちつつバーチャル世界という空想の世界を感じられるか、そんな実像と虚像の折り合いをつけようと趣向を凝らしていた第1世代、どうすればもっと人気を出せるか、継続してファンを獲得できるかに着目した第3世代。どちらもVだが稼げるのは後者、アイデアや技術が生まれ育つのは前者だ。

エンタメというのは今のためのものであり、今の人間を楽しませるためにできるだけコスパを求めたほうがいい。芸術は今の人間には理解できなくてもいつか受け入れられるときが来る、または普遍的なものになるものであり、コスパは求めてはいけないが作品として造り手が満足いくものでなければならない。

これを読む人間は少数だろうけど、自分の身の回りのものでエンタメ寄りか芸術寄りか考えてみると面白いと思う。ゲーム実況、漫画、服、小説、本当になんでもいい。ただ私自身は芸術が好きなので自分がある程度時間をかけて生み出すものは少しでも普遍的な価値を持つように意識している。そうすればどんなにくだらないものでも意味を持つようになる。

ちなみに個人的に芸術だと思うVTuberはバーチャルおばあちゃんです。以上。

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