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音の周波数

先日、たまたま斎藤一人さんの著作を紹介する動画を見ていまして、私自身も斎藤一人さんの別の著作を読んだことがあるので、何気なくみていました。

ご存知の方も多いと思いますが、斎藤一人さん、そして小林正観さんも、言霊信仰、良い言葉がいい未来を創るということを言われている方たちです。

それ自体はとても素晴らしいのですが、1日に何千回と唱えないといけないことや、そしてそれをずっと続けることは毎日のハードルが高く思っていました。

また、心で思っていなくてもいいというのも、心にない言葉が口からは出にくいなと思っていました。

ただ、著作紹介動画をぼんやりとみていた時に、何となく言霊信仰の構造について感じたことがありましたので、自分の考察になりますが書きたいと思います。

ただ唱えればいい。

これは一般の考えの人からしたら、ものすごいわかりやすいんですよね。

ですので、斎藤一人さんや小林正観さんが良い言葉を言いましょう、というのはよくわかります。

わかりやすく言うと、それぞれの宗教の祈りの定型文に近いと思います。

例えば、

南無阿弥陀仏
南無大師遍照金剛とか、

祓え給え 清め給え 守り給え 幸え給え、

父と子と聖霊の御名によって アーメン

など各宗教には、信じる方が瞬時に神仏に心を向けるための言葉があると思うのです。

これらは、それぞれが信じる神仏に向かって祈る言葉のように聞こえますが、

実はそうではなくて、あなたの中にある、あなたに瞬間的に戻り、自分とつながるための言葉だと私は思っています。

たくさん唱えるというのは、それによって心の中を言葉でいっぱいにし、常に自分と繋がっていましょうという意味ではないでしょうか。

想像してみてください。

自分は宇宙が入ったコップだとします。

そのコップは底が割れていて、割れた個所から、宇宙の一部が流れ出ています。

そのため、いくら足してもコップの中身はいっぱいにはなりません。

それどころか、足りないものを補うためには誰かにもらったり、どこからか持ってこないといけないし、いつもいつも足りない感覚を感じているので満たされずにつらいのです。

また、誰かに分けてあげたくても、自分にコップの中身が少ないので、分けるとさらに少なくなってしまいました。

人生がうまくいっていないときの状態とはこのような時です。

コップが満たされて、放っておいても勝手に溢れるときに、その溢れたものを周りの人が受け取る。

他者に与えることができるというのは、いわゆるそのような状態の時で、何かをしようとしなくていいのでしょう。

なぜなら、何もしなくても、勝手に周りは受け取れるのですから。

むしろ、当の本人は助けたいなどとは心にも思っていないかもしれません。

ただそこに居るだけなのに、それによって知らないところで助けている。
それこそが本当の意味での助けではないでしょうか。

で、話は戻りますが、なぜ唱えるということがコップを満たすことにつながるのかと言いますと、

念仏でも、お祈りでも、ありがとうございますでもいいのですが、今見ている世界から、自分に心に瞬時に繋がるスイッチがそれらの言霊で、

また一日に何万と発せられている想念を統御するために、想念を良い言葉で埋め尽くすということではないかと思うのです。

以前、人間は活動する想念であるという投稿もしましたが、

集合意識や無意識の中では、自分では思いもよらないことを発してしまっていることもあると思います。

その想念が、知らぬ間に巨大コピー機で現実化しています。

自分ではそんなつもりはないといっても、想念をコントロールできていない以上、コピー化を止めることはできません。

コピー機に善悪を区別する能力はありませんし、コピーされたものを受け取るしかないのです。

ですので、私たちはいつもコピー機から『結果』を受け取っています。

※コピー機についてはこちらをご覧ください。

今までの私たちは、コピー機から出てきた複写(結果)を受け取ることに意識が向いていました。
それが人生だと思っていたからです。

ですが、言霊を変えて、想念をコントロールするということは、コピー機に乗せる原本(原因)の方を変えませんかと言っていると思うのです。

そして、複写(結果)を受け取る側から、原本(原因)創る側になりませんかと言われているのです。

とはいえ、集合意識や無意識(原本)を自分でコントロールすることはなかなかできません。

それどころか、普段何気なく考えてしまっていることですら、やめることはできていないのですから。

その想念の中にはエゴもあったりしますし、それらにずっと意識を向けて、その都度、

『ああ!こんなことを考えてしまったわ』
『また、このように思ってしまった』

と、常に自分の想念を見張っていることは、とても大変だと思うのです。

ですので、発する言葉、想念をよいもので常にいっぱいにしておき、他の想念が入る余地を作らないというのが、この言霊信仰ではないかと思います。

良い言葉で想念を埋め尽くすということは、コップの中身に良いものだけにし、それによってコピーの原本を変えるということだと思います。

で、なぜ良い言葉を言うのかということですが、それぞれの言葉には音の固有周波数があるということが挙げられます。

フラをする前には、必ずチャンティング(詠唱)いわゆる祝詞を上げます。

チャンティングするときには、声帯を震わせて独特な声を出し、空気に振動を起こして場を浄化するのですが、
空気がどんよりしているときにチャントをすると、一気にその場の空気が変わります。

それぞれの流派によっても違うと思いますが、その言葉による音の振動や周波数が重要で、お経もそうですけど、言葉の意味もありますが、その音にも何か秘密があると思うのです。

で、ありがとうございますはやはり特別な周波数を感じますし、各宗教の祈りの言葉からも清浄なものを感じます。

また、斎藤一人さんが天之御中主神(あめにみなかぬし)に祈るといことも言われていますが、これはいわゆる根源神、日本神話でおける天地を創られた神のことですが、

これも、ビッグバン(創造主)のことを言っていると思います。

創造主はコピー機に原本を置く者ですので、想念を出す者です。
もうお分かりですよね。

それはあなたです。

ですので、何かに祈るときにその対象として、神仏などがおられるかもしれませんが、その方を通じて自分に祈るように言われていると思います。

ただ、そのように言ってもなかなか信じられないし、その言葉を言えば幸せになりますって、わかりやすいですよね。

そして、誰に対しても平等に救いがあると思えるので、行動に起こしやすくなるでしょう。

だから、ありがとうと唱えればいいことがありますよというのはそういうことでしょう。

ちなみに、天之御中主神と祈るとき、コップの割れた部分が修復されるような感じがしました。

ですので、自分の中の根源神に向かって、一度修復を祈ること。
それは、あなたが創造主であることを思い出させ、本来の力を呼び覚ます効果があると思うのです。

そして、直ったコップに良い言葉をどんどん入れてあふれさせること。

それが言霊信仰の真実ではないかと思うのです(多分です)

あくまで勝手な考察なので、違うかもしれませんが(笑)

何となく、その原理というか、その言葉を言う意味に納得ができないと続けられないような気がしたので、今回考えてみましたー。

言葉の周波数とか、自分にとって心地よいものであれば、それが念仏でも祈りの言葉でもいいと思いますし、ラーメンでも、チャーハンでもいいのです。

もちろん、どうせ発するなら周波数が高いほうがいいのかもしれません。
良くない言葉を言い続ければそれをコピーし続けることになるのですから、それは誰も望まないでしょう。

それだけ、想念のエネルギーは大きいし、影響があるということです。

いかがでしたか。

今日もお読みいただきありがとうございます!



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