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見せることが一番

若い頃の私は、人を助けたい気持ちが強く、くるしんでいる人がいたら、その人の力になれないかと、いつも考えたりしていました。

できることならともかく、始めのうちは崇高な思いがあっても、次第に自分も疲弊してきたり、エネルギー不足になってきたときに、ふと見返すと助けたいと思っていた人の方が幸せそうになっていて、私はジリ貧になっていることが多くあったと思います。

その時に、本当に助けたかったら、私自身が幸せに生きている姿を黙って見せるのが一番の助けであるということに気が付きました。

中には、他の人の幸せな姿を見たくないという人もいるかもしれませんが、多くの場合が、

成功してキラキラ輝いている人を見た時に、
『私もこうなりたい』
『私にもできるかな』
と、励まされると思うのです。

ですから、言葉であったり、何か物理的に助けるばかりではなくて、助ける方法はいろいろあるし、

一番は自分の生きざまを見せるということなのかもしれません。

生きざまというと、何か立派な姿を見せないといけないような気がするかもしれませんが、そんなことは必要ないと思います。

例えば、今していることが他人にとっては当たり前にできることでなければ、それだけで憧れるかもしれませんし、それをみて勇気が出たり、励まされたりするかもしれません。

よくダイエットのCMで、ビフォーアフターをみて、特にアフターの姿で輝く笑顔でいる姿を見て、心が揺れますよね(笑)通いたいなーみたいな。

それと同じで、何か適切なアドバイスをもらったわけでも、何かをプレゼントしたわけでもないけれど、相手の心を動かすことが出来れば、それは十分な助けだと思うのです。

イギリスのことわざで、
『馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない』
というものがありますが、

運動でも食事でも、いくらこれが良いよと伝えても、身体によいと思われるものを渡したとしても、本人の心が動かないとそれは助けにはなりません。

渡した方は良かれと思ってしているので、その本人は満足しているかもしれませんが、相手の心には響いていないこともあります。

ですから、どうすることが相手にとって一番の助けになるのかを考えることも必要なのかもしれません。

誰かに奉仕したい気持ちや助けたい気持ちが出てきたときに、彼、彼女にこのような助けがありますようにや、このように助けます、でもなく、

『どのように奉仕すればよいか、教えてください』

と一度祈ってから、直感が降りてくるのを待つことも必要かもしれません。

私は、自分を犠牲にしたり、相手のためにならない奉仕や助けであれば、もしかしたらそれは自己満足であったり、共依存になるだけなのかな~と思っていて、

相手の力を心から信じることが出来れば、今大変な時期であってもきっと良き方向に行くと思えるし、

それぞれには成長の段階があるのだから、信じて見守る、そして黙って背中を見せることも大事なのかなと思います。

とはいえ、私もまだついつい口を出してしまったり、何とか手助けをしてしまいそうになるので、その時にはいったん深呼吸して、ドウドウと馬をなだめるように一呼吸おいています。

今日もお読みいただきありがとうございます!


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