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体重7kg 体脂肪率8%痩せて分かったこと

 2021年8月からダイエットを始めていた。
BMI22体脂肪率30%で、標準体型で健康は問題ない数値だけれど美容的には落とした方が良い数値だった。
20代前半から、そこからおおよそ5kg減らした美容体重(BMI20)に憧れていたので、BMI20、体脂肪率は25~20前半を目指し達成したので、美容と自己肯定感について思ったことをぶつぶつ言おうと思う。

理由と決心の瞬間とやったこと

 痩せようと思った理由はいくつかあった。
私の周りにいる姉や友達など同性の子は、みんな綺麗で可愛くてかつ一緒にいて楽しくて、ちょっと癖や棘のある部分が一番の魅力で、ついつい羨ましくなってしまう。
容姿に劣等感が強い自分だからこそ、羨ましいは「それ自分も欲しい」と妬みになるのでどうせ妬むのなら行動するエネルギーに変えた方が良い。

何より劣等感を刺激されたのは前の夫との関係性だった。
最近夫と離婚したのだけれど、結婚しているときは夫に可愛いと思われたくて仕方がなかった。

ナチュラルでふっくらした優しいお姉さんっぽい好みを知っていたので、一緒にデートができる数少ない機会には淡いメイクをしたし、なんとなく着ていたニットワンピを褒められた日からだいたい休日はニットワンピを着ていた。

必死さがウザかったのか結婚の安心感なのか、おめかしして「似合う?かわいい?」と勇気を出して聞いても目が合うことが少なかったし、何よりウェディングドレスの試着をした帰り道に「可愛いって言ってほしかった」と切り出したら「君の写真を撮っていたけど、あれ見た?あんな必死な顔だと俺何も言えない」とバッサリ切られたのがショックだった。
ただ私の諦めが悪すぎてその後もおめかしした後は夫に「かわいい?」と聞いていたので、その様子は夫から見たら「私、きれい?」と声をかけてくる口裂け女さながらのホラーだろうし「ポマード」って言われなかっただけ夫は理性があったと思う。

 私の執念をホラーと受け取った幼馴染がいた。
もともとリーダー気質で相談事の共感より解決が得意な子で、夫に相手にされないと泣きついたら「旦那のために可愛いをつくるんじゃなく、お前自身が可愛いを楽しんでるうちに女の子扱いされるといいよな」と言ってくれて痩せようと決心がついた。
その時はまだ痩せたら一盗二卑三妾四妓五妻の五妻から抜け出せないかという下心もあったが、自分のために努力して自分を好きになれるなんて建設的だし、どうせ執着心が強いから向ける対象は自分にして粘着質さを生かさないと大きなトラブルになりかねないと危機感があった。

 これは半年間の体重と体脂肪率の推移で、緑色が体重、青色が体脂肪率。

体重グラフ

まずやったことは「あすけん」という食事と体重管理のアプリで記録をつけて食事をコントロールすることだった。
同時にフィットボクシングというゲームで週2~3で20分間のエクササイズをし、4kg落ちた時点で止まったので12月からYouTubeで筋トレの動画2本(お尻トレーニング4分間、プランク3分間)を追加した。

変わったことと変わらなかったこと

 体型の変化は明らかで、コンプレックスだったお腹が多少は締まり1年前に履けなかったスカートがするっと入るようになった。
夏ぶりに会う友達に「くびれ凄いね」と褒めてもらい、6年ぶりに会う友達が2人いたが特に久しぶりに会うだけあって変化に驚かれた。

変わることを期待して変わらなかったことは美容的な側面と内面的な側面両方ある。

美容的な側面でいえば「痩せたら好きなフリルやレース、フェミニンなものが多少映えるのではないか」という目論見。
私の見た目の特徴でいえば地味かつ素朴な顔と雰囲気で、イメージコンサルティングの言葉を借りると「パーソナルカラー夏、顔タイプソフトエレガント、パーソナルデザイングレース」となる。
要は「清楚かつ品性が大切で、華やかに盛るより引き算でおしゃれをした方が似合う」タイプだ。
顔の特徴でいえば多少パーツが丸みを帯びているので、カッコよさより私が好きな女性らしさを追いかけてもある程度は耐えられると診断された。
(自分の好みでいえば思い切り足し算のお洒落が好きで、10代半ばまでゴスロリちっくなものに憧れていたのでちょっと悔しい)

視覚的なイメージだとこんな感じ。

クラシック

Oggi: https://oggi.jp/6207130

取り立てて綺麗な芸能人(グレースだと波留や仲間由紀恵)なら似合わないものも美貌の暴力で支配してしまうだろうけれど、そうでないので「似合わないものはそのままだが、似合うものは更に似合うようになった」ところに帰着した。
私の外見にそぐった格好は品性を芯にして多少の柔らかさ女性らしさで多少控えめな華やかさを出すことである。
端正さを演出するのに、標準体重より美容体重に落とした方がよりらしさは出たと思う。

内面的な側面でいえばそこまで容姿に自信がつかなかったことだ。
美容体重になったらバチクソ自信がついて自分を綺麗だと言い切れるようになるんじゃないかと思っていたがそうでもなかった。
容姿に対して残っている感想は、体重と体脂肪率はキープしたまま更に筋力をつけて、くびれから下っ腹までを引き締めたい。
お尻と太ももの境目をよりくっきりさせたいと次なる目標だけである。

どちらかといえば自信がついたのは「粘着力を生かして継続し、コンプレックスだった体型に対してアプローチして時間がかかろうとも掲げた目標通りの結果を残すことができた」ことだった。
けれどこれは元々狙っていたことだったので期待通りの副産物だ。
自分の克服したい部分は欲求が強い順に容姿、学力、経済力で、学力と経済力を両方克服するための勉強にチャレンジする前に、まずチャレンジするだけの自信を自分につけたかった。

欲求の根深さ

 前の夫を筆頭に「ここまでできたから次はこうしたい」と言うとよく完ぺき主義だとか努力家だとか言われる機会がある。
友達なら誉め言葉だろうけれど、たぶん家族だとか前の夫だとかかなり身内の人や職場の人になるとその評価は「自分のキャパシティーを超えたものなのに挑戦して挫折しがち(身の程知らず)」と耳が痛いものになる。
完ぺきやより精度の高いものを目指している訳ではなく、ただ欲求が根深いだけなのだと思う。
 
 私の原動力は妬みであり、自分にとっての「できない欠けている」と他人が「できる満ちている」ことの比較から始まる。
欠けているものが多いのでそもそも球体になることを諦めており、諦めて捨てたからこそ欲しいと思ったごくごく一部に執着をする。

球体とロイヤルストレートフラッシュになれる器ではないので、私が満足を実感できる状態は何なのか、捨てられるものと捨てられないものを吟味して選び取る。

美容にとっての私が思う球体は「ガーリーやフェミニンが似合う華奢で、かわいいときれいを兼ね備えた女の子」だが美容整形で顔の骨を削るか生まれ変わってワンチャン遺伝子ガチャに賭けないと叶わない。
これらを諦めて「自分に似合う装いを調べて最大出力を狙うにはどうしたらいいか」に目標自体を変え執着することが、私の満足と、どうしても見た目で判断されがちな女の人生で社会の適合を考えた上での結論だ。

内面にとっての球体は「いかなる自分であっても自分も他者も尊重でき、適切な距離を保つことができるひと」(他にもいろいろあるけれど、自己肯定と他者の肯定の観点)だが、
私の出発点が自分はできない、他人はできるなので、いかなる自分であっても自分を愛することが難しい。
自分を愛せられる状況や環境を整えて、そこの場所までたどり着いた経過を褒めてあげること、ここまで自分に執着して気が合わない他人を排除しがちな私自身を面白がってくれるごくごく身内の人を尊重することが私の満足であり、手放せない価値観だ。
ただ、思いいれのある誰かのペースに巻き込まれがちで他者との境界線が曖昧なところがあるので、身を守るために他人との適切な距離を保つ必要があるうえに、身を引くことだけが距離を保つ術ではなく、他者に寄り添ってお互いに居心地がいい落としどころを探る術を身に着けたいなと思っている。

 幼馴染が言ってくれた、お前は他人より自分が好きだから、お前が好きになったお前のまま幸せになれるとええという言葉はずっと残しておきたい。

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