見出し画像

消費されるリアリティ

「ナイトクローラー」を見た。ジェイク・ギレンホール演じる冴えない男がパパラッチという職に就き、次第にクライアントであるテレビ局のなかで一定のポジションを築き上げていく。「売れる絵」を撮ることに憑かれたように、次第に彼の行動はエスカレートしていき…という映画。
ジェイクはもう当面爽やかな役などやることはないのかな…と思ったが、昨年ニューヨークで見た「Stronger」は比較的爽やか、だったかも(ボストンマラソンでの爆破テロの被害者となった男性という、難しい役どころではある)。

さておき、ナイトクローラー。直前に見た「スポットライト」も同じ?報道モノ佳作だったが、それに比べると若干スケールは小さいながら、なかなかぞっとする良い出来だったと思います。
ジェイクを評価するテレビ局の女性プロデューサー、ニーナ(ジーナ・ローランズに似ている。という、キャスティングの硬派さがいいよねー)が同僚とあるニュースの「見せ方」について激論を交わすシーンがあり、彼女は「私にとってはこういう物語なの」というようなことを言い放つのですが、今やこの世界は、いっときの下世話な好奇心に応えるストーリーを持って眺めるしかないわけです。大衆の目を喜ばせるショッキングなストーリーをカメラに収めることしか考えなかったジェイクが、目の前で起きた事件の被害者に手を差し伸べもしなかった薄気味悪さは、しかし私たちがそうしてリアリティすら消費するようになってしまった結果でもあります。

ジェイクが部下に向かって口にする言葉もまた何かに憑かれたようで気持ち悪いですが、これ、まんまビジネス書のワーディングですね。ジャーナリズムに限らず、我々は歪んだリアリティを消費して生きるに過ぎないのかもしれません。

ところで上で挙げたStrongerという映画、日本ではDVDスルーっぽいですが
ボストン ストロング 〜ダメな僕だから英雄になれた〜
というだっさい邦題がつけられていました…
いや、Strongが比較級であることに意味があるタイトルなんだけどな…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?