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管理栄養士を辞め、フレンチの料理人になりました。

札幌のカウンターフレンチ
''wineman''シェフの三浦絵里子です。

#自己紹介 がてら学生時代まで遡り、管理栄養士から料理人になった経緯をお話ししようと思います。


小~高校時代

自分で言うのも恐縮ですが、昔から何でもそつなくこなせる方で、いわゆる優等生だった小~高校生時代。

勉強も好きだし、手先も器用な方。
ピアノの伴奏をしたり、小学校の合唱部ではパートリーダー(ソプラノ)で運動もまずまず。高校ではバスケ部のキャプテンを務めました。

飽きっぽいわけでもなく全部それなりに続いたけれど、「自分にはこれしかない!」と思えるほど情熱を持てたものはなく。

将来わたしはどうなるんだろう…という漠然とした不安を抱え悶々としていました。


食べることの喜び

高校3年生の時、色々あって半年で15キロ痩せました。
いま思うと完全に拒食症だったと思う。

昔から食べることが大好きだったのに、当時はカロリーを摂取することが恐怖となり、日に日に減っていく体重計の数字を見てほっとする毎日。

よく過呼吸を起こし、スクリーンアウトしたら骨が痛い!って言われるくらいガリガリに痩せました。
とても辛かった。



でもそこから色んな事があって、
沢山の方の支えがあり、
少しずつ元気を取り戻して、食べる喜びを思い出しました。


そのときに管理栄養士になることを決意して、栄養学科のある大学に進学しました。


大学時代

経緯はしんどかったものの、痩せた事で大学時代はおしゃれにも興味をもちました。
今まで絶対に選ばなかったような洋服を着るようになり、お化粧も覚え、見事大学デビュー。(その頃には精神的にもかなり回復)

超がつくほど人見知りだったにも関わらず、一番最初に始めたアルバイトは何故かキャンペーンガール。

そして2年目からは飲食店でアルバイト。
ここから私の飲食人人生が静かに始まったわけですね。

大学時代はとにかくバイトと飲み会三昧。
(進学を決めたときの思いはすっかり忘れている)

週3~4バイトの週2~3で合コンって時期もありました。
ちなみに母校は''天使大学''という素敵なお名前で。(もともと看護の女子短大だったそうです)
天使大学の堕天使。(黒歴史)



当然勉強なんてほとんどせず、「気分が乗らないから。」と言って授業をサボることもしょっちゅう。(いま思うと本当に両親に申し訳ない。。)


そんなこんなで、国試前最後の模試ではD判定という絶体絶命のピンチに陥りながらも、バイトを辞めてから国試までの2ヶ月間。死に物狂いで勉強して、何とかギリギリ管理栄養士の免許を取得しました。

ちなみに自己採点ではギリギリアウト。
無効になった問題があったようで、なんとか滑り込みセーフ。
以来母親には、ギリギリガールと呼ばれるようになりました。(料理人になってからも常に、色んな意味でギリギリ)


管理栄養士時代

国試と同じく卒業直前にギリギリ内定を頂き、札幌市内の介護老人福祉施設で働き始めました。

系列の病院や施設へヘルプに入ることも多く、ボスである院長先生と顔を合わせる事も。
とにかく食への拘りが強い方で、調理師の方も、元々フレンチや和食の料理人だった方が何人かいらっしゃいました。



一般的な給食施設だと、管理栄養士が調理師に指示を出すと思うのですが、ここはちょっと特殊な関係性で。
私たちが立てた献立を調理師の方にチェックしてもらうと、「なんだぁ~これ、センスの欠片もねぇなぁ」なんてぶつぶつ言いながら、色々教えてもらったことをよく覚えています。
厳しくも優しい、''THE職人''。

ちなみに私が退職したあと、独立して自分でお店を始めた調理師さんが何人かいたそうです。
やっぱり、一度味わうと忘れられない緊張感と高揚感が、飲食の現場にはありますよね。わかります。


ある日、元和食の料理人さんがこんな話をしてくれました。

「この間な、うちの施設にいるおばあさんが俺のところへ来て言うんだよ。あなたのお味噌汁が本当に美味しかった。ありがとう。って。俺の手を握りながら、泣きながら何回も。
たかが味噌汁一杯、みんなと同じ材料と条件だとしても、愛情込めて丁寧に作ればそれが相手にも伝わるんだよ。食事にはな、人の心を動かす力があるんだ。」

………涙が出そうになりました。
患者さんや利用者さんの心までも元気に出来るような、美味しくて愛情いっぱいのご飯を作りたいと思いました。



しかしながら現実は甘くなく。
栄養価の制限がある中で、思うような献立や料理を提案できない自分の無力さに打ちひしがれる日々でした。
自分に対しても環境に対しても人に対しても、「なんで、どうして、どうしたら…」ばかりだった気がします。



やっぱり飲食って楽しい

そんなモヤモヤした気持ちを払拭すべく、職場には内緒で飲食店でのアルバイトを始めました。


朝6:30からの夕方までの朝番を終え、一息つく間も無くすすきのへ急ぎ終電までアルバイト。
終わった後も真っ直ぐは帰宅せず、知り合いのお店で一杯二杯…。
酔いと疲れで良い感じになった頃にタクシーで帰宅、泥のように眠るというのがお決まりのパターン。
肉体的にはハードでしたが、やっぱり飲食店って楽しい!と思わずにはいられませんでした。


その時ふと思ったのです。
料理を勉強するためには、料理人になるのが一番手っ取り早いじゃないか。と。
安易な考えだなと今となっては思いますが、あの時は目の前がパーっと開けたような気がしました。

思い立ったが吉日。いてもたってもいられなくて、すぐに上司に「わたし、料理を勉強するために料理人になるので仕事辞めます!」と宣言。(もちろん退職日まで全力で働きました^^)


「お前みたいな小娘に何が出来るんだ~」なんて言いながらも、温かく送り出してくれた調理師さんの顔は今でも忘れません。






そして現在

その後akinagao(今のお店の本店)とご縁があり、全くの素人である私はフランス料理の世界へと足を踏み入れました。
(当時フランス料理を食べた事すらなかったくらい、フランス料理とは無縁でした。)


料理人になってからも山あり谷あり、色んな事がありましたが、それはまたの機会に…


あの頃は「料理の勉強がある程度できたら、管理栄養士に戻ろうかなぁ」なんて思っていましたが、今となっては料理人にどっぷり。

(そもそも勉強不足で管理栄養士は無理ですが、)自分でも驚くほど料理の世界に魅了されています。


身体を壊し、心も折れ、料理人をやめようと思ったことも何度かありました。
料理人として働く上で、女性であることで悩む事も沢山。


それでも今こうして料理を作り続けられているのは、その度に引き上げてくれる人がいて、「あぁ、やっぱり料理って楽しいなぁ…!!」と思えたからだと思います。


昨年結婚しいずれは子供も欲しいと思っていますが、どんな形であれ、この先も料理人として厨房に立ち続けるのだろうと思います。



コロナ渦により飲食業界にとって(勿論他の様々な業界にとっても)厳しい状況が続きますが、いつの日かまた、沢山の人が料理人という仕事に希望を抱ける世の中になりますように。

その時は私も、誰かに手を差しのべたり、背中をそっと押せるような存在でありたいなと思います。

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