大いなる正義の前の、数字遊び

「成長したい」「貢献できる人になりたい、そのために経験を積みたい」そんな思いをもって、仕事をはじめた。

もちろんふと立ち止まって振り返れば、半年前や1年前の自分よりできることもわかることも増えている。だけど1日や1週間の視点に落とすと、なんだか「あっちを立てながら、こっちを立てて」のバランス取りゲームに日がな興じているような錯覚を覚える。

世の中の水準に比べれば十分な給料をもらい、身に危険が迫るような働きかたを強制されることもない。精神的に堪えることもあるが、動けなくなるほどではない。

でも、だからこそ、自分の使命に突き動かされ、人と心を震わせあい、社会や誰かが抱える課題に向き合っている人の姿をみると、震える。エクセル上で数字を弄び、ヒエラルキーとにらめっこしながら、根回しパズルをしている自分が、とてつもなく小さく感じる。

「お金じゃない」なんて綺麗事をいうつもりはなくて、お金はあった方がいいし、環境も整っているに越したことはない。だけれど、彼らはきっと「お金を捨ててでも」とかそんなことすら考えず、目の前のことに頭のリソースを100%割いているのではないか。

お金をもらって、でも日々は苦しくて、だから半年に1度の長期休暇でどこに旅行するかと、土日にどんな美味しいものを食べるかが楽しみな、そんな生活とは鮮やかさが違うのではないか。

と、こうやってソファに寝そべり、行動につながらない思索に耽る自分から、もう1面にいる意識の高い自分に、警鐘を鳴らしてみる

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