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映画を好き、とは言えないんです。

映画を観るのが辛い時がある。丁度今、今この時。この気持ちはどこからやって来るのだろう。

私の周りには生きる時間を全て注ぎ込んで映画を観ている人が割といる。収入の殆どを映画を観るために使っている様な人たちだ。そんな人の姿を知ってしまったら、私は映画を好きとは気軽に言えなくなった。
追い付きたいと思って、頑張って観たこともある。その時期があったからこそ、余計に悩むのだろう。

何年か映画漬けの日々を送って気づいた事は「私には到底追いつけない所に、みんな居るんだな」という事。比べても仕方が無いのだ。つかってきた時間が違う。息を切らしてそのマラソンからはリタイアしてしまった。

映画の話をする時、ある程度の蓄積がないと相手にして貰えない場所が多々ある。それはさまざまなジャンルに言える事だけれど、私の中で映画はそのダメージを身近に食らってきた。

大好きなものを好きな人達の話を聞くことも出来ない。教養がない自分が嫌になる。

そうか、自分の事が嫌いになってしまうからなんだ。見れば見るほど、知れば知るほど「語る価値のない私がこの映画を観てどうするんだろう」と卑屈になってしまう。

何故、ただ観る事が出来ないんだろう。この苦しみから逃れたい。これは、他者からの視線を気にしているから起こる事だ。謎の競争観念が私を襲う。

思えば、よりアカデミックで歴史がある絵画や彫刻も大好きだけれど、私はそれらに対してはそんな事を思わない。沢山の作品の中から私の視線と同じ特別な絵を観た時に感じるトリップ感が好き。それとは別にその画家を好きになる事でその時代を理解するきっかけになるから…等、理由は色々あるけれど、それは誰かと比べるものではない。私だけの楽しみだ。

映画は私にとっておそらく他者と繋がる為のツールなのだろう。相手の事を理解する為のもの、自分の事を開示する為のもの、だから、神経をつかうし心の底から今は楽しめていない。

こんな感覚、もう辞めたい。早く映画が私だけを慰めるものに戻って欲しい。まだまだ、戦いは続く。



と、2019.12.1に思っていたらしい。




この1ヶ月で色々考え方が変わった。

#映画 #日記 #葛藤

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