『フォードvsフェラーリ』を観て思ったこと

『フォードvsフェラーリ』これぞ映画館の真骨頂と言わんばかりの音の圧力に震えた夜中の新宿バルト9

クリスチャン・ベイルとマット・デイモンが出てる時点でお話が最高なのは間違いないわけだけど、私が今観たい映画はこれだったんだとピタリときた。

昨今は社会派の作品の名前をよく聞く。もちろん映画の役割のひとつだし、ジェンダーに関して言えば映画の中の常識はちょっとずつ刷り込まれ、自分の歪んだ感覚や常識を理想のものに少しずつ直してもらった気がする(先日2012年のグザヴィエ・ドラン『わたしはロランス』を見直した時にあのロランスですらもう当たり前な感覚になっていた。公開当時はとんでもなくセンセーショナルな作品だったのに!)

しかし、こう言う映画も新作で観たいのだ。
車好きのレーサー達の話。戦争で若さを奪われた天才肌のレーサーの元にF1の王者フェラーリに勝ちたいと声をかける引退した過去の英雄。

エンジンの轟音、死と隣り合わせのスピード、ただ貪欲に速さを求める彼らの純粋さにひたひたにされたかった。

主人公ケンは、フォード社のレーシングカーの事を“SHE”と呼んでいた。色んな意味を含んでいるのは分かる。これはもしかしたら今の時代だと怒られる事なのかも知れない。

でも、ケンは命を掛けてこのレーシングカーと向き合うのだ。設計から操縦まで、彼の相棒としての“SHE”。200キロを超えるスピードはこの車を信用して出せるものだ。

私は昔、男の子の友達の相棒になりたかった。信用し信用され、心の底から冒険を一緒に楽しみたかった。それを、このケンが放つ“SHE”からは感じる事が出来た。乗られるのではない、乗るのではない、命を共にするのだ。車に対して多分人間よりも真摯に向き合っていた主人公の眼差しをみて、そこには物語を超えて速さだけを感じる自分がいた。

車の良さって乗らない人に伝えるのは凄く難しいんだけど、フェラーリのハイヒールの様な美しさだったり、車体毎に違うエンジン音だったり、クラッシュの衝撃だったり、一瞬の判断が全てを奪っていく様だったり、今観ることが出来る映画館で観るべき映画の1本だと思う。

わたしは立川の爆音上映にも行きます!!絶対気持ちいいんだろうなー!!

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