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きものの魔法にかかったとき 〜私のきものストーリー〜

こんにちは。
和装イメージコンサルタント
和創塾 〜きもので魅せる もうひとりの自分〜 主宰 
上杉惠理子です。


こんな肩書きをもって、毎日のように きものを着て過ごしているので「上杉さんのお家は、伝統芸能のお家ですか?」「呉服屋さんの娘さん?」…とよく聞かれます。

実は私、24歳まで きものに全く興味なく過ごしてきました。成人式で振袖をレンタルして…苦しかったなぁ〜笑


私がきものとちゃんと出会うことになったキッカケは、24歳のときにアメリカに交換留学をしたことでした。当時、ちっとも英語が上達せず授業にもついていけない。初対面の人にはいつも「チャイナ?」「コリアン?」と聞かれ、日本の存在感の薄さを感じていました。しかも、小柄で童顔の私は24歳というと「えー!若いね!見えないね!」といつも言われ、嬉しいよりも、「このまま社会人になってもずっと学生扱い/アシスタント扱いなんじゃないか」と危機感を感じました。

24歳/アメリカ留学時代1

そんなときに、国際交流のイベントで留学生仲間と浴衣を着る機会がありました。まだ浴衣も着れなかった私は、同じく日本からの留学生の友達に着せてもらい、皆でパレードをしたり、手作りの和食を振る舞ったりしました。

そのとき「kimono、かっこいいね!」「日本の文化は素敵!」とアメリカ人の友達に喜ばれたことがとても嬉しかった。kimonoは会話のキッカケになりました。そうか、世界を舞台に仕事をしたいなら、絶対にきものは使える!きものを着たら、大人の日本女性として私も堂々と世界に立つことができる!そうピンときた私は、帰国後すぐに着付けを習い始めます。これが私のきものとの出会いでした。


「きものを着ることが武器になる!」そんな下心満載で、きものを着始めた私でしたが、きものが持つ ものすごいチカラを体感することになります。


まず母のきもののタンスを開けてみることから始めました。私の母は若い頃、和裁の仕事をしていた人だったので、きもの用のタンスを持っていました。ですが、母は自分では着ない人だったので、私は何が入っているのか全く知りませんでした。そんな母のタンスを開けてみたら…まるで宝箱のように、ザクザクときものや帯が出てきました…!!



当時で20~30年前のものでしたが、そんな古さは一切感じさせない。美しい色と洋服では見ない存在感いっぱいのきものや帯の絵柄に心奪われます。これは結納で着た色無地、これは初めて自分で仕立てた訪問着、これは新婚の頃お父さんに買ってもらった帯…きもののことを教えてもらいながら、母から昔の話を聴くのはとてもとても素敵で幸せな時間でした。

そんな母のきものを、あれこれと自分なりに選んで出かけるようになります。


私はもともと洋服のおしゃれが苦手でした。ぽっちゃり体型へのコンプレックスがとても大きくて、少しでも着痩せするように黒ばかり着て、ノースリーブなど肌を魅せるスタイルは一切着られませんでした。そんな洋服ばかりきていたので、「花柄ピンクのワンピースなんて私のキャラに合わない」と気持ちまで凝り固まっていました。


そんな私が、きものだとあら不思議!
どんな色柄でも抵抗なく着ることができたのです。しかも、一歩外に出れば「おきもの、素敵ですね」「お似合いね」とたくさんの方が褒めてくださいました。外見を褒めてもらえるなんて初めてだった私は、サーモンピンクの色無地、花の刺繍の帯、黄色と緑のグラデーションの紬…と喜々として着るようになりました。きものを着ている自分が好きだと思うようになり、きものを着るとなかなかイケてるじゃないか自分♪と思えるようになり…気がついたら、体重がストンと落ちていました。あんなにダイエットしても痩せなかったのに!!

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痩せなくてもなんでも、今の自分のままでOKなんだ、とそのままの自分を認められた人生初めての瞬間でした。


きものを着る。
母や家族の思い出が詰まった きものを着る。
自分なりに意思を持って選んだ きものを着る。
ただそれだけで、ダイエットもエステ通いもしなくても、こんなに自分が好きになれる。

しあわせな時間が増える。


外見が変わると内面も変わります。人生も変わります。
私はそんな人生が変わる瞬間を、伝統衣装きもので引き出したい。

そして、きものを着こなす先にある無限の可能性を、クライアントさんたちと一緒に見たいと思っています。

はじめてサポートいただいたとき、本当に本当に嬉しかった。準備したセミナーや有料記事を購入いただくのとは全く違う喜びでした。本当に励みになります^^