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「聞く」ということ、「書く」ということ。書くことで何がしたいのか、ライターとしてのありかたを考える

空から降り注ぐ雨水が、何十年もかけて森の奥の清らかな泉の一滴となるように。生きることを通して言葉を綴る5人の書き手によるちいさなWebマガジン「水澄む、草青む」。

メンバーが集まると、自然と「書くこととは何か」「書く上で大切にしたいことって何だろう」といった話になります。

雑談だけど、私たちにとって、それぞれに大切な時間。
そんな話を、記録として残せないか。

今回は、インタビューの下準備から「聞く」ということ、インタビューの場所のセッティングやディレクション、文字起こしや記事の批評性、ライターとしてのありかたまでを5人で話しました。


インタビューの下準備をどのようにするか

飛田恵美子:インタビューの下準備って、みなさんどうしていますか?杉本さんはどのくらい下調べをしていますか?

杉本恭子:どのくらい下調べをするかは、相手によりますね。たとえばWebマガジン「雛形」で連載している「かみやまの娘たち」のように、いわゆる一般の方にインタビューする場合は、そもそも事前の資料がほとんどない。お名前でWeb検索はしますが、なんの手がかりもない方もいます。そういうときは、紹介してくれた人に大まかなことだけ聞いて、あとはぶっつけ本番ですよね。インタビューで聞けるだけ聞く、というのがひとつのパターン。

もうひとつは、著書や作品があり、その記事のテーマもはっきりしている場合、できるだけたくさん読んで問いをつくる作業をします。取材準備の時間が思うようにとれないときもあるけれど、その都度できる限りのことはしていきます。

でも、どちらかというと、私は準備の足りなさや取材中の反射神経の悪さを、音声を聴き込むことで補っているようなところもあります。文字起こしを読み込んで、もう一度調べ直していることもあるから。どちらかというと取材後に比重があるタイプかも。江利子さんはいかがですか?

増村江利子:私も、取材の下準備は相手によりますね。自分の経験値や知識から、質問がすっと出てこなさそうな相手の場合は、下準備を相応にしていかないと、何かしらの核心というか、真ん中の見えにくい部分を相手から引き出すのは難しいですよね。

ただ、ご本人の著書で書かれている内容とかは別ですが、インターネットや雑誌に掲載されている情報をあまり信用していないというか。もちろん調べて、すべて目は通しておくんですが、自分ではない他の誰かによって編集された情報である、という視点でメディアを見ています。

具体的な話をすると、取材前に、つかんだ情報をノートにざっと書き出しておくんです。ここ最近は、パソコンではなく、アナログなノートに戻しています。できる限り見開き1ページ分、と決めていて。数ページにわたると取材中に何度もノートをめくったり戻ったり、聞くことに集中できないから、ぱっと見れる情報量だけ。事実や、それに対して自分がどう思っているのか、どんなことを聞きたいかを書いておいて、でもいったん忘れることにして、取材にのぞみます。美砂子さんはどうですか?

池田美砂子:私も相手によるなと思っていて。もちろん基本的な情報、たとえば著書があるなら調べて読んだり、過去のインタビュー記事がメディアに出ている人は、その記事を読んでおきます。

私も江利子さんと同じく紙にまとめる派で、ノートにマインドマップのように調べた情報を落とします。プロジェクト名や人の名前、取り組みやコンセプトを書いていくんですけど、過去のインタビュー記事の中で語られた言葉とかも、青い字でメモをしておきます。江利子さんは既に出ている情報をそんなに信じていないと言っていたけど、私も信じていないのかな。もうちょっとこう聞いてみたいな、という点を書いておく。インタビュー中もその青い字を追って、このインタビューではこんな風に話されていましたけど……と問いかけに使ったり。

基本的には下準備はすごく大事だと思っていて、力を入れてやるほうだと思います。過去に同じテーマでインタビューを受けていたら、同じ質問に答えることに時間をさきたくないだろうと思っていて。下調べは十分にしてきたので、基本的なことはお話いただかなくても大丈夫です、という前提で話せるように、インタビューの最初に、下調べをしてきたことを相手にも伝えますね。

飛田:マインドマップ、見たいです! 羅列するのと何が違うんですか?

池田:箇条書きだと直線的にしか見れないから、インタビュー中に、今話のどこにいるのかがわかりにくいかなと。丸があって線で結んであると、ここは聞いたから、今度はこっちも聞いてみようかな、とか回遊できる。それぞれにやりやすい方法はあるはずですよね。まんぼうはどうですか?

平川友紀(まんぼう):あんまりちゃんと考えたことがないかもしれない(笑)。普通に下調べはします。でも「なぜ下調べをするのか」のほうが大事ですよね。ライターになりたての頃は、インタビューが30分で終わっちゃった経験もしょっちゅうあるんですけど、その頃はめちゃくちゃ調べて、ノートにびっしり書いていました。何かのインタビュー記事を見つけたらコピーして持って行ったり。

今はそこまでやらなくなりました。最近はメディアに情報が溢れているから、調べすぎることの弊害も感じていて。たとえば有名なプロジェクトについて取材するとして、そのプロジェクトの情報は出尽しています。相手も取材慣れしていて、それ以上の話は簡単には出てきません。そんなときに、情報をきっちり読み込んでから取材に望むと、話を聞いた瞬間の感動が薄れてしまうんですよね。で、私自身の感動が薄れてしまうと、結果的に当たり障りのない記事になってしまう。だから、最低限の情報はおさえておくものの、必要以上には読み込んでいかないように心がけています。


インタビュー時の、自分の感動をどうつくるか

飛田:調べすぎないほうが、感動があるって実感はありますか?

平川:感動があるというか、感動をつくらないといけないなと。どのくらいの塩梅がいいかっていうのは難しいですけど、特に私は、インタビューが得意じゃないという自覚があるので、自分の中に余白を残しておくというか。

知っている話を聞くのと、知らない話を聞くのとでは、あとで言語化する上でわずかに違いがあると思うんです。知っていると、ちょっとしたニュアンスを聞き出しにくかったり、「はいはい、そうですよね」と流して終わってしまう。だけど、自分が前のめりになれていない記事って、やっぱりいい記事にはならないと思うんです。

飛田:先日、取材の下調べで動画を見たんですが、取材先でその動画と同じ光景を見せられて、あ、動画で見たやつだ、ってなりました(笑)。あれは見ないほうがよかったのかなって今思いました。

杉本:調べていなかったり、知らないと聞けないことも結構ありますね。なかには「著書に書いたことは知ってて当然」というスタンスの方もいますし。「もうちょっと準備できていたら、もう一歩踏み込めたのに!」という後悔もたびたびあって。そうした失敗の集積によって、どんどん準備をていねいにするようになってきたのだと思います。

その一方で、初めて知るからこそドキドキして深く入っていける面白さもあるよな、という気持ちもある。しっかり調べる良さと調べすぎない良さ、どっちもあるんじゃないかな。理想としては、下調べはするけど、気持ちはまっさらになってのぞむということかも。


インタビューという場のディレクション

杉本:インタビューでは、あまり私は場のディレクションをしないんです。用意した質問に沿っていくというやり方もしていません。1時間半くらい集中して真剣に聞いていけば、聞くべきことはだいたい浮かんでくるだろうという感覚があって。同行してくれる編集者さんが驚くことがあるほど質問しない(笑)。みんなどのくらい質問をしていますか?

飛田:杉本さんの質問をしないっぷりが、どの程度なのか気になりますね。

杉本:最長記録は、ひとつめの質問のあと、27分間じーっと聞いて待っていました。

一同:(笑)。

飛田:その27分の間に、イライラしたりはしないんですか?

杉本:この人はこんなに話したいことがあるんだなと思ってた。最初に集中して聞いたら、その聞く時間の中に芽生える信頼関係ってあるかなと思っていて。そうすると、次の受け答えが安心してできる素地ができる。だから最初の何分間か鍵だと思って大事にしていますね。「この人聞いてくれる人だな」「話していいんだな」というのを言葉ではなく感覚的にわかってほしい。美砂子さんが言っていたような、調べてきたことを最初に伝えるのも信頼づくりだと思うし、どういう態度でその人といるのかがうまく伝わればいいなと。

増村:私にインタビューのテクニックは多分あまりないんですが(笑)、インタビューの時間を通して、記事で伝えたい何かしらのメッセージを私自身がクリアにしていって、インタビューイーの言葉に乗せて社会に届けるという意識を持ってインタビューにのぞんでいます。なので、1時間なら1時間、1時間半なら1時間半、かなり真剣に相手と向き合っていると思います。

だから、取材の予習もするんだけど、一度予習したことを手放しますね。事前につかんだ情報を確認しに行っているわけではなくて、インタビューイーの言葉から、五感をフル稼働して、自分の中にある問いと、その答えなりアイデアなりヒントを見つけていくというか。予習だけでのぞもうとすると、予習したこととほんのちょっと違うニュアンスが含まれていたとしても、自分の目が曇ってしまっていて気づかないことがあると思っていて。

杉本:「曇りなき眼」ですね。

増村:そう。まんぼうも下調べをしすぎないようにしていると言っていたけど、むしろ予習や予測からのギャップを探したい。予習したことや先入観で描いていることとは違う、私なりの発見を、私自身が楽しんで見つけないと。それが記事の価値になりうる大切な部分だと思っていて。でもそれは偶然に任せるのではなくて、ここはもっと聞いたほうがいい、ここはおもしろいって気づく、その直感は鍛えないといけないと思います。


文字起こしと、ライターとしての表現

平川:インタビューライターって、インタビューイーの言葉を記事にするわけじゃないですか。でもそれは、ライター自身の表現でもある。インタビューイーの言葉であって、私の表現でもある、という矛盾とどう向き合うか、かなり悩んだ時期があります。

そんなときに、インタビュー・カルチャー・マガジン『SWITCH』 の編集者(当時)、堀香織さんの文章に出会いました。堀さんは、その人の言葉を通じて自分が感じたことや考えたことを前面に出してインタビュー記事をつくっていました。それがすごくすばらしい文章で「あ、これでいいんだ」と思えたんですね。インタビューイーの言葉を借りるんだけど、そこに自分の思いを乗せていい、そう思えたことで、インタビューライターを続けることができました。

たぶん、インタビューしたときのその場の感動を、どんなふうに自分の中で消化していくのかっていう意識を持つことが大切なんじゃないかなと。余談ですが、最近のライターさんは、文字起こししない人も多いみたいですね。音声入力も精度が上がってますし、文字起こしはすごく面倒だから気持ちはわかります。でも私はインタビューと文字起こしを、いまだにぶつ切りにはできないです。つながってる。あらためて聞き直したら、インタビューのときは聞き流した部分に、言葉の微妙なニュアンスを感じとれたりもするんです。だから、文字起こしは大事だなってすごく思いますね。

杉本:そのあたり、美砂子さんの考えはどうですか?

池田:文字起こしは自分でする派です。一度、文字起こしを依頼したことがあるんですけど、人に起こしてもらった言葉をもとに記事にしていくのって私はダメでしたね。自分で文字起こしをしながら、同じ話題が出てきたときに、前半と後半で何が違うのかを考えたり、マーカーを引いたりしています。その作業がすごくよくて、インタビューの時間がよみがえってきて、楽しくて興奮している。結構好きです。大変ではあるけど、大事にしているかもしれない。

杉本:私も文字起こしは、100%自分でやりますね。人に起こしてもらったら、それを見ながら聞き直します。

平川:今まさに、人に起こしてもらったものを聞き直しています(笑)。

杉本:場合によって、文字変換がめちゃくちゃなこともありますしね。

平川:そうなんですよね。さっきの下準備の話もそうですけど、自分の手を動かすことで自分のものになっていくんだと思います。だから文字起こしの自動化はできないですよね。

池田:文字起こしという作業に立ち会っていないと、そこに気持ち悪さが残りますね。すごく個人的な作業だと思っていて。

杉本:文字起こしを自分でやっている限り、稼げないという問題はあるかもしれないけれど、でもやっぱり自分で起こしたいかなぁ。

飛田:杉本さんってインタビューのときに、パソコンで打ち込んでいると聞いたような……。

杉本:うん、してます。現場で6〜7割は起こしていて、それをもとに文字起こしを完成させるので時間は短縮できています。手はタイピングしていても、相手の目を見ているし、わりと気にせず話せてもらえていると思います。もちろん、気になっているようすが見えたら手は止めます。

飛田:私は今そこで揺れていますね。インタビュー時にパソコンで入力したほうが、明らかに文字起こしは早い。そんなに違和感なく聞けている感じはするんですけど、ノートよりはパソコンの高さの分だけ相手との距離ができる気がしないでもないという。

杉本:あー、机にパソコンを置くと壁ができるので、だいたい膝に載せて相手から見えにくくしています。

飛田:池田さんや増村さんはノート派ですか?

池田:私は、インタビュー時のメモは、ノートにキーワードレベルしか書かないですね。テープ命。パソコンを使うとあまり集中できなくて。だから書くのに時間がかかるんですけどね。江利子さんは?

増村:私は自分なりにいろんな過程を経て、今はノートに落ち着いています。でもこれから先もずっとノートでやっていくかはわからない。何か他に方法があるなら、あれこれ試してみたい。パソコンを使うと、キーボードを見なくても打てるけど、ほんのわずかに自分の脳の一部がタイピングに使われてしまうから、もったいない感じがして。子連れインタビューをしたことがあるんですけれど、子どもはおとなしくしていても、いるというだけで2割、3割くらい自分の注意が子どもに向いてしまうという経験をして。全身全霊で、じゃないけれど、本気でのぞもうと思うと、今の私にはノートがいいのかなと。

飛田:インタビューをしていて、ここをもうちょっと聞きたいなと思っても、話が続いていくうちに、その次に聞きたいことも出てきて、ひとつ前で聞きたかったポイントが流れてしまう、ということがあって。そういうときにメモをしておきたいなと思うんですけど。パソコンがいいか、ノートがいいかは悩ましいですね。

「聞く」ということ

杉本:ライターをしている中で、悩みながらやり方を変えていくことあると思うんです。私の場合は、以前はひとまず聞いてどうするかはあとで考えるというスタンスだったけれど、最近はもうちょっと準備を重ねたうえで、現場で問いをつくる力にもつながるし、もっと記事に深みが出るんじゃないかと考えるようになっていたり。みんな今、どういうところを悩んでいますか?

一同:……(考)。

杉本:美砂子さんと私は、西村佳哲さんの「インタビューの教室」に参加していて。聞くことのベースには同じものがあると思うんですが、ただただ聞くということと、質問をつくって聞いていくこと、その切り替えをどんなふうにしていますか?

池田:ただ聞く、というのがいつもできれば理想なんだけれど。自分の記事である以上、自分が持ち合わせている問いや思いって出てきますよね。ただただ聞くんだけど、私は今、その話をこんなふうに聞きましたと伝えて、考えを整理しながら聞いているかな。私の興味関心も相手に伝えつつ。それも西村佳哲さんメソッドかもしれない(笑)。

杉本:そうですね。

池田:ただただ聞くにしても、相手に気持ちよく話してもらえればいいということではなくて、私という存在がいるからこそ話してくれている、と解釈をしています。相手が話したことに対して、そうだよね、そうだよねとか上から自分をかぶせたりはしないんだけれども、その話に対して自分はどう考えたから、じゃあ次は何を聞きたいか、と進めていく。

飛田:なんとなく、杉本さんと池田さんのインタビューって静かそうなイメージがあります。平川さんは笑いが多そうですけど、どうですか?

平川:うーん。繰り返すようですけど、聞くことが得意じゃないんですよ。だから、深い対話をしている実感はそんなになくて。相手によるところもあるし、テンパって最後にわけのわからない質問をしたりもします。毎回、反省しきりです。

池田:誰にでも反省するところはありますよね。

杉本:インタビューの最後に、編集者さんが同行しているときは、何か質問はありますか?と振って、なければ終わりにすることが多いですけど、終わったときにインタビューイーから「えっ、こんな感じで大丈夫ですか?」とか言われることはありませんか?「これで書けるんですか?」みたいな。

飛田:「ざっくばらんに話しすぎちゃったけど、大丈夫ですかね」とか。

杉本:「こんなあちこちに話が飛んじゃって書けますか?」とか。そんなふうに思わせてしまうインタビューをしたのかなと思ってしまう。めっちゃ話せた、と思ってもらえることがあまりないような気もしていて。私のインタビューは相手の納得を得られなかったんだろうか、と。私も満足したし、相手も話せてよかった、と思ってもらえるほうがよかったのかな、とか。

池田:「出し切りました」と言われたときは、じゃあ私、まとめ切らなきゃいけないんだな、とちょっとプレッシャーを感じたりもする。

飛田:捉えかたはふたつあると思うんですけど、普段、杓子定規なインタビューを受けていて、それに慣れているから、話したことから話がどんどん膨らんでいくインタビューは新鮮で、「自分は楽しく話せたけどまとめるのは大変じゃない?」という意味だったらいいですよね。でも、「本当はこういうことを言いたかったのに、あちこち話が飛んだせいで言えなかった」だったらどうしようかなと思いますね。

平川:話が飛ぶのはいいことのような気もするけれど。原稿に関係なく、話の脱線にその人の人となりが見えてくる。以前、大企業に勤めていた元営業マンのインタビューで、めちゃくちゃ酒を飲まされて、過去の栄光を語りまくられる、っていうことがあって。営業で接待しまくってたからお酒を飲ませるのが上手なんですよね(笑)。で、その話がめっちゃ長かったんですけど、めちゃくちゃ面白かったんです。モーレツサラリーマン時代があるからこういう今があるんだ、ということがよくわかりました。だから、とりとめのないことというか、思いついたことをポンポンと口に出せるのは、悪いことではない気がします。

ライターとしての、人それぞれの持ち味

増村:ライターさんの特徴というか、その人の持ち味ってありますよね。編集担当として同行するときには、自分がどう立ち回ったらその持ち味を生かしてもらえるかを考えます。話がきちんと整理整頓されていて、ここを聞き出したな、とわかるライターさんもいれば、単純に、インタビューの時間が楽しかったと思うライターさんもいる。もちろん、インタビューイーによるところもあるけれど。恭子さんが言っているように、インタビューの最初の数分で、相手もその持ち味というか個性を感じながら話すことになるわけで。

平川:編集者さんと取材に一緒に行くことがよくあるんですけど、当たり前だけど、人によって視点が違いますよね。最後に、聞きたいことはありますかって編集者に振ると、それは私の頭にはなかったなって質問を投げてくれたり、それ聞きたかったけど抜けてた、みたいなことを聞いてくれたり。だから、編集者さんが違う視点をもってフォローをしてくれている感じがあると、インタビューがよりいい時間になると思っています。

杉本:うんうん、重石になってくれている感がある編集者さんもいれば……。

平川:見張られている感じの編集者さんもいますよね。力量を見てやろうと思われているな、みたいな(笑)。

杉本:編集者さんから想定質問が送られて来るときは、事前に「想定質問から少し離れてもいいですよね?」と確認はするかな。さらに、想定質問をさらに深めておいて、自分のやりたいインタビューにもっていったりとか。

何かしらを伝えるための記事だと思うので、もちろんその企画には添いたいんだけど、「この質問項目で進めてください」と言われるとちょっと窮屈だったりする。緩やかな質問項目だったらいいのだけど。

平川:インタビューイーから、事前に質問項目を送ってくださいと言われる場合もありませんか。で、インタビューに行くと、その質問項目が印刷されてテーブルに置いてある、みたいな……。

杉本:インタビューイーさんに、質問項目への回答を読み上げられることもあって、それはすごく切ないですね。それならメールインタビューでもよいわけだし。

まあ、そういうときはプリントアウトした回答を「見せていただけますか?」と預かって、その回答からふくらませた質問をするんだけど。

平川:ボイスレコーダーの録音が終わってからのほうが、気持ちがほどけるのか、話してくれるケースもある。

飛田:でももし自分がインタビューを受ける側だったら、ある程度の質問項目はいただいておかないと、その場では思い浮かばないかもしれないなあと。

杉本:そうですね。インタビューの打診をするときに、なぜ会いに行きたいのか、なぜ話したいのか、このインタビューを通して何を伝えたいのかという企画書は送りますよね。たいてい見てくれていないから、当日もう一度企画書を見てもらって、「今日はこういうことを聞きたくて会いにきました」とお伝えし直したりもする。場のディレクションはしないけど、場のセッティングはしているんだと思います。


インタビューの「音」以外の情報と、記事の批評性

飛田:ちなみに、私はインタビューは音声以外の情報も重要だなと思っていて。電話取材、オンライン取材ってつらいなと思うんですが、みなさんはどうですか?

杉本:オンライン取材はつらいですね。顔は見えているんだけど、すごく微妙なタイムラグで、タイミングを掴み損ねたりもします。言葉が”情報”として削ぎ落とされてしまうから、感情が共振しにくい感じもします。

池田:私はインタビューに行って、その人のありかたに触れて「もうだめだ」と閉じちゃったことがありますね。現場に行ったら、取材陣がもうひと組来ていたんですが、そもそも合同取材だと聞いていなくて。さらに、社長さんの秘書に対する態度と、取り組みとのギャップがありすぎて。現場でその人にありかたに触れるのって大切なことだし、私は記事の中で、その人のありかたをできるだけ表現するようにしているんです。取材中にこんなことがあったとか。

飛田:マイナス情報も含めて伝わってしまうことが、記事を書く上でいいのか悪いのか、というのはありますね。

平川:記事の批評性については、どう思いますか?

杉本:批評性、難しいよね。

平川:若い頃は音楽ライターをやっていたんですが、私は基本的になんでも褒めるんですね(笑)。それで「批評性が足りない」ってずっと言われていて。でも批評することが、どうしてもしっくり来なかったんです。当時、インタビューで大好きなバンドマンに言われた言葉で「好きなものこそ疑え」という言葉があります。そのときはその意味がよくわからなかったんですけど、歳を重ねた今は、好きなものだからこそ、愛があるからこそ批評できる、ということもあるのかもしれないと思えるようになってきました。でもまだ、ちゃんとはそこに向き合えていません。

杉本:すごいわかる。批評性というのは、単純にダメなところをダイレクトに指摘するだけではないし。直接的な批評と、間接的な批評というか、表現のしかたにバリエーションもあるはずだと思う。これは、今一番悩んでいることかな。インタビューで気づいたことを、どこまで書いてしまっていいのか、どのスタンスから言葉にするのか。ただ単純に記録者にはなれないところに追い込まれていくって、ライターとしていつか出てくる悩みのひとつかもしれませんね。

平川:批評でも、気持ちよく読める記事もありますもんね。

杉本:自分なりの批評性の表現のしかたを、培っていかないといけないんでしょうね。ここにいる5人はみんな、すごく柔らかく「それってどうなの?」を表現している人たちだと思うんですけれど、どうですか? 取材対象者を選ぶ段階から、そこに批評性を持たせていることだってありますよね。なぜこのタイミングでこの人に話を聞くのか、そこにすでに批評性があったり。

増村:批評性については時代性もあって、今はとても危うい時代だなと感じていて。批評性の高い記事を読んでいつも感じるのは、もしかしたらそこに、大きな誤解や思い込みを含んでいないかってことなんです。批判の度合いに関わらず、そう思う。どうしても自分自身というフィルターがあるから、少しの誤解も少しの思い込みもない、という地点に立つのって難しいですよね。

時代性と言ったのは、今誰もがジャーナリズムというか、そうしたものに意図せずに参加している時代だと思っていて。職業でいうジャーナリストと、一般の人の記事が並列で並んでいたりする。個人の意見が社会に届く、表現という意味合いにおいてはおもしろい状況なのかもしれない。でも一方で、言葉の扱いをあまり考えずに鋭い言葉が行き交っている、つまり簡単に人を傷つけてしまう、しかも多くの場合は、傷つけたことに本人は気づいていないという恐ろしい状況だとも思う。その怖さを認識しなきゃいけないなと思っていますね。ほんのわずかかもしれないけど、何かしらの誤解や思い込みによって、傷つけてしまっている人がいないかどうか。

平川:なるべくいい面を記事にしたいと思っているから、裏話をいろいろ聞いても、そこは記事化しないですよね。記事を読んだときに人がどう思うかを考えるから。ただ、記事化していない話を知っている分、一般の人よりは、その時代性に飲み込まれてはいない感覚はあります。TVのワイドショーなんかを観ていると、今の時代における批評がどこに向かっていくのかは気になりますね。批評性もそうだけれど、そもそも情報が多すぎて怖い。

池田:私は、自分自身に対する批評性、自己批評性を持っていることってすごく大事だと思っていて。自己批評性のない人には読者も共感できない。たとえば社内の対談とかで、いい面ばかり拾うと、読んでいる人は気持ち悪いですよね。だから敢えて、その人が持っている自己批評性を表現したりします。

平川:ただPRしたい、いい面ばかりを伝えたい、っていう邪な気持ちは相手にも伝わりますね。ライターが心を売った記事は、だいたいバレる。だから、客観的に記事に落としていかないといけないところもあるよなぁと。

飛田:なんとなくこれは聞いてほしくないのかな、裏事情でこういうことがあるのかも、という点を、私は結構聞いてみちゃうんです。そうするとわりと話してくれる。裏事情がどんどん出てきて、どうやって記事をまとめようかと思ったりもします。

杉本:ここは誰も記事にしていないということを聞くことはありますね。聞いてみると、「それは誰も記事にしなかったよね」と納得することが多いけど(笑)。それでもやっぱり、聞いておいてよかったと思うんだよね。インタビューの最後に「書いてほしくないことはありますか?」と聞いてみたら、「以前はNGだったけど、今はもう書いてもらって問題ないです」と言われることもあります。


ライターとしての「ありかた」ってなんだろう?

平川:それぞれがどうインタビューに向き合っているか、結論のようなものはいらないかなと思いました。要は、みんなやりかた違うよね、っていうことかなと。共通していることがあるとしたら、こうなのかな、ああなのかなと探求し続けていて、それによって成長し続け、変化し続けているっていうことかなと思います。つまり、常に問い続けることが、言葉の世界なんじゃないかなと。

増村:問い続けることで成長するって、本当にそうですよね。今のやりかたが正しいとは思っていなくて、今の自分にフィットする方法だというだけで、これからもきっと変わっていく。でも大切にしたいことは多分ブレなくて、自分はその記事を掲載することで、どんなメッセージを社会に、読者に届けたいのか。要は、自分自身の問いはどこにあるのかってことなんだと思います。

杉本:みんなの話を聞いて「えっそうなの?」「そんなことするの?」というのがひとつもないって逆に衝撃かもしれないですね。「それもありだね」「それは私もやる」「そんなときもあるかな」とか。やればやるほど、問いの矢印は全部自分に向いてくる仕事だなと思う。人を問う前に自分を問うべきというか。

この間、自分の卒論を発掘したので読んでみたら、今の自分とあまり変わらなくて愕然としました(笑)。当時はライターになるつもりなんてなかったのに、「これからもペンをとり、言葉を媒体として表現をしていきたいと思う。つたないこの文を、私の連続する出発点のひとつとしたい」って書いていて。

今はまさに、毎記事、毎記事が「連続する出発点」なんだけど、次の出発点へを繰り返していることは、幸せでもあるなと思いました。そのなかで、生涯ずっと自分を問うしかないと思います。もう、覚悟決めるしかない。

飛田:みんなの話と自分がやっていることはそんなに違いがないなと思いつつも、インタビューの現場に行ったら違うのかなと。だから見に行きたいなと思いました。今日のみなさんの話す姿勢からも、インタビューではこんな感じ、という片鱗が見えてくるような気もしました。私はみんなと比べて、軽いノリで、結構ちゃちゃとか入れているかもしれない(笑)。「え、ホントですか?」「すごーい」とか、文字起こしをしていると頭が悪そうというか。杉本さんとか増村さんは、話をちゃんと聞いた上で曖昧なこと、そうも言えるけどこうだよね、ということをしっかりと言語化することができていて、取材の中でもこうなんだろうなと。私は言おうとしていることがわからなくなっちゃう。

友人のライターが、杉本さんのインタビューの様子を「すごいガチだった」と言っていて。真剣で笑いとかない感じだったと。

杉本:それはライター講座のときだったから、みんなに見られて緊張してたんだと思うよ。

飛田:それで今、何を言おうとしていたのか見失ってしまったですが……平川さんもさっき、言いたいことがわからなくなったと言っていたけど、そういうの聞くと、なんか安心しますね(笑)。あ、そうそう、相手の言葉から考えたことを、インタビューの場ですぐに言語化できない点をなんとかしたいと思っているので、アドバイスがあったら教えてください。池田さんはマインドマップで頭を整理しながら聞いているのかなと思って。それができたらまた違ったインタビューができそうです。自分としてはそこがコンプレックスだったんですが、できていないことを自覚するのが第一歩なのかなと思いました。

池田:インタビューのスキルというか、インタビューをどうやっていますかという話から入ったんだけど、その話をしながらも、自然と自分の大切にしたいことの話になりましたね。みんな何年もライターをやっているけれど、今も模索し続けていることが新鮮というか。だからこのメンバーなんだなというか。マニュアル本みたいなスキルを身につけているわけではないし、誰かがこうやっているからということでもない、自分自身がどうしているか。だからこそ、ライターがそこにいる感じがする、そんな記事ができてくるんじゃないかなと。

平川:ライターがそこにいる記事ね。そういうライターの存在感が、どんどん薄れているような気がしています。

池田:逆に、ライターのキャラが立っている記事はありますね。

杉本:昨今は、芸人的な表現で記事を書くライターさんも増えていますよね。芸風は違っていても、やっぱり自分のありかたは問うているんだと思う。

平川:結局、表現者であるかどうか、ですね。

池田:繰り返しになっちゃうかもしれないけど、聞いたり書いたりしていると、ひたすら自分のありかた、人としてどうあるべきかを問われるなって思うんですよね。執筆テーマはなんですかと聞かれると、自分のありかた?とか思ってしまう。

平川:いろんなライターさんに聞いてみたいですね。どうしてライターになったのか。

杉本:ライター向けの講座でお話するときに、「ライターとしてどういう自分でありたいかということと、どんな社会をつくりたいかはほぼイコールです。みんなどんなふうでありたいの?」って聞くと、「あ、初めて自分に触れてもらえた」という空気が出てくるんです。しかも、問われると嬉しいみたいでいい雰囲気になるんですね。

池田:私もライターさん向け講座をやったときに、「スキルを学びにきたんだけど、自分のありかたを問われちゃいました」という感想が多くて。私のやりたいこと、ライターさん講座で伝えたいことって、そういうことなんです。

杉本:「私はこういうふうに生きてきたけど、みんなはどう生きていきたいの?」ってことをみんなとやりたいわけですよね。一番ベースにある、書くことで何をしたいのか。自分に対する問いが深ければ深いほど、人に対する問いも深くなるんじゃないかなと思いますね。

平川:なるほど。『BEの肩書き』(兼松佳宏著)がバズったのはそういうことか。

杉本:YOSHさん(兼松佳宏さん)がそこにたどり着くのはすごくよく理解できると思いました。

平川:世代の違う、若いライターさんとも話してみたくなりました。

杉本:フリーランスには「食べていけるのかな」という不安はあると思う。ただ、その不安にとらわれてしまうと、報酬の多いクライアントがベストってことになっちゃう。「そうはいうけど、何が書きたいの?」って話をする機会は増やしたいかな。

飛田:生活をつくることが不安な世代なのかな、という印象があって。私が学生のころは、夢を逆算して、何歳までにこれを成し遂げる、みたいな考え方をするタイプが周りに多くて、自分自身もそうだったんです。でも、実際にフリーランスになってみたら、自分でコントロールしようとするよりも、人からいただく縁によって道が広がっていくことが多かったなぁと。だからお金はどうにかなるって思っているんですけど、若い内はそういう実感がないから、「自分でセルフプロデュースを頑張らなくちゃ!」と思ってしまうのかもしれないですね。

平川:私たちの世代だからこそできること、若い世代だからできること、それぞれありますよね。そうはいっても、大切にしたほうがいいと思っていることは伝えたいかな。

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いかがでしたでしょうか。次のテーマは未定ですが、また5人の雑談をお届けできればと思います。

つづく。

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