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1/31/24(水) 毛利人

 心ゆくまでピアノ基礎練ができてとてもうれしい。いとこおばの病院の付き添いには結局行かなかった。朝、支度をしている母を見ていると、悪いなあという気持ちになったけど、基礎練がこんなにできて、結局しあわせな気持ちにもなった。自分に対してなるべく罪悪感を感じないようにしたい。今日家族のためにした仕事は、母を起こしたこと(母は朝遅め)、いとこおばの家から病院まで Uber を手配したこと、愛之助の餌やりとトイレ掃除。Uber の運転手さんがいい人だった、と母たちがよろこんでいたのでほっとした。母といとこおばと車中タイヤル語で話していたら、
 「你們在講母語嗎?」
と運転手さんがたずねてきたので、そうだと言うと、
 「昨日ちょうど『セデック・バレ』見たところなんです、あれはすごい映画ですね」
 と言われたらしい。若い人だし、話合わせてくれたのかもしれないけど、と言いつつ、母の声が少しうれしそうだった。家族でタクシーに乗る時、母たちは家にいる時みたいにべらべらタイヤル語で話すので、私は隣に座りながらいつも少し緊張している。日本から来た友達が日本語でべらべら話している時も、私はちょっと緊張する。別に運転手に何かされるとかいうわけじゃないけど(時々そういう時もあるが)、何もされないとしても、「違う」というのは人間にとってそれなりのことであると私は思っている。

 明日はヘルシンキから台湾に帰国したばかりのタイヤルの友人と会う。なにしろ数年ぶりなので、六張犁の近くのいい感じのコーヒー屋さんで二人で積もる話でも、というはずだったのが、昨日、「フィンランドで同僚だった友人が基隆でウォーキングツアーを主催するから、もしエリも行きかったらそっちに行かない?」と突然誘われた。全然コーヒーじゃないぞ、積もる話ができなさそうだぞ、と思いつつ、まあ自分じゃまず行かなさそうだし、いいよ行く行く、と答えてみたら、先ほどそのウォーキングツアーのしおりが送られてきて、なんと私はマオリ族の学生グループの引率、というか、付き添いというか、もしくはマオリ族に紛れさせてなのか、そんなような位置付けになっている。友人の同僚は台北の大学の先生をしていて、どうやらそこに国際交流で来ているマオリの学生たちを案内するツアーの模様。今この note を書いている最中も、先ほど私もメンバーに加えられたグループチャットがピコンピコンと通知を鳴らし続けていて、
 「毛利人一位有海鮮過敏」
と友人の同僚のメッセージが飛んできた。

 毛利人一位有海鮮過敏。
 マオリの学生さんで一人海鮮アレルギーのある方がいらっしゃいます。
 マオリ人1名海鮮アレルギーあり。

 この違いの合間を私の頭はぐるぐる楽しんでいる。毛利人。
 明日がなんだかんだ楽しみ。

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