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ネガティブ感情で消化不良を起こして

《暗めです》


知性も理性もない猿に戻ってしまったらみんな、幸せになれるだろうか。
知性があることで知り得る幸福だって、知らなければ悲しくはない。そして、身を引き裂くような悲しみや苦しみを知ることもきっとない。


そんな悲しいことを無表情でパソコンに打ち込んだ。
きっと、こんな思いを周りに打ち明けたら「暗い!!」と蹴飛ばされてしまうのだろうな。

好きでネガティブになっているわけではないけれど、意識してポジティブになることもない。ただ、そのとき思ったことを吟味して、咀嚼して、飲み込む。
今日、胸に絡まった思いは、すこし後ろ向きなものだった。その絡まったものが、どうしても自分では処理しきれなくて、今ここで吐き出している。


不幸があるから、幸せが尊いものに感じる。
でも、幸せを感じるための不幸が、あまりにも辛い

それなのに、わたしが感じている不幸は世界のどこかの不幸よりはずっと軽いもので、わたしが当たり前のように享受している日常は世界のどこかでは、当たり前などではない。きっと、わたしが「幸せ」と感じるものは、そもそも「幸せ者」の土台に乗っているものなのだろう。

その事実が、わたしを締め付ける。

『なぜこんなことで苦しいと言えるのか。』

けれど、わたしの不幸や幸せが「他の誰か」よりもマシで良いものであっても、わたしはわたしの不幸や幸せを受け止めるのに精一杯なのだ。

「もっと苦しんでいる人がいるのに」と言う気持ちと、「でもわたしの心も十分苦しいんだ」と言う気持ちを、うまく扱えずにひとりでまた落ち込む。


苦しい毎日を自分なりに生き抜いても「誰かの不幸」に触れて、わたしなんてまだまだじゃないか。と勝手に落ち込むくらいなら、みんなみんな猿になってしまえばいい。自然の摂理に従って本能のまま生きる猿になってしまえば、きっと誰も悲しまない。自分の本能のままに、自分の時間を生きれば良いのだから。

考えることを放棄した私は猿に身を委ねた。



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