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周りに前例がないマイノリティな生き方・働き方をするって最高。

今年はただの寅年ではなく、36年に1度の「五黄の寅」。

だから、今年産まれる人と、今年36歳・72歳・108歳になる人は「五寅の寅」の寅年だ。

私も今年36歳になるので、それに当てはまる。

何やら「五寅の寅」生まれの人は運気が高く、気が強いんだとか。私の人生を振り返ってみると「うん、たしかに。」と思える。

小さい頃はいじめられっ子で、学校では全然馴染めなかった。勉強も運動もできない。友達もいない。だから放課後は、大好きなダンスを練習しまくっていた。その努力が実り、小学校6年生でミュージカル「アニー」の出演が決まった。あんなに私をゴミ扱いしていた友達たちが嘘のように手を平返し、尊敬の眼差しで見られるようになった。

その時の経験から、「私は普通じゃいられない」「周りと足並みを揃えなくていい」「好きなことを信じて極める」という価値観が、いつの間にか生まれてたんだと思う。


子供を産まない結婚生活

「私、子供は産まないよ」という条件を突きつけた私に、それでも夫はプロポーズを申し込んでくれた。

結婚して、今年で5年目を迎える。

あれから「子供は産みなよ」って、YouTubeのコメントを合わせると100回以上、他人から言われていると思う。

子供は可愛いと思う。街中で見かけたり、動画で見つけたりすると、すごいホッコリするし、微笑ましい・・・という人間的な感情はちゃんと持ってる。

だけど、結婚5年目の私も今のところ、「自分で出産して子供を産もう」とは考えていない。

「子供がいる素晴らしさ」を語るのは素敵だけど、「子供がいない素晴らしさ」を語ろうとすると、なんだか角が立つ。

私はどちらのメリットもデメリットも何度も天秤にかけた上で、「やっぱり私は産まない」と決断している。

「子育ての苦労を知って成長してほしい」「自分の子供はやっぱり可愛いから産んでほしい」と言ってくる人の気持ちもわかるけど、その素敵なことよりも優先したい人生が私にはあるのだ。

夫との夫婦関係づくり、お互いの夢を叶えること、自分たちの時間をたくさん持ってゆとりある暮らしをしていくこと・・・

「それでも産んでほしい」「絶対に後悔するよ」と言ってくる人に、私はこう思う。

「それは私たち夫婦が決めることです。」

今のところ、ずっと一貫して「産みません」とか言ってるけど、「この先もずっと産みません」と言ってるわけではない。もしかしたら、まさかの来週に「妊活したい」って夫に申し出てるかもしれない。

“今この瞬間を生きる“私には、未来のことは私自身もわからない。

もし「ほしいと思ったけど年齢的にタイムリミットだった」となった場合は、たぶん私の性格上、後悔はせず、ちゃんと受け入れてると思う。綺麗になりたいからメイクをするけど、目の色や髪の毛の地毛の色は変えられない。今の私を受け入れて、そしてどう生きるかを考える。

これからも、そういう感覚でいたいから。

呼び名がない、私の暮らし

Uターン、Iターン、Jターンっていうキーワードをよく聞く。

田舎から上京したのち地元に戻る、Uターン。都心から田舎へと移住する、Iターン。上京したのち地元に近い地方都市に住む、Jターン。

私は3歳から東京の郊外で育ち、社会人になって新宿で一人暮らし。31歳で賃貸を解約、シェアオフィスに住民票を置き、アドレスホッパーになった・・・とここまでは割と普通。

と言っても、アドレスホッパーを始めた頃は「アドレスホッパー」という言葉自体が全く世間に浸透してなかったので、周りからは「家を断捨離しただと?!なにそれ!」って爆笑された。

私みたいな変な人が、実は全国にいっぱい居たらしく、アドレスホッパーのための多拠点居住サービスができたり、メディアで陽の光を浴びるようになってきた。

でもその頃には、私はアドレスホッパーというより、車に住んでいた。(結婚早々、車中泊生活)

(余談だけど、そもそも夫との出会いがTwitterだったということで、マイノリティな夫婦としてTBSのテレビ番組でガッツリ紹介された。ネットでの出会いのリアルについて、ハフポストでも執筆した。)

今でこそ「バンライフ」「バンライファー」という言葉はテレビや雑誌で頻繁に取り上げられて、軽キャンピングカーブームが来ている。車中泊がレジャーとして注目されている時代。

でも私たちが車に住み始めた頃は、これが「バンライフ」と定義されることはなかった。しばらく経ってから、アウトドアのメディアから取材依頼が来て「バンライフですね!素敵です!」と指摘されて、「あ、そうなの?」ってなった。

まだまだ珍しいライフスタイル・・・というか完全に変態扱いされていたので、あの頃はテレビ出演依頼がよく来てた。

今でこそ「バンライフ」してる人は星の数ほどいる。全国各地でバンライフ系のイベントも開催されている。

変態扱いされたライフスタイルも、やがて呼び名を付けられ市民権を得ていく。

じゃあ、今の暮らしはなんなの?・・・というと、自分でもよく説明がつかない。今説明した、どの暮らし方にも当てはまらない。

車中泊で日本を周っていた時は、シェアハウスや友達の家を使わせてもらって、洞爺湖(北海道)、能登半島(石川)、八ヶ岳(山梨)にそれぞれ数ヶ月間、滞在していた。「もう次の土地に行ってみたい」と思ったら、移動。夫のご実家(埼玉)にもよくお邪魔していた。

ワンコをお迎えしたタイミングだったので、中長期滞在が多めになった。アドレスホッパーの暮らしも捨てがたかったけど、ワンコがいると基本的に多拠点居住サービスで室内を利用できないので、バンライフに重きを置く暮らしだった。

すっかりインフルエンサー犬

今はどちらかと言うと、もうちょっと家に住んでいる時間が長い。宇治(京都)の古民家に半年間、今は奈良県の某田舎に半年以上住んでいる。どちらも夫婦の共通の知り合いが管理している家なので、とても融通を効かせてもらった。

今の家も、住みはじめて1年前後したら出よう思っている。

地方移住するIターンが「雷の呼吸 一の型 霹靂一閃」だとすると、私がやってるのは「霹靂一閃 六連」みたいな感じなので、なにターンなんだろう。とりあえず「引っ越しマニア」とでも言うんかな。

善逸すき

こういう風に、色んな場所に住んでみることが私にはシックリくる。

だけど、「その土地に住んでる人にとっては迷惑」とコメントで指摘されることもある。たしかに近所の人からして見れば「なんなんだ」と思う人もいるかもしれない。親切にしてくれるけど実際はわかんない。でも私たちは犯罪を犯している訳ではない。

車中泊生活が「バンライフ」と呼ばれる前も「お前みたいに車中泊してる奴は迷惑だ」と散財言われた。ちゃんとした車中泊スポットでマナーを守って車中泊してるのに。

だけど、バンライフが定番化されてからは、前ほど言われなくなってきた。そういうもんだ。

たぶんだけど、私みたいに暮らすのが好きな変態はいっぱいいると思う。「気軽に色んな場所に住むこと」がもっとスタンダードになっていく日が来るかもしれない。

いつだって、呼び名が付けられる前は生きづらい。

リモートワークが白い目で見られた時代

そういえば、働き方もそうだ。

今でこそ「リモートワーク」は、コロナによってニュース番組がこぞって取り上げてくれているおかげで、市民権を得ることができた。

私はコロナが来る5年くらい前から、フリーランスでリモートワークをやっていた。「パソコンがあればどこでも仕事できる」って話したら、すんごい怪しまれたこともある。

やっていたことは、自分のブログ書いたり、ライターの仕事やったり、オンラインコミュニティを運営したり。今でこそ、あるあるパターンだったと思う。よく地方在住の友達を何人か誘ってオンライン飲み会をやってたので、コロナでZOOM飲みが流行った時に「やっとこの楽しみが世に浸透したか」って密かに上から目線になった。

そもそも「フリーランス」という働き方自体も、10年前はあんまり理解してくれる人が周りにいなかった。「フリー?え?フリーターなの?会社員じゃないの?就職しなよ!」と友達に説教をくらったこともある。

ここまでの話をまとめると「私、最先端じゃね?」なんだけど、マイノリティじゃなくなるほど、社会に普通に埋もれていくので何の効力も持たなくなる。自慢するスキもない。誰も褒めてくれないから、自分で自分を肯定するしかない。

周囲に前例がない生き方は、生きづらい。これからもそうやって、普通じゃない方へ進んで、もがいて生きていくんだろう。私のことだから。

でも、周りにどう言われようと、ちゃんと私自身がシックリきた道を歩めているのなら、こんなに幸せな生き方はないと思う。

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リモートワークの日常

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