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凛として、優しい人。


先日、親戚のおばちゃんが亡くなり、お通夜と葬儀に参列した。

母方の祖父の弟の奥さんに当たる方(今までの呼び名通り、「おばちゃん」と書く)。86歳だった。


四半世紀前(随分経ったなあ)、私が大学生となって一人暮らしを始めた時、隣町に住むおばちゃん夫婦には、すごく良くしていただいた。実家が遠くなった私を気遣い、食事やコンサートに連れて行ってもらったりもした。


当時は郊外の一軒家で、おじちゃんと2人で暮らしていた。花や野菜をたくさん育てていて、遊びに行く度に、沢山のお裾分けをもらった。また、隣りに大家さんのものだという竹藪があり、4月下旬から5月上旬には、何度かタケノコ掘りに誘ってもらったりもした。

おじちゃんとはとても仲良しで、たまに小競り合いもしていたが、お互いを思いやっているのが伝わってきた。地域の活動にも積極的で、ボランティアやグランドゴルフに参加していた。

長年看護師だったおばちゃんは、いつも凛としていて、とても優しい方だった。そして、ユーモアがあり、お茶目なところもたくさんあった。いつでも笑顔で私の話を聞いてくれ、昔の話もよくしてくれた。人の悪口とか噂話は、あまり聞いた事がなかったと思う。

だから、すごく歳が離れているのに、居心地が良くて、私はおばちゃんと一緒に過ごす時間が大好きだった。

私が結婚し、娘が産まれてからも、数回遊びに行った。親戚の法事で顔を合わせることもあった。おばちゃんはいつでも優しく、私の近況を嬉しそうに聞いてくれた。

でも、その間に、おじちゃんが亡くなり、何年かして、おばちゃんは一軒家を大家さんに返して、自立型のケアハウスに入居した。近くにごきょうだいもいらしたけれど、一人息子さんは関東に住んでいたし、先々のことを考えて、そうしたんだと思う。

私は、同じ街に暮らしていて、遊びに行くこともできたはずなのに、なんとなく遠慮してしまい、ケアハウスには一度も遊びに行かなかった。そうこうするうちにコロナ禍になってしまい、近しい家族でさえなかなか会えない日々が続いた。そして、会わなくなって、何年も経ってしまった。

心のどこかで、「おばちゃん、元気かな?」と思いながらも、もうずっと、年賀状のやり取りだけだった。私が、家族写真を載せた年賀状を送ると、しばらく経って絵葉書のお返事が来る。その絵葉書は、きまって、おばちゃんが通っている教会のものだった。優しいタッチのイラスト。「年賀状ありがとう。」から始まるおばちゃんの温かい文字。いつだって、私たち家族の幸せを願っている、という内容だった。

お返事が来ることで、何となくほっとしていたのだが、その文字も、心なしか段々筆圧が落ちているように感じていた。


そして、今回の訃報。

体調が悪いということで向かった病院の診察室で倒れ、そのまま帰らぬ人となったようだ。本当に突然のことだったみたいで、皆驚いていた。

でも、それがあと3週間早ければ、私はまだ北海道にいて、お別れに駆け付けることが出来なかったかもしれない。偶然とは分かっていながらも、「おばちゃんは、私が九州に戻るのを待っていてくれたのかもしれない。」と思ってしまうくらい、優しくて気遣いの人だった。



お通夜、葬儀は、おばちゃんの通っていた教会で行われた。母も来て、親戚も集まった。それから、おばちゃんのごきょうだいとそのご家族。喪主をつとめる一人息子さんにも久しぶりにお会いした。

優しく微笑むおばちゃんの遺影を見ながら、皆口々に、「いい写真だね。」、「優しかったおばちゃんがそのまま写っているね。」と言っていた。

神父さんは、

・おばちゃんが最近まで熱心にミサに通われていたこと

・たくさんお話ししたことはないけれど、挨拶や短い会話の中に、優しさが滲み出ていたこと

・誰にでも優しくするというのは容易いことではなくて、心の真ん中に確固たる信念があってはじめて出来ること

・洗礼名にも、その気持ちが現れていて、その名の通り生きてこられたんじゃないかということ


などお話ししてくださった。その場にいた誰もが、頷いていて、おばちゃんからたくさんの愛情や優しさを受け取った人たちなんだろうなあと思った。

棺の中にお花を入れて、「おばちゃん、しばらく会いに行けなくてごめんなさい。そして、たくさん、たくさん、ありがとうございました。」という気持ちで手を合わせた。

息子さんは、最後のご挨拶で、「本当に優しくて、大きな愛で私を育ててくれました。」と泣きながら話された。


最後にこうして皆で集まり、お別れすることができて、本当によかった。


葬儀の後、親戚の方から聞いた話では、おばちゃんは、「もしも」の時に連絡して欲しい人のリストや、葬儀の段取り、納骨先まで全部細かく書き記していたそうだ。そして、遺された荷物もびっくりするくらい少なかったという。さらに驚いたのが、骨壺も手作り(陶器)で用意していたということ。見事なまでの終活。さすがだなあ、おばちゃん、と思った。


私は、おばちゃんから、たくさん教えてもらった事があるけれど、生き方、考え方そのものが全部お手本だった。朗らかで優しくて。そして、その「優しさ」は、「強さ」あってのものだということを、今回集まった皆さんとエピソードを共有したことで、強く印象付けてもらった。そんな素敵な方と出会うことが出来て、私は本当に幸せだなあと思う。

もうおばちゃんに会うことはできないけれど、思い出がたくさん心の中にある。そしてそれは、これからも私を支えてくれると思う。

教会からの帰り道、晴れ渡った青空を見上げたら、私を見守ってくれる方がまた1人増えたような気がした。



Mおばちゃん、たくさん可愛がっていただき、ありがとうございました。なかなかおばちゃんのようにはいかないけれど、私なりに毎日を大切に生きていきます。いつかまた会う時に、楽しいお話をたくさんしましょうね。久しぶりに再会したおじちゃんと、仲良く過ごしてくださいね。




***


最後までお読みいただきありがとうございました。

やっぱりきちんと悲しみを感じ、お見送りすることって大事ですよね。そして、こうやって書くことで、気持ちがとても落ち着きました。


母方の祖父のことも、以前書きました。今頃、みんなで宴会しているかもしれませんね。

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