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ピル、初診料、2800円。


自分は生理が重い方なのではないか、ということに薄々感づいてはいた。
腹痛と頭痛に耐え切れずに高校生の時からよく保健室に寝に行った。症状がもっとひどい時にはトイレで吐いていたし、それは特段珍しいことではなかった。
満員電車で立ちっぱなしでいたらどんどん視界が霞んでいって、電車を降りた瞬間にドラマみたいに真正面に倒れ込んだこともある。周りの人々はぎょっとしたように私を避けて円状の空間ができた。その時は、車椅子に乗せられて駅の医務室のベッドに運ばれた。
ああ死にてえな、今すぐ世界が終わんねえかな、と思う日は大抵生理がきていた。生理が終わればなんであんなに気持ちが落ち込んでいたのかさっぱりわからなかった。
ナプキンをつけるのが下手くそなのか、あるいは寝ている間の姿勢が悪いのか、下着やパジャマやシーツをしょっちゅう汚した。洗面所でそれを洗っている時間が途方もなくみじめだった。
初潮がいつ来たかなんてもう覚えていないが、毎月毎月、飽きもせず、女って最悪だ、と繰り返し思いながら、生きてきた。

*

自分は生理が重い方なのではないか、ということには薄々感づいていた。
それでもずっと、生理というものに対してぞんざいに生きてきた。
生理周期を記録していないので、問診などで「前回の生理はいつ?」と訊かれてもいつもよくわからなかった。ピルを飲むと楽だということを聞いてはいたが、それはずっと自分自身の選択肢には入らなかった。
生理のことを考えるのは生理がきている時だけでいい。それ以外の時に、「あと何日で来るな」とか、そういうことを考えたくなかった。「生理とはこういうものなのだから仕方ない」という諦念がなかったとは言わないが、それよりも私は、生理を意識しながら日常生活を送ることがとにかく嫌だったのだ。自分が女であるということを、毎月毎月ご丁寧に教えにやってくる生理というものをずっと厭いながら生きてきた。

*

生理というものについて、もう少し快適さを求めても良いのではないかと考えるようになったのはごく最近のことだ。生理用品に関する番組が放映されていたり、友達が生理用品のレビューをしたり、世の中が大っぴらになってきたのに合わせて、まんまと気持ちが変わってきたのだ。

はじめに試したのはタンポンだった。中学だか高校の時にタンポンの存在を知り、「膣に入れんの? 狂気かよ」と思って以来、選択肢から排除されてきたものだ。
ただ、とある番組内でタンポンの使い方について取り上げていて、女性タレントが「こうやって使うんですね」と言っていたのを見て、自分だけが強烈に嫌だと思ってたけど、世の中もあんまり使ったことない人がいるのかも、と思ってから急激にハードルが下がったのだ。それで、自分でもびっくりするくらい軽い気持ちで、私はドラッグストアで初めてタンポンを購入した。
プラスチックの器具に包まれたタンポンを挿入する時はやっぱり陰鬱な気持ちになった。なんで自分の体内にこんなものを。えずきそうになりながら入れて、でも入れてしまえば気にならなかった(無感覚ゾーンというものがあるらしい)し、膣内に入っているだけあって漏れがない。ナプキンだと失敗率が高い私にとってはたしかに便利な代物だった。

次に買ってみたのは吸水ショーツだ。下着そのものが経血を吸ってくれる。
ナプキンにしろタンポンにしろ、消耗品だ。買い続ければ馬鹿にならない。下着がその役割を果たしてくれるなら確かに楽だ。
私が買ったものは1枚5000円のものだった。どんどん手頃なものが出てきているようだが、きちんとしたものを買おうとするとまだなかなかに高い。生理用品にしろ吸水ショーツにしろ、女として生きるだけで余計な金がかかる。
使った感想としては、トイレでパンツを下ろしてまた履き直した時の湿った感じが不快だったが、ナプキンよりもむれにくいし、繰り返し使えると考えればまあいいかと思えた。
タンポンも吸水ショーツも、改善の余地ありという感じではあったが、それでもこれらを駆使すれば今までより格段にマシに過ごせそうではあった。
そして、段階を経て私が最後に手を出したのが、ピルだ。

*

生理というものに対してアプローチすることへのハードルがだいぶ下がっていた私は、ついに、ピル処方してくれるクリニックを検索し、予約を入れた。
当日行ってみると、入り口には「男性の入室をご遠慮いただいています。」と書いた張り紙が貼られていた。
土曜だったせいか、狭いそのクリニックは混みあっていて、待合室に入り切れずに何人かが外の廊下にはみ出して、自分の番号を呼ばれるのを待っていた。特別重苦しいというわけではないが、この人はどういう目的でここにきたのだろうと気になる気持ちと、お互いに立ち入ってはいけないという不文律のようなもので独特の空気に満ちていた。途中、どう見積もっても高校生にしか見えない女の子がやってきて、その子についてあれこれ想像しそうになるのを視線をそらしてやりすごした。そして、女しかいない待合室を眺めながら、男はこの空気を一生知らずに生きていくのだな、と思った。

「毎日1錠、飲み忘れたら気づいた時点で翌日の分も合わせて2錠、それ以上忘れた場合は連絡してください」

狭い診察室でそう説明されたとき、私の視界を覆ったのは小さな絶望だった。
漠然と「ピルは毎日飲むもの」だとわかっていたが、いざ自分がそれを使用することになり、その厳密さに心が折れそうになった。
生理を、女を、意識せずに生きていたいと思ってここまできたのに、これから私は毎日毎日これを飲み、なくなればまた予約をし、この薬を買い続けていかなければいけないのか。
やっぱり、最悪だ。
処方されたひと月分のシートを鞄にいれながら思った。
ピルの代金も含めたその日の初診料は、2800円だった。

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思うに私は、自分が女であるということにまだ納得していないのだ。
これは、女より男の方がいいとか男に生まれたかったとか、そういう相対的な話ではない。
例えば神様というものがいたとして、それが世界に産み落とされる時に我々の性別を決めているのだとしたら、私はそいつに詰め寄りたい。理不尽なこの国で、毎月毎月痛みを伴いながら出血する肉体を持ち生きることになるなんて、女という性別の仕様書には書かれていなかった。あんたは説明責任を果たしていない。きちんと私を説得し、女として生きることに対して然るべき保証をしてくれるまで、性別決定の契約締結は保留だ。それまでは、こっちだって「女の役割」とかいうものは一切引き受けたくない。そう言ってやりたい。

*

よく一緒に飲む男友達がいる。ある時、彼が強かに酔った時に言った。
「最近メディアなどを見ている時に、男であることを責められているように感じる。だけどどうしろって言うんだ」
その吐露に対して、「ああそうなんだ、そういうこともあるかもね」と無理やり流してしまったことを後悔している。

文章でこそ赤裸々に書くこともあるけれど、私は普段こういう話を周りの人と、特に異性とはしない。避けていると言ってもいい。自分が思っていることを冷静に、的確に話せる気がしないからだ。そして、普通に会話していればそういう方向に話がいくこともなかった。
だから、酔っていたとはいえ不意にそんな内心を明かされたことに私はひどく動揺した。それと同時にこう思ったのだ。
ざまあみろ。と。
女が長きに渡りこんな思いをしながら生きてきたのだ。それを知りもせずのうのうと生きてきたお前たちは、その分の苦しみの何分の一かでも味わうべきだと。そう思った。

たぶん、私の心の中のある部分は、強烈に男というものを憎んでいる。女に生まれたせいで、どうしてこんなに割りを食わされなければならないのだろうとずっとずっと思っている。男に対する女という存在になど絶対になってやるものかという強固な意思がある。被害者意識を突き抜けて、加害性にまで至る獰猛な化物が、自分の中に巣食っていることに気づいている。
だから受け止めずに流してしまった。口を開けばきっと、自分の口が呪詛を吐くとわかっていたからだ。

けれども、思い出すたびに、あの時きちんと話せばよかった、と思う。
私が男というものを憎んでいるかもしれないことを、でもできれば憎まずにいたいと思っていることを、女であることを最悪だなんて思わずに生きていけるようになりたいことを、腹を割って話せばよかった。
そうすれば、あの日、私たちは男と女ではなく、人間と人間になれたかもしれないのに。

*

ピルを飲んで始めた迎えた生理は、拍子抜けするくらい楽だった。
血が全く出ないわけでも、痛みや不調が完全になくなるわけでもないけれど、トイレで便器を抱えて吐いていたような苦痛からは程遠かった。今まで耐えてきたものはなんだったのだろうと思わずにはいられないほど。

ピル1シート、ひと月分は、2500円。
これをずっと払いながら生き続けるのかは、まだ決めていない。


ハッピーになります。