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これから何になろうかな。

ライターとして仕事をするようになってから、この8月で1年になる。
もともと趣味でこのように文章書いていたのが、色々きっかけがあり、去年の8月から、ライターとして記事を書かせてもらうようになった。
(具体的な経緯については下記で書いているので、興味のある方はご覧ください)


もう1年も経ったのか、という気持ちもあるし、本業をやりながら(会社員をしている)よくこれだけ書いたな、とも思う。
わかってきたこともあるし、逆にわからなくなってしまったこともある。
たとえばそれは、今ライターを名乗っている私が、本当は何になりたかったんだっけ、ということとか。

*

1年半前の私――つまり、まだライター仕事を始める前の私は、とにかく書き物を仕事とすることに憧れていた。
中学生の時からノートやらmixiやらブログやらpixivやら色々なところで何かしらの文章を書いてきた私は、いつかそれを仕事にしたいとずっと思っていた。それが小説家なのかエッセイストなのかコラムニストなのかライターなのかそれ以外なのかもわからなかったけれど、とにかく「文章で認められた人」になりたかった。

漠然としたその願いが明確な目標になってきたのがだいたい1年半前だ。noteに投稿した文章が少しずつ読まれるようになって、自分の文章への手応えみたいなものを感じ始めた時でもあるし、note自体も注目され始め、ユーザーが活発化してきた時期でもあり、同じように「文章を仕事にしたい」というアカウントの存在が目につくようになってきて、それに触発されたというのもある。

とにかく急激に「どっから手をつけたらいいかわかんないけどとにかく書いたものを認められたいしあわよくばそれが仕事になってほしい」という欲望が強まり、エッセイもどきだのレビューもどきだのをとにかく一生懸命書いた。それをきっかけに声をかけてもらい、とあるライブレポートの依頼をいただいたことから、私のライター業は始まった。

最初は、依頼がくるだけでプレッシャーと緊張で吐きそうだった。書いてる時も吐きそうだったし提出する時も吐きそうだった。それと同時に、依頼がもらえることも、それが媒体に掲載されることも、吐きそうなくらい嬉しかった。特に、新たな依頼メールが届くと、自分の文章が「お金を払う価値がある」「また書いてほしい」と思ってもらえるものになっていたのだなと思ってほっとした。

依頼をこなし、媒体が増えたり本数が増えていくうちに、吐きそうなほどのプレッシャーは徐々に落ち着いていった。
同じ題材で他のライターがどういう表現をしているのか研究したり、自分から編集部に「こういうネタはどうですか」と提案することも覚えた。
年が明けて2020年になり、コロナのせいでレポートを執筆予定だったライブが延期になった。ちょうどそのタイミングでまた別の媒体へも寄稿することになった。ありがたいことにそこがよく私を使ってくださり、執筆本数が増えた。
私はもともと、「ウサギとカメ」で言ったら完全にウサギタイプで、「定期的に」「こつこつ」とは程遠い人間なので、こんなに短いスパンでいくつもの記事を書けるのか不安だったが、「仕事である」というプレッシャーというのは大したもので、あっぷあっぷしながらではあるけれど、書き続けるうち、少しずつペースに慣れてきた。

書いたものを編集の方に褒めていただいたり、ややバズりしたりということも出てきた。いい題材をいただいているのももちろんある。その辺のラッキーもひっくるめて、ライターをはじめて1年目のキャリアとしては上出来と言っていいのではないかと思う。

その一方で、贅沢を承知で、最近思う。
私がなりたかったのって「ライター」なんだっけ?

*

エンターテインメントについて研究して考察して、それを言語化していく作業が好きだ。仕事になる前から好きなアーティストや作品のレビューやコラムを書いていたから、これが私のやりたいことの一つであるのは間違いない。
ただ、「ライター業」に忙殺されて、最近、自分がただ書きたいものを書く暇がない。書きたいと思っているネタはあるけれど、どうしても厳密な締め切りのある原稿の後回しになってしまう。
文章にだって旬がある。書きたいな、書く暇がないな、と思っているうちにネタが死んでいくことは当たり前にある。もっと器用で勤勉で計画性のある人なら、同じ作業量でもこなせるのかもしれないけれど、少なくとも今の私にはできない。

私がなりたかったのって、こういう感じなんだったっけ?
そう思った時、ぞっとした。人間というのはどこまでも貪欲になれるものだ。1年半前の私からすれば「念願の場所」に立っているはずの今の私は「これでよかったんだっけか?」と首をひねっているのだ。

叶ってしまった夢の上で途方に暮れた。
私、何になりたかったんだろう。何になれれば満たされるんだろう。
ある意味で私は、自分が目指したゴールテープを切ってしまっていたのだった。ゴールの先でもまだどこかへ進まなきゃいけないなんてこと、想像もしないまま。

*

知り合いのライターの文章がバズっていると息苦しい。
自分と同年代のエッセイストが澄ました顔で配信番組に出ているのを見ると苛々する。
書いた文章が少し話題になるたびに増えては減るフォロワーが鬱陶しいのに、知り合いのフォロワーが自分より増えているのを見るとモヤモヤする。

でも、彼らになり代わりたいかと言われるとそういうわけでもない。
私は自分の書いた文章が一番好きだし、文章を書きたいんであって小粋にトークしたいわけではない。「エッセイスト」のようなジャンルを限定する肩書きもしっくりこない。Twitterで大勢の人と気さくにやりとりするのは面倒だ。それより書いたものを読んでほしい。

数字に振り回されながら、かといって「どうなりたいのか」「次に何をすればいい」という指針も見つからないまま、1年の節目にあたるこの8月、立ち往生しているような気分だった。途方にくれながらこの先の色々な可能性をあれこれ考えて、ある時トンネルを抜けるようにふと思ったことは、「別に何にもならなくてもいいのか」ということだった。

書きたいものはどこでも書けるし、会社だって辞めてもいい。日本にいなくたっていいし、ニートやホームレスになったっていい。
1年後なんて生きてるかすらわからない。そうだ、私には死んでる自由だってある。
なんだ、なんにでもなれるじゃん。

ていうか、そうか。
別に、文章を書いてなくたっていいのか。

*

人生の大半を何かを書きながら過ごしてきたから、そういう方面で何者かにならなければいけないと思っていた。エッセイストかライターか文筆家かコラムニストかわからないけど、言えば伝わる肩書きを手に入れて、それで認められて勝ち続けなきゃ、今までの人生に意味がないような気がしていた。
そういう息苦しさが、想像のなかの「書いていない自分」を許容できた時、霧散していくのを感じた。

ライターの仕事は面白いし、書くこと自体をやめることはこの先もたぶんない。
それでも、なんらかの「型」にはまり、その中で動かなければならないと思い込んでいたことが、この息苦しさを生んでいたのだと気がついた。
そして、その「型」の中の競争から外れたって、書くことはできるんだってことに。

”それが小説家なのかエッセイストなのかコラムニストなのかライターなのかそれ以外なのかもわからなかったけれど、とにかく「文章で認められた人」になりたかった。”

かつての私の漠然とした目標は、ある意味的を射ていたのかもしれない。
誰かに名前をつけてもらう必要なんかない。肩書きがなくたって、何にでもなれる。それを辞めることも、何にもならないことも、できる。
私は「自分には書くことしかない」なんて思わない。やりたいことがいっぱいあるし、やりたいと思ったら全部やりたい。
言葉は道具で、文章は手段だ。書くこと自体を目的にするのは違うと思う。ただ、やりたいことをやるその傍らにずっと、「書くこと」があったらいいな、とは思う。

今、私は楽しい気持ちで未来を想像する。
これから何になろうかな。
なりたいものになろうかな。


ハッピーになります。