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言葉にしない夜

午前4時、白けた蛍光灯の下で水を飲む。
馬鹿みたいな話だ。昨日オンライン飲み会をしていて、ろくにつまみもなく6時から12時まで飲み続けていた。12時過ぎに解散して、あーこれは飲みすぎた、と思いながら電気をつけたまま布団に横たわりうつらうつらすること数時間。気持ち悪さの予兆に意識が覚醒してくる。

気持ち悪さの予兆、わかるだろうか。横になって静かにしているうちはまだ平気、しかし、動いて縦になったら一気に襲いかかってくる。そういう気配。「気持ち悪い」が物陰からこっちの様子を窺っている感じ。このまま横になって予兆を予兆のままにしておきたいが、そうすると経験上、朝起きた時にさらなる地獄を見る羽目になる。

私は意を決して体を起こして縦になる。船の揺れのような緩やかな振動が体を伝って、気持ち悪さの気配が実体化する。そいつを刺激しないようにそろそろと歩いて、便器に頭を突っ込んだ。何回かえずくと、絞り出すようにピンクの甘苦い液体が食道を通って吐き出される。何これ、なんの色?と思ったが、多分氷結のピンクグレープフルーツだ。

昨日ちょうど「大学の時飲み会で吐いたことがない。それが大学時代にやり残したこと」みたいな話をしたばかりだった。便器の中にたまるピンク色を見ながら、これで人生でやっておくべきことがひとつ達成されましたね、と思った。実績解除。

いやむなしい。今飲みすぎて吐いても一人だ。咳をしてもひとり、吐いてもひとり。大学時代だったら、吐く奴がいれば誰かが甲斐甲斐しくそばについていたものだ。やはりあの頃に吐いておくべきだった。物事にはしどきというものがある。

トイレを出て、台所でグラスに残っていたウーロン茶を飲む。と、妙に甘くて、酒かと思って慌てて吐き出す。冷蔵庫から作り置きのお茶を注ぎ直して飲んだら甘くて、おやおやと思ってグラスをゆすいでから今度は水道水を飲んでみたらやっぱり甘くて、どうやら甘いのは私の口内らしかった。

再び気持ち悪くなってきて、またトイレに行く。内臓を絞るイメージでえずくとじょばじょばと吐けることがわかった。濡れた雑巾を絞っているようだ。絞ると水が出る。なるほどね。

二日酔いにならないコツは、飲んだ酒と同量の水を飲むことだそうだ。そりゃそうだ。非常に明白で、納得感のある理屈だ。ゴリラの算数って感じ。
体内のアルコール濃度を下げるため、妙に甘い水を一生懸命飲む。放置していたパソコンが待機画面になっていて、「女性の一人旅におすすめ!」という一休の宣伝記事が表示されていた。このご時世に旅行の話題かよと思ったが、こんな風になる前に作成された記事なのだろう。外出自粛の世の中で、明け方に変に甘い水を飲んでいる人の部屋で表示されることは想定されていない。たぶん。

最近おもしろい文章に出会わない。似たようなやつが多いなと思う。「なぜ書くか」みたいなテーマの文章に飽きた。私も書いたことがあるけど、もう書かない。「書くための文章」「文章のための文章」は水で薄めた酒みたい。
書くことのテーマにも流行りがある。退職エントリが出た当初はバズったけれど、みんながそれを追っかけて似たような(劣化した)テキストを書き出して似たようなもんが溢れかえってもうおもしろくなくなってしまった。それと同じ。手垢がついてしまった。

書くことがないなら書くなよ。書けないなら書くなよ。「文章が下手で」みたいな枕詞は読む時間がもったいないから省いてくれ。言いたいことだけ言ってくれ。ないなら書くなよ。なんなんだ。

言葉にしない夜があったっていいだろ。言葉にしない感情があったっていいだろ。
こんな歌詞あったな。なんだっけ。
≪言葉にできないことは無理にしないことにした≫
ポルノグラフィティの”ヒトリノ夜”だ。
ほらね。私たちが思いつくようなことなんて、誰かがとっくに言葉にしてんだよ。

#エッセイ #日記

ハッピーになります。