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正しい恋の終わり方 8

8.

水曜二限。
後期最後のイタリア語クラスで、私は裕也を捕まえた。
二人共通して取っていたクラスだけど、ここ最近はナチュラルに無視されていて、理由がわかっているから私も無理に声をかけられなかった。
でも今日は違う。
授業が終わり、私をちらと見て、でも何も見なかったような顔で教室を出ようとした裕也のマウンテンパーカーのフードをむんずと掴む。

「待って」
「……なんだよ」

裕也はいかにも「余計な話を聞きたくない」という顔で振り返った。

「めんどくせー顔すんな。聞け」
「……だから、なんだよ」

息を吸う。
言いたいことがきちんと言葉にできるだろうかと思いながら。
今から言おうとしていることは、自分も裕也も傷つけるかもしれない言葉だ。
きっと、言わなくたっていい言葉だ。

「あたしね、正しい恋があるんだと思ってた」

運命で、絶対で、永遠で、誰から見ても正しい、幸せな恋。
それは欲すればちゃんと手に入るんだと思ってた。
そしてそれは、私と雄介との間にもあるんだと。

想定していた話題じゃなかったせいか、裕也はあっけにとられた顔をしてる。

「でも、そうじゃなかった」

好かれてるのに気づかないふりをしたり。好きになっちゃいけない相手を好きになったり。 好きなのに別れちゃったり。好き合ってるのに幸せじゃなかったり。
間違いだらけの恋ばかりだった。
間違ってるって知りながら、それでも諦めることもできなくて、自分も相手も傷つけながらもがいてた。

「恋は二人でするんだと思ってた。でも、そうじゃないんだね」

あたしが絶対だと思っていたものは、雄介にとってはもろくてあやういもので、案の定それは壊れてしまった。
手を繋いで歩いて、目が合ったら笑って、それだけで全部伝わったような気がしていた。すべてが満たされた気持ちだった。
だけどあの瞬間でさえ、そう感じていたのはあたしだけだったのかもしれない。

裕也の顔が少し歪む。柔らかくて弱い部分を刺されたみたいに。
わかるよ。苦しいよね。だってあたしたちは、想いが均等なんてことはありえないことを知ってしまった。
あたしたちは結局、一人きりで恋をしていただけ。

――さっちゃん。君の恋は君のものだ。野田くんのものじゃない。

「それでもやっぱり、あたしは、あたしの恋は本物であってほしい。正しくて、胸を張れるものじゃなきゃ嫌だ」

あたしの恋があたしのものでしかないとしても。

「今日、この後、雄介に会うよ」

裕也がはっとした顔をする。その表情を見ながら思う。
あたしは今日、これからきっと打ちのめされる。やっとふさがりかけた傷が、またうずいて血を流す。
それでもあたしは、本当のことを知りたいと思う。
本当のことを、自分の耳で聞きたいと思う。
今は血を流しても、それが未来のあたしに必要なことだと思うから。
それをあたしにしてあげられるのは、あたしだけだから。

「あたしの恋があたしのものでしかないのなら、あたしはそれを正しく終わらせたい」

裕也の目を見てそう言い切って、あたしは裕也のフードから手を離した。

「――以上、です。行ってよし」

一体どんな顔をしたらいいかわからなくなって、「行ってよし」と言っておきながら、あたしは裕也の横をすばやくすり抜けて行こうとした。

「咲生」

教室を出ようとしたところで、後ろから声がかかる。

「……もし泣きすぎて終電逃したら、うちに泊めてやらんこともない」

振り返ったら、裕也が明後日の方向を見て、パーカーのひもをいじっていた。
それを見たらなんだかおかしくなってしまって、私は笑いながら答えた。

「大丈夫、もうちゃんと帰れる」

そうして、私は教室を出て、ルファルに向けて歩き出した。
三城さんが待っている。今日は豊田さんもいるらしいから、ランチにまかないを食べさせてもらおう。メニューは、たぶんハヤシライス。飲み物は、カフェオレにホイップクリームをのせてもらって。

一人で恋してた。
それはこれからもずっとそうなんだろう。
でも、あたしは一人じゃないかもしれない。
そんなことを思いながら。

〈続〉

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