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気になるから見ちゃうけど、見たくない



怖いもの見たさって言葉がある。



見たら怖くなることが分かっているのに、好奇心を抑えきれずに見てしまう心理のことだ。
怪談話も、得体のしれない生き物が出てくる話も、見たら怖くなると分かっているのに、ついつい見ては後悔する。



わたしは怪談話以外の「怖いもの見たさ」の面を持っていて、それは気持ち悪さや自分の琴線に触れるもの・引っかかるもの(喜怒哀楽辛苦)を見ることを意味している。




わたしの場合の気持ち悪さと言ったら、蜘蛛のことだ。
わたしは虫が好きなわけではなく、触りたいとも思っていないのに、虫の動きがおもしろいと思ってしまうのだ。
蜘蛛が特にダメなのに、蜘蛛が巣にいるところを発見すると、じぃーっと見てしまう。
蜘蛛の色や模様、動きに背筋がゾクゾクッとして、嫌だ〜と思ってしまっているのに、見るのを止められない。蜘蛛の細長い脚の動きを興味深く見てしまう。見ては、気持ち悪さを感じるの繰り返しだ。



もうひとつの、自分の琴線に触れるもの・引っかかるもの……と言えば、今は「ちいかわ」が当てはまっている。



わたしはちいかわの大ファンではないので、グッズを買ったりもしていないし、第一話から読んでいたりするわけでもない。SNSに上がっている話をちょいちょい読んでいただけなのに、欠かさず読むようになってしまった。
見た目のかわいらしさとはかけ離れている「ちいかわ」の奥深さが垣間見えるたびに、わたしはつらくなる。



この間のセイレーン回の終わり方は、わたしはもうだめだった。苦しかった。




葉っぱふたりで島に来て、「ここ、おうちにしたらいいよね?」なんて、未来を向いて楽しく話しているところに、追ってきているセイレーンたち……。
もし、葉っぱたちがセイレーンに見つかってしまったら…やそれぞれの気持ち、やりきれなさを想像しただけで、わたしはもう苦しくて苦しくて、ちいかわの仄暗さにやられてしまっていた。




不穏だ〜。つらいよぉ〜。
この先、読み進められない!と何度も思っている。
気になるけど、わたしは見たくない。見たくないんだ。



そうだそうだ。
見ないほうが心にやさしいかも!
もう読むのはやめよう。



そう心に決めたはずなのに、次の日、ちいかわを読んでいるわたしがいる。




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