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私が結婚式を創る理由vol.1 『あの時のあの場所で』

結婚式を挙げたいという気持ちが
1ミリでもあるなら
その気持ちを丸ごと承認して応援したい。
例え世界中の全ての人が反対したとしても
私だけは必ず味方でいると心に誓って。
何があっても諦めないで、
私のところまで来て欲しい。
『結婚式がある未来とない未来』は
同じものにはならないから。

これは、大袈裟に聞こえるかもしれないけど
私が常に本気でお客様の心の中を
想像しながら考えていることです。

どうしてこんなにも
結婚式を挙げて欲しいと思うのか。
久しぶりにその原体験に触れることがあったので
今日は15年くらいに前に見た
ある出来事をご紹介させてください。

『10年ぶりのあの日の、あの場所で』

当時私はシャロンゴスペルチャーチ前橋という
独立型ブライダルチャーチに勤務していました。
約200年前のイギリスで建てられた古き教会を
移設再現した結婚式のためのチャーチ。
1990年の献堂当時は
まだ日本でキリスト式が始まったばかり。
週末には新規のカップルさんが列をなして
年間500組以上の結婚式が行われていたそうです。

私が勤務していたのは
それから20年くらい後のことです。
開業当時ほどではないけれど
それでも毎週たくさんのお客様のご結婚式を
お手伝いさせていただいていました。

教会横に建っている小さなフロントで
仕事をしていたある日。
扉が遠慮がちにそっと開き
今の私くらいの年齢の女性が顔を覗かせました。

『あの・・・教会の中、
 見せていただけますか??』

私はすぐに
『以前にご結婚式を挙げれらたご夫婦だな』
と察して
『もちろんです!どうぞ』
とご家族をご案内しました。

お父さんと、お母さんと、
小学4年生くらいのお兄ちゃんと、
2年生くらいの妹さん。

聞けば結婚式を挙げた日以来、
約10年ぶりくらいに訪れてくださったそう。
もちろん私が入社するずっと前のことです。

『いつか来ようと思っていて、10年経ってしまいました・・・』
とお母さんはなんだかちょっと申し訳なさそうに。

礼拝堂に入るとその日はたまたま聖歌隊がいてくれて
10年ぶりにお越しくださったことを伝えると
『当時結婚式でも歌ったかもしれないから』
と、この教会で献堂当初から長年歌い継がれてきた
【アメイジング・グレイス】
を歌ってくれることになりました。
私は歌声がいちばん耳に美しく届く
前から2列目のベンチシートにご家族をご案内し
自分は礼拝堂の一番後ろに立って
ご家族の後ろ姿を眺めながら聖歌隊の歌を聴いていました。

オルガン


結婚式から10年という時間。

その時私はまだ母親になっていなかったけれど
きっと『来ようと思っていたけどあっという間に過ぎ去ってしまった』くらい、子育ての10年はあっという間なのだろうなあ・・・と、そんなことをぼんやりと、考えながら。

ご家族は私から見て左から
妹さん、お兄ちゃん、お母さん、お父さん
の順番に並んで座っていました。

アメイジング・グレイスはとても美しい曲です。
その生い立ちもドラマティック。
作者の深い自責の念から生まれた想いが
美しい旋律と歌詞に乗って
国を越え、時代を越えて世界中で愛され続けている曲。

荘厳なパイプオルガンの音色、
美しく繊細に響くソロパートから
転調し、深みある華やかな合唱へ・・・
高らかに歌い上げられた声の残響が
礼拝堂の三角屋根に吸い込まれ、天に登っていく。

心を込めて捧げられる音楽は
今日もやっぱり美しくて。
良いタイミングにご来館いただけてよかったなと思ったその時。

『あ!!!』

俯いて目を閉じて、音が鳴り止むのを待っていた私は
その声に驚いて顔をあげました。

声の主は、お兄ちゃん。
隣のお母さんを見上げて口をぽかんと開けている。
すぐにお父さんがお母さんの顔を覗き込む。
そして、少しの間のあと、なんとも言えない幸せそうなくしゃっとした笑顔でこう言いました。

『あーーー!!!
 かあちゃん、泣いちゃったよー!』

見ると、お母さんの小さな背中が小刻みに震えてる。
俯いて、声を殺して、
その女性は静かに、ただただ泣いていました。

聖歌隊も最初は驚いて、
でもその後とても優しい笑顔になって
静かにご家族を見つめている。

お父さんが『ほらほら』と声をかけながら
自分と10年前にここで結婚の誓いを立てたその人の背中を
優しくさすり続けていて。
子供たちも、泣きじゃくるお母さんを笑顔で見ている。
お母さんが泣いていても不安な顔にならないのは
隣に笑顔のお父さんが慈しむようにお母さんを見つめているから。
この家族が深い信頼関係をしっかり築いていることが
一瞬でわかる景色。

私は、その場から動けなくなりました。
言葉にできない感情と共に大粒の涙が溢れ出て、
とてもお客様のところへ行ける状態ではなかった。

その女性の心が刹那に私の中の
【結婚式を創る感性】にシンクロして
私の涙を溢れさせたのでしょう。
そしてこんな想いが込み上げてきました。

『わたしは、誰かのいつかのこの日のために
 いま、結婚式を創っているんだ』

きっと。
10年間色々なことがあったと思います。
生きることは楽なことばかりじゃない。
たくさんの蘇る記憶と想い。
嬉しいことも
大変だったことも
様々なことを受け入れ
乗り越えてきて今日がある。

あの日のあの場所に時を越えて戻ってみて
蘇る記憶がアメイジング・グレイスと一緒に降り注ぎ
彼女の心に作用して、感情を揺さぶった。

涙が喜びも悲しみも浄化した後は
『ごめーん』とバツが悪そうに笑ったお母さん。
そしてご家族は晴々とした笑顔で
『また寄りますね』と
帰って行きました。

当時よく新規のお客様のご案内時にお話ししていたこと。

『お二人は独身最後に
 このバージンロードを進んで聖壇に上がり
 僕たちは、私たちは、これから夫婦になって、
 何があっても力を合わせて生きていきます!と
 誓いを立てたら、ここから一歩出るときには
 夫婦としての人生が始まります。
 この場所は、お二人で始める人生の、
 いちばんのスタート地点になるんですよね。』

だから私たちはこの場所を守っています。と。
この言葉は、退職して3年以上経つ今も
諳んじることができるほどに
身体に染み付いているのだけど
そのことを話している時の私の頭の中には
いつだってあの家族の姿が映し出されていました。

全てはつながっている。

何があっても。
目に見えないウイルスに
様々なものが分断されてしまったとしても。
あの日、あの始まりの1日は、
今日までつながっていて決して分断されていない。

人の想いや時間みたいに
目に見えないものはもしかしたら
実は目に見えるものよりも強く堅く
つながる力を持つことが
できるのかもしれないです。

・・・この出来事のあと私は、
結婚式を創るということは
その人たちの人生そのものを創ることでもある、
という意識がより強くなり
もっと大切に、もっと深く
その軌跡に触れさせていただきながら
結婚式がある未来を見据えて
お二人の心の奥に目を向けて
仕事に向き合えるようになりました。
もちろんうまくいかないこともあるけど
何があっても創る、という
信念だけは揺るがずに。

会社員時代には
こういう経験ひとつひとつが
私の感度を磨き高めてくれました。
日常の、小さくて大きな出来事。
フリーランスという立場では
経験できなかったであろう
かけがえのない出来事です。

この未来を見せていただいたから
結婚式のチカラを見たから
挙げたいという気持ちを応援したいし
この手で妥協せず1ミリでも美しい結婚式を
創り続けたいと思っています。

この日に礼拝堂の中で交わった
私たちの想いは間違いなくつながっている。
ご夫婦のはじまりのあの日に。
あの日の私から今の私に。
そして私が創る結婚式たちの未来に。

私は結婚式の事業者だから
結婚式を挙げて欲しいわけではなくて。

人々の人生に
こんな心のお守りのようなものを創造したくて
結婚式を手に取っています。

今だからじゃなく、誰でも昔から自由でいい。

便利で安心で準備も任せられる方がよければ
結婚式場やホテルを選べばいい。
何か強いこだわりがあるなら
その道のプロフェッショナルなプランナーや
クリエイターから選べばいい。
もちろん、二人だけで密やかに
指輪の交換をするだけでもいい。

大切なのは、
『自分たちにとっては何が正解なのか、
 導きだすプロセスに真剣に向き合い
 お互いを深く知っていくこと。』
選択の連続の人生で
間違えないと言うのは少し
難しいかもしれないけれど。

でも、やっぱり願いたい。

あの礼拝堂の美しい出来事のような瞬間を
結婚式に見せつけられてしまうと。

あのご夫婦には、間違いなく、
結婚式があったから
10年後のあの日が生まれたのです。

セレモニー

私が心を砕いて結婚式を創る理由のひとつ。
明日もお打ち合わせです。
人々の人生に触れさせていただいている、
という意識を心の真ん中において
向き合ってきます。
がんばります^^

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