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空腹すぎると獣化する

夜中の二時頃、空腹で目覚めた。
しかし、夜中に食事だなんて勇気のある行動は出来ない。
私はベッドの中であらゆる食べ物を想像し、朝マックが食べたいと強く思った。

明日はドライブスルーでメガマフィンセットを買い、それを貪り食う予定を立てた。

早く朝が来ないかと、想像すればするほどに腹の虫は鳴き出し、待ち遠しくなった。
 
翌朝、至福の時が訪れた。
食卓で、娘と息子とメガマフィンセットを広げ、各々食べ始めた。
開始一分が経ったかどうか。
貪り食う私の右横の床から、ボト! という鈍い音が聞こえてきた。
 
「うわ! 落とした! 何やってんだよ!」
 
向かえ側にいる息子が叫んだ。
ボト!と音がした床に視線をやると、右隣に座っている娘のメガマフィンが無惨な姿で転がっていた。不幸にも真ん中から開いて落ちており、中の具がベチャッと床に貼り付いている。
娘は冷めた顔をしてそれを眺めていた。
 
「何してんの! 3秒ルール!」
 
そう言ってる間に、3秒はとうの昔の話となる。
 
「テーブルの端に置きすぎなんだよ! 勿体ない!」
 
息子が残念そうに言って、自分のメガマフィンにかじりついた。一口がとてもデカイ。
 
「いつも言ってるけど姿勢が悪いの。だから落ちたの。あ〜勿体ない! 3秒ルール行ってみる? 無理か。30秒ルールならギリ間に合うかも!」
 
私は娘の不幸に同情したが、この手の中にあるメガマフィンは私の物だ。
 
本来母親というものは、食べ物を落としてしまった娘を不憫に思って、自分の分を半分差し出すものなのだろう。今までの私はそうだった。しかし今回ばかりは頑なにそれを拒んだ。
昨夜2時からこの至福の時を楽しみに6時間も空腹に耐えたのだ。
娘がメガマフィンを二口食べただけで床に落とそうが、それは自己責任だ。リスク管理が出来なかった娘の今後の学びとなるだろう。
仮に私の分を半分分け与える甘い行為をしたところで、果たして娘の為になるのだろうか。いや、ならないだろう。
厳しいようだが、私は黙々とメガマフィンを貪り食べた。
 
「落ちたものは仕方ないよ……」
 
娘は静かに呟いた。
床に散らばったメガマフィンを無言のまま始末している。何かを悟ったような所作と雰囲気に、私も息子もダメ出しを言うのは止めた。落として一番悔しく思っているのは紛れもなく娘の方だからだ。
 
娘はジュースとハッシュドポテトのみ無言で味わっていた。そんな姿を見ると、私は母としてダメな母親のような気がしてきた。
なぜ私はこの手の中のメガマフィンを、少しでも娘に分け与えてあげられないのだろう。
なぜ。なぜそんなに頑なに、取られまいと貪り食べ続けるの……?
まるで飢えた獣のようだと、俯瞰するもう一人の私が呟いた。
 
娘は悟った修行僧のように冷静で、人からメガマフィンを分け与えてもらおうだなんて素振りは微塵も見せなかった。だから余計に、二口でメガマフィンを床に落としてしまった娘が不憫に思えてしまう。
 
ホントにこのまま分けてあげなくていいの? 娘がかわいそうじゃない。……でも、自業自得よね? いつもこの子ったら椅子に脚を上げて行儀悪く食べるから。毎回注意してるのに守らないこの子がいけないのよ。私は私のメガマフィンを純粋に楽しめばいい。……でも、そんな気持ちで食べたとして、果たして心から美味しいと思えるの?
 
思考はたちまち忙しくなった。
私はそれを振り払うように貪り食べ続けた。
 
「ごめん。分けてあげられない母で」
 
全て食してから、娘に呟いた。
食後のコーヒーで、胃の中を整える。
 
「いいよ。そんなにお腹すいてなかったし」
 
娘は静かに呟いた。
その様は悟りの境地にいて、まるで後光が差しているかのようで、獣化していた私の目にはとても眩しく映った。
 
「30秒ルールだったら食べれたのにね」
 
「3秒でも落ちたものは食べないよ。お母さんも食べないでしょ?」
 
問われて私は困ってしまった。
夜中の二時から楽しみにしていたメガマフィン。もしも床に落とすという不幸が私の身に起きていたなら……。
 
「分からない。もしかしたらトースターの熱で炙って食べたかもしれない。3秒なら諦められなくて、多分。いや、3秒超えてても今朝のメガマフィンは特別すぎて食べてたかもしれない。ずっとずっと夜中から楽しみにしてたから。こんなに朝マックを楽しみにしてたのって今までの人生で多分初めてで。一個じゃ足りないぐらい。二つは食べられるぐらいお腹すいてたの……」
 
私の口からは、分け与えなかった言い訳のような言葉が次々と発せられた。
 
「気にしなくていいよ。美味しかった?」
 
私はコクリと頷いた。
なんだか、私がメガマフィンを落として、娘に分け与えてもらったような錯覚に陥った。


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