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その音の意味

赤子がオギャーと泣くとき、空腹、オムツが不快、寂しい、などがある。
母親は赤子の泣き方で原因が分かると言われている。
 
夜中に息子が、「ギャー!!」と叫んだ。
息子は最近二十歳になった。
彼とは長い付き合いなので、その叫びが、何故ゆえに発せられたのかを私は聞き分けることができる。
 
この叫びの音の感じは、Gの出現だと確信した。

私はベッドから起き上がると、最寄りに設置してあるGスプレーを手に取った。部屋を出る。
 
「Gだ! そっちへいった!」
 
「はいはい」
 
私は素早く走るGに怯むこともなくGスプレーを振り撒いた。
Gが苦しんで動き回らせないという謳い文句のスプレーは、その通りに良い仕事をしてくれた。
 
以前の私ならば、G退治をクールにはできなかった。Gを仕留めるのに、スプレーのノズルを押すのも躊躇われ、一時間近くを費やし、半泣きでバトルをしたものだった。

しかし、何年ぶりかにGを見た今、不思議と私は冷静でいられたのだ。
 
『あら久しぶり。アナタいたのね?』
 
不思議と恐怖心はない。静かな凪のように、私の心は穏やかだった。

思えば、息子のギャーの叫びも久々に耳にしたが、さすがに二十歳となったからか、声の感じが『冷静を保てオレ!』と、興奮を抑制するような発音へと変化していたように思う。
 
私たち親子も、大分肝が座ってきたようだ。
Gを一匹始末するのにあれほどの祭り騒ぎをした過去の私たちが懐かしい。

私はそれを始末すると、息子を冷ややかに見つめた。
 
「あなたの部屋が汚いのが原因なんじゃない? そろそろ片付けなさいよ」
 
「オレの部屋じゃない。冷蔵庫の隙間にいたんだ。 オレのせいじゃないよ」
 
私はそれに被せて部屋を散らかす息子に一言二言物申したかったが、言っても無駄だと飲み込んだ。
 
Gがいる世界といない世界。どうせなら、いない世界で私は生きていたい。

私はGが嫌いだから、もしも出会ってしまったのなら、心の声に正直に、かつ冷静に、Gスプレーを撒くだけの事。
 
だが、なるべく互いの波動を下げないためにも、出会わない方が双方幸せでいられるはずだ。
 
私はGのいた原因を追求したくなった。
 
「やっぱりあなたの部屋が汚いからでしょ。そうとしか思えない。空のマグカップ、空き缶、ちゃんと洗って始末してくれないかしら? お菓子の空袋、汚いわね。いい加減片付けてくれないかしら。もうオトナでしょ?」
 
「だからオレのせいじゃないって。いたのは冷蔵庫の隅!」
 
「発見場所はそうかもしれないけど、あなたの部屋が発生源よ!」
 
「ちがう!」と、息子はムキになって叫んだ。その音は荒々しく、現実から目を背けたがっている音として私の鼓膜を震わせた。
 
どうやら息子は、自分の部屋がG好みの空間で、それと共に寝ていたのかもしれない可能性から目を背けたいようだ。

「リスク排除よ!! 片付けなさい!!」
 
究極レベルの私の声色を感じ取ったのか、息子はしぶしぶと部屋を片付け始めた。
 
私もリスク管理は日頃から心がけている。
掃除機は毎日かけているし、些細なリスクも見つけたなら回避している。 
ネギ観葉植物も、セロリ観葉植物も、Gとの遭遇のリスクを予想してやめていた。
 
真夏に一度も彼らと遭遇しなかったのに、なぜ秋の予感がし始めた今となって、こんな不毛な戦いをせねばならなかったのだろう……。
 
しんと静まり返った夜中の空間に、美しい鈴の音が響き渡った。
 
去年から飼い始めた鈴虫の鳴き声だ。
 
その美しい鈴の音は、我が家の空間を包み込むかのように響き渡っている。
8月の中頃から鳴き始めた彼らは、最近更に腕を上げたのか、その鳴き声は高級な鈴の音のようだ。
秋を感じさせるその澄んだ音は、私に安眠効果と癒しを与えてくれていた。
 
鈴虫は、求愛のために羽を身体に垂直に広げ、ハートの形をして震わせる。その振動が、鈴の音のように聞こえるユニークな虫だ。
私は彼らを日々大切に見守り、餌にはナスとキュウリとかつおぶしを与えている。
 
私はその虫かごに、ふと視線をやった。
 
まさか、鈴虫の餌を分けてもらおうとして、Gがやってきたのだろうか……。
 
ナスとキュウリとかつおぶし。
かつおぶしなんて、Gがいかにも好きそうな餌だと思う。かじれば口の中で鰹だしの旨味が広がるそれを、奴らは狙っているのではなかろうか……。

リスク回避の為、夜は虫かごから餌を取り出しお預けにしようかとも考えた。
しかし鈴虫も夜行性で、求愛の鈴の音は暗い時に活発化する。活動時間に食を取り上げるのは酷だろう。
 
私は、虫かごの中の鈴虫が羽をハート型に広げる姿を見ながら、どうするべきかと頭を悩ませた。そして、見ているうちに疑問が湧いてきた。

これらとGと、何がちがうのだろうか……と。

同じ黒色を持つ虫なのに、私は鈴虫を可愛がり餌を与えている。ところがGは発見したなら即効始末だ。
 
鈴虫は虫だ。なぜ私はこの虫たちだけはかわいがるのだろう……。
もしもこの20匹ほどの鈴虫が、虫かごから脱走したならどうだろう。私達の生活スペースへと境界線を越えた彼らだとしても、殺虫剤を撒くだなんて酷いことはできない。素手で大切に捕獲するはずだ。

逆も考えてみよう。

この虫かごの中身が全てGだとしたなら、私は罪悪感の一つも感じず虫かごの中へとGスプレーを撒くはずだ。
 
やはり私はGが嫌いなのだ。
嫌いに理由などない。
互いの幸せのために、私たちは出会わない方がいいのだ。
しかし鈴虫には24時間いつでも食べられるよう餌を置いておきたい。
 
ならば答えは一つしかない。
 
Gの襲撃に鳴く時の、鈴虫の声を聞き分ける能力を身につければいいのだ。
息子が赤子の時の泣き声も、成人した今の叫び声も、発せられる音が聞き分けられる私だ。だからきっと、鈴虫が奏でる音の意味も、分かり得るはずだろう。




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