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南天の実と鳥のいない空

最近鳥の姿を見かけなくなったと同僚が言った。
南天の実を食べる鳥がいないから、今年は珍しく実が残っている……と。

意識を向ければ確かにそうだと気がついた。
いつでもそこに居るはずの、ふてぶてしくゴミ袋を漁るカラスすら見かけない。それに、南天の実の赤色がやけに印象に残った。

気にし始めたら鳥のいない空が寂しく思えた。
かくれんぼの鬼をいつまでも続けさせられているような不安が付き纏う。それが何日か続くと、いよいよ私は別パラレルに飛ばされてしまったのかもしれないと、厨二病的思考にも陥った。

それから何日かが経ち、空には当たり前に鳥が見られるようになった。以前はうるさく感じられたカラスの鳴き声にもホッとさせられる。
田舎道を走る私の車の前方に降り立ち、タイヤに木の実の殻を潰させようと企むカラスとの遭遇は久しぶりのことだった。カラスはタイヤの軌道を計算し、木の実をセットする位置を決めている。私はなるべく彼にその時間を与えようと車のスピードを落とした。飛び去るカラスが置いていった木の実の殻は、上手く潰せたのだろうか……。

同僚が鳥と南天の実の話をしなければ、私は鳥のいない空を気にもしなかったのだと思う。日々の生活に追われていた私には、鳥が入る余地などなかったはずだ。

だけど気づかされてしまうと、空には鳥が羽ばたいていて欲しいし、たまには私の元へと遊びに来てくれたら嬉しく思う。
私は自由に空を飛ぶ鳥達に癒されていた事を思い出した。


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