見出し画像

沖縄移住の3つの現実。沖縄に移住して1年が経った話

「沖縄移住」「田舎暮らし」「地域活性化」

私の人生そんなはずではなかったのだけど、出会いや縁から何故かこういったキーワードが挙げられる方向に進んでいます。直感で生きるタイプなので気付いたらここにいる感じ。

本当はもっとはやく移住についてのコラム的なものを書いてみたかった。というのも、私が「移住するぞ!」となったとき、ネットで検索して出るのは「移住失敗」「ないちゃー(沖縄県外出身者)差別は沖縄あるある」「移住して波に乗って生きる(趣味はサーフィン、フラダンス的な)アーティスト」などなど…

平凡な私にとっては全部が不安要素でしかなかった。だから「そんな人ばかりじゃないよ」と声を大にして言いたい。一応移住して1年経って、それなりに友達や知り合いができて、地域の人には結構頼りにされてきて、さらには仕事もそこそこ順調だから、そろそろ発信していきたいと思います。

私が移住した経緯について等を知りたい方は「いなかパイプ」さんというサイトで書いているこちらの記事をご参照ください。これは2015年7月に書きました。
(※noteにて再度更新しました。こちらをご参照ください。)

私が沖縄に移住したのは2015年5月。1年暮らしてみて感じた沖縄移住の3つの現実をお届けします。

その1 移住に失敗するのは地域のことを知らないから

まず、沖縄にも様々な地域があることを理解しておいた方が良いです。

那覇や南部の方、北部でも名護市内など、割と栄えている地域にはコンビニはもちろん、イオンなど内地(沖縄県では本土のことを内地と言う)と変わらないものが手に入り、困らない。わたしの住む名護市ですら、「マクドナルド」「ミスタードーナッツ」「ココイチ」「やよい軒」「はま寿司」など大手飲食チェーンは多くあります。またそういう都会には地域のつながり・沖縄らしいゆったり感はほぼ皆無です。代わりに移住者ネットワークは豊富です。那覇は朝晩の通勤時間の交通渋滞は尋常じゃないです。公共交通機関が少ない割に人口が多く、人口密度が高いことが所以です。しかも観光客も多い。これが大渋滞の元です。名護市内に住んでいた夫は、10階建てのアパートに住んでいて、隣の人へは引っ越しの時に挨拶したくらい。地域行事があるのかないかすら分からない。そんな状況でした。

つまり移住に「地域のつながり」や「ゆったり感」、「青い海」と「三線の音」「満天の星空」…というような「沖縄らしさ」を求める人は、沖縄の中の都会に暮らしていたらそれが叶わないのは当然。

では、観光やメディアで知っている「沖縄イメージ」は嘘かと言うと、そんなことはありません。皆さんがイメージする「沖縄」は本当の田舎や離島の一部にはきちんと残っています。ですが、そんな田舎にも観光では分からない現実があるのです。

その2 田舎の人間関係は密。甘く見ると失敗する

私が移住した地域はとても田舎。沖縄県の本島は南部が栄えているが、私の住む北部は本当に田舎で、私の住む家はソフトバンク圏外、ドコモ・auは3G回線のレベルです。コンビニまでは車で20分。集落の人数は70名、20代・30代は5名くらい。高齢化率約45%。そんな田舎で20代の私は目立つ訳で、夫婦で移住したので、夫婦喧嘩も次の日には周りに知れ渡っているくらい。だって夜は静かで真っ暗、フクロウの鳴き声が聞こえちゃうくらいの田舎なんですもん、そんなの当たり前だと思いませんか?

「昨日、大丈夫だった?」と夫婦喧嘩の次の日に声をかけられた時には驚きましたが、「実は~」と私達がずっと遠距離恋愛だったことや家事の役割分担がうまくできない話をすると、それはもう親身に聞いてくれます。悪い噂をしたくて気にしているのではありません。気を使ってくれているのです。

「ないちゃー」という言葉が沖縄にはあります。これは沖縄県外の人、つまり本土の人を指します。本土のことを沖縄では「内地」や「大和」と言います。沖縄県出身の人は「うちなんちゅ」と言います。移住前に「ないちゃー」と差別される…と思っていました。実際にも「ないちゃーね?」とよく言われます。でも移住してから後々聞いたのですが、「ないちゃーに方言で話してしまうと失礼だと思って、確認の為に聞いているんだよ」という方がいました。実際に差別している人もいるかもしれませんが、こんな人もいます。つまりは田舎にもいろんな人がいます。

上記の出来事をこちらが誤解して「プライベートもないほど監視されている」や「差別されている」なんて思っていたら周りの人を好きになれませんよね。

私の地域は人口が少ない割に行事が多く、若者の私は婦人会や村踊りにひっぱりだこです。いつの間にか携帯番号が伝わっていて、地域のおじぃから「今日は三線の会だぞ」と電話がかかってきて、三線を教わっています。夫は「嫁さんが弾けてお前が弾けないなんてかっこわるいぞ」と言ってタダで三線を貰いました。徒歩15秒で観光地化されていない綺麗な海があり、朝海を散歩していると「これ持ってけ」と獲れたての魚をもらうことも。毎日ではありませんがこんなことがある地域です。

こうしていられるのも、周りの方を偏見で見ず、自分自身も積極的に地域に関わるようにしているからだと思っています。「都会の人間関係に疲れたから田舎に移住したい」なんて考えていると、失敗します。田舎の方が人間関係は密です。それを見誤って地域を出ていっている人は多いのです。

その3 地域にとっての自分の役割を知る

これは沖縄でなくても、本土の田舎でも都会でも、どこでもそうです。自分の住む地域において、自分の役割を理解して暮らしている人がどれほどいるでしょうか。

正直私は、自分が生まれ育った地元でも、一人暮らしをしていた東京でもそんなこと少しも考えて暮らしていたことがなかったです。しかし沖縄の今住んでいる地域では、地域に対する自分の役割が見えています。私だけでなく周りの地域の方々も自分の役割を感じて暮らしています。

例えば三線が上手なおじぃ。地域行事では必ず弾いています。しかし自分がいなくなったら誰が弾くのか?そう感じて、私に教えてくれています。「はやく弾けるようになって、いっしょにお祭りで弾こう」と言ってくれます。

例えば行事で拝むおばぁ。拝み方や踊りを私より年上の、お姉さま方に必死で教えています。お祭りの踊りの練習では夜8時に集合し、2時間みっちり稽古をつけてくれます。おばぁ80代ですよ、すごいですよね。「わたしがいるうちにもっと覚えておいて!」と言います。

そして沖縄ならではなのかもしれませんが、みんな子どもに優しいです。集落内であったら必ず声をかけてくれたりアメをくれたり。常会という地域の集まりでは「学児奨励金」や「出産祝い金」の話が出ます。

口に出して「私の役割は~」と言うことはありません。しかし地域の人と関われば関わるほど、見えてくるのです。そこを重荷に感じることもありますが、全うしようと頑張っていると、必ず受け入れてくれます。そんな信頼関係が、たったの1年ですけど築けてきています。

今では私のことを下の名前で呼んで、嫁に指導するかのように包丁の使い方や公民館の掃除の仕方、草取りの仕方を指導してくれる方ばかりです。面倒と思ったらそれまでですが、必要とされていると強く感じます。

自分の趣味があって、好きなことをして、地域の人と距離を置いて暮らしていたら見えないこと、分からないことがたくさんあります。


つらつらと長く書いてしまいましたが、こんなことを気にしていれば移住の失敗はないと言えます。移住前は正直一生沖縄にいると思っていませんでしたが、今はこのままここで子育てもしていきたいと思っている自分がいます。そんな暮らしが、地域とのつながりが、移住者でも持てるのです。

沖縄に移住して1年。そんな今の暮らしです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?