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【実録】22歳のメンヘラ弱者男性が人生を楽しくするチャレンジ①

唐突だが、私は陰キャ発達弱者男性が人生を楽しいものに変えられるのか実験したいと思う。


一体こいつは何を言っているのか?そう思う人も多いだろう。しかしあなたがこの記事を読んでいるという事は、「メンヘラ陰キャの人生は果たして逆転できるのか─」という研究対象に多少なりとも興味を持ってくれたという事だと思う。私はこの実験に真摯に向き合い研究成果を皆様にご報告する予定なので、是非ともスキ&シェアして広めてほしい。
この記事を読む人は私の事を初めて知る人が多いだろうから、簡単に自己紹介をしておこう。正直恥ずかしくてたまらないスペックである。しかし皆さまに希望を与えるために、そして私の人生を切り開くためにあえて晒そうと思う。

性別:男
年齢:22
好きなもの:女(体)、音楽(特にボカロと洋ロック)、料理、スポーツ観戦、Pornhub、iwara、Fantia、DLsite、ホロライブ、耳かきASMR、真夏の夜の淫夢、Syamu_game、ヒカマニ、フロムソフトウェア、新宿
嫌いなもの:女、労働、早起き、韓流アイドル、男性VTuber、Twitter、インスタ、Tiktok、脱毛クリニックのCM、原宿
身長/体重:178cm/62kg
備考:ASD+ADHD、アトピー持ち。童貞。大学一留中。レストランのホールスタッフでバイト。一重まぶた。幼少時に吃音。8年間彼女無し。

ご覧の通り見るも無残な陰キャのなれ果てである。客観的に評すれば非モテと社会不適合を拗らせて女への怨嗟と渇望を募らせ、他人を見下しながら陽キャへの妬みだけを増幅し続ける怪物そのものだ。YoutubeやTwitterで見かける人生上手く行ってなさそうなやたら攻撃性の高い悪意の結晶の様な陰キャは大体こんな感じの人間だと思ってもらっていいのではないだろうか。しかし差し出た事を申し上げて恐縮だが、こうした記事を見に来た皆さまの中にも私と同じような要素を少しずつ持ち合わせている方がいらっしゃるのではないだろうか。そしてそうした方々は「どうすればもっと人生がうまくいくだろう?」「私も人生をエンジョイできるのだろうか?」といった漠然とした疑問を持っているのではないかと推察する。そうした方々の疑問を検証するべく、「弱者男性でも人生をエンジョイできる様になれるのか?」という疑問に私が体を張ってチャレンジしてみたいと思う。この実験が少しでも皆さまのお役に立てば幸いだ。

なお念のため断っておくが、この記事は弱者男性専用のハウトゥーであり、女性の生きづらさ解消には全く役に立たない事を予め申し上げておく。

その1 何がそんなに辛いのか?

そもそも陰キャ、陽キャとはスクールカーストに由来する言葉である。陽キャはカーストの上位を占め、向社会的で前向き。陰キャは下位の集団に属し、社会不適合者でネガティブないじめられっ子…ざっくりとしているが概ねそんな印象だろう。しかしそもそも陰キャが「つらさ」を感じる要因は何なのだろうか?実際の所、私は小中学生の時にいじめられた経験はあるが、それ以降いじめられた事はない(ネットは除く)。高校では僅かながらも陰キャの友人にも恵まれ、大学でも特に誰かから加害されたという経験はない(ネットは除く)。見る人によっては「陰キャライフ」を満喫しているとも取れるかもしれない。私がこうである様に、すべての陰キャが現在進行形で陽キャから迫害を受けているから辛いとかそういう訳ではないだろう(陽キャはそこまでヒマではない)。実際に世の中には陰キャであることを心から楽しんでいる人も存在する。では、私の様な陰キャの感じている絶望感は一体何処から来るのだろうか。

それは、「格差」を目の当たりにしたときである。

誤解されやすいが、人間は「貧しさ」そのものに苦痛を感じるのではなく、「格差」に苦しむのである。すなわち皆が平等に「持っていない」時は何も感じないが、「自分だけ持っていない」のは我慢できないのである。男子校やオタサーのイケてない男たちはどこか皆牧歌的であり、往々にして共学で特級呪物のごとき腐れ陰キャが発生するのはこうした理由による。また世界屈指の幸福度を誇っていたブータン国民がインターネットの普及でその幸福度を急落させた話はあまりにも有名だ(余談だが、こうしたホモ・サピエンスの嫉妬深い本能は人間がサル山式の身分社会になる事を防ぐのに一役買っているらしい。民主主義は陰キャの発明品である)。話を戻すが、私の様な陰キャの場合は陰キャの花園で同志とアーマードコアのアセンブルについて談笑していたところに突如現れたイケメン陽キャ達によって右手に札束を、左手に女を抱きながら悠々と闊歩していくところ(イメージ図)をまざまざと見せつけられてしまった故に「友達が欲しい」「高い身分(陽キャ)が欲しい」「女が欲しい」「自信をつけたい」といった呪いにも似た渇望を植え付けられるのである。陽キャが大学構内、電車内、飲食店などで陰キャから遠慮がちな妬みの目線を浴びるのはこうした理由による。皆さまの中にこのような被害に遭われた陽キャの方が居たら謹んで無礼をお詫び申し上げる。

ここまで読んで察した方もいるかもしれないが、この実験では巷で言われているような「解脱」式の幸福追求はしない。これは特に女性には理解不能だろうが、結局の所男の幸福追求とは階級と権力を巡る闘争である。「弱いままでいい」「個性が大事」「男らしさから降りていい」という優しさでコーティングされた無責任な言説が氾濫する現代において弱者男性の幸福追求というと「趣味に没頭する」「丁寧な暮らしをする」「男同士でBBQ」「ギャルゲーでシコって死ね」といった要するに「せめて社会の目障りにならない所で慎ましく余生を送れ」という提案(圧力)が主流だろう。しかし私にとってそれは去勢されることと同義である。「弱いままでもいい」というのは強者だからこそ言える事だ。弱いままでも人の寵愛を受けられるワンちゃんやネコちゃんならともかく、見るからに不快でキモい弱者男性が幸福になるには強者になる以外に方法はないのである。であるならば、私は強者=権力者に成り上がる事で幸福を実現すると腹をくくろうではないか。

話を戻すが、つまるところ、「つらさ」の正体は格差であるようだ。であるならば、私が人生をエンジョイする第一歩はその格差を解消する事である。では、私が具体的に今の状態からどうなりたいのかを整理して見ていこう。

その2 ではどうしたら「人生が楽しい」と思えるのだろうか?



まず第一にはモテる事である。

モテ、というか陰キャの処方箋において「女」の威力はバツグンに覿面である。私も片手で数えられるほどのデート経験の中で、ただ隣を異性が歩いているというだけで得も言われぬ全能感─底なしの自己肯定感が湧き上がってくるのを感じた事がある(結局フラれるのだが)。ちなみにこの全能感に女性の美醜はそこまで関係ない。ただ異性が横にいるという事実が重要なのである。やはり男として生まれた以上、人生を楽しむために「女」を獲得する事は避けては通れないだろう。

第二は友達を作る事である。

私は何らかの共同体に属し、そこで必要とされ価値ある地位を占めたい。これに関しては私はレストランのホールスタッフとして働いており、バイト仲間とも良好な関係を築けている。しかし私はよりホモソーシャルな「絆」が欲しいとも考えている。運動部的なノリを考えてもらえばわかりやすいかもしれないが、私の様な陰キャは男社会の「努力、友情、勝利」的な価値観を冷笑しつつも裏では強烈なコンプレックス…つまり憧れを抱いている事が多い。それはあるいはモテと同じくらいに陰キャが熱望しつつも手に入らない物だからである。

そして第三に経済的な成功である。

これはモテとも関連するが、経済的な成功は男の価値を上げる事は間違いない。お金を稼ぐ事は、石器時代で言えばマンモスを狩ってくることに相当する。古今東西、イケてる男はガッツリ稼ぐものであり、ホモ・サピエンスの本能に刻み込まれた「イイ男」のイメージはこの多様性(笑)の時代においても変わる事は無い。今も昔もマッチョでバリバリ金を稼ぐ男が「イイ男」、「セクシーな男性」なのである。

そして第四に、私の夢を叶えたい。

私はロックスターになるという秘めた夢を持っている。大きな夢は人生に指針を与えてくれる。それが例えと上地実現不可能な物であったとしても、私は夢の実現に向けて精一杯足掻いてみたい。何事もコスパよく生きる時代には流行らないかもしれないが、馬鹿げた夢を見るのが私の中での男の美学なのである。

ここからは実践フェーズに入りたいのだが、長くなるので記事を分ける事にする。

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