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Rock|ボブ・ディラン《ローリング・サンダー・レビュー》

ボブ・ディランというアーティストを書くことは本当に難しい。

音楽的に見れば、1961年のデビュー以来、ロックやカントリーを取り入れるバランスが変化しているが、一貫してフォークの域を脱していないし、社会との関わりをもつソーシャルな歌を発表し続けている。

ライヴも 1988年6月、ディランが47歳の時に「ネヴァーエンディング・ツアー」と題して、世界中をライヴし続けて、2020年で32年目になる。

ローリング・ストーンズが、1990年代になっても、期間は長いながらもアルバムを発表して、スタジアムクラスのワールドツアーを敢行するビジネスモデルを展開しているのとは好対照である。日本でも、2000人や3000人クラスのライヴハウスやミュージックホールで10公演をこなすなど、反商業的に、初期の声の届くような空間で音楽を演奏する。

首尾一貫して己のメッセージを音楽と詩で伝えるづける、フォークシンガーのように見える。

とはいえ、ジョン・レノンはディランに傾倒していたし、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーもキース・リチャーズも、偉大なるアーティストとして敬意をしめしている。

1956年、エルビス・プレスリーが《ハウンド・ドッグ》でロックン・ロールの誕生を宣言し、ヒットチャートをかきまわした。白人が黒人音楽をやっているというスキャンダラスさから、「若者に悪い影響を与える音楽」の代表になったが、じっさいに歌っている歌詞は「あんたは酷い女ったらしの犬だ
いつも鳴きわめいている
」と、不良っぽく恋愛を歌っている。中身がないといえば、中身がない。

しかし、大衆に消費されるということは、そんなものだ。エルビスは、そう思っていたことだろう。

その後のロックナンバーとしては、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で主人公(マイケル・J・フォックス)がギターを弾き倒した、1958年のチャック・ベリーのヒット曲「ジョニー・B・グッド」の歌詞も、ギターを弾くジョニー・B・グッド青年の紹介するだけのパーティーソングだ。

そういったヒットチャートのなかに、ディランが現れたのは、1963年のことだった。5月にリリースした、セカンド・アルバム《フリーホイーリン・ボブ・ディラン》の収録曲「風に吹かれて」が、ピーター・ポール&マリーにカバーされ、7月にビルボード2位のヒットを記録したのだ。

それからディランは「フォークの貴公子」と呼ばれ、プロテスト・ソング(政治的抗議のメッセージを含む歌)を次々に発表し、1960年代のアメリカの混乱期にポピュラー音楽によって、そこに生まれる歪みをあらわにさせた。

つまり、ディランは、ロックやフォークを含むポップミュージックの中に、社会性を直接的で大胆に取り入れてたアーティストと言えると思う。

真実を語るローリング・サンダー

そんなボブ・ディランが、1975年、アメリカ建国200年の年に敢行したライヴツアーが「ローリング・サンダー・レヴュー」である。同ツアーは、翌76年春にも行われたが、ライヴアルバム《ローリング・サンダー・レヴュー》は第1期の音源をまとめたもの。2002年に、ディラン公式の発掘音源シリーズ「ブートレグ・シリーズ」の第5弾としてリリースされた。

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ディランのライヴアクトについては、のちのザ・バンド、レヴォン&ザ・ホークスとの1965年から66年のツアーも、フォーク・ロックを誕生させた重要なものではあるが、音楽的なクオリティの高さでは、やっぱり「ローリング・サンダー・レヴュー」に分があるといわざるを得ない。

2019年には、Netflix限定配信で、マーティン・スコセッシ監督の《ローリング・サンダー・レヴュー: マーティン・スコセッシが描くボブ・ディラン伝説》も公開されて、ツアー当時の社会的状況におけるインパクトが描かれている。

今回、アルバムとともに、この映画を始めて観て、アメリカ文化史のなかの位置づけなど、知らなかったことが多く描かれていて大変興味深かった。

ローリング・サンダーとは、アメリカ先住民の呪術者のことをいうそうで、「真実を語る」という意味もある。ほかにも、ベトナム戦争時のカンボジア爆撃のコードネームだったと映画のなかで語られている(バックバンド名がグアムというのも納得する)。

いつだって真実を語らず、答えをはぐらかすディランなので、この映画で語られていることが真実であるかどうか、疑問は残るが、それでも、2枚組のライヴアルバムのディスク2の7曲目に収録されている「ハリケーン」は、このアルバム屈指のハイライトといえるだろう。

ハリケーンは、1966年に白人3人が銃で撃ち殺された事件に巻き込まれ、冤罪で投獄されたボクサー、ルービン・ハリケーン・カーターの無実を訴えた曲である。

獄中のカーターは、1974年に自伝 "The Sixteenth Round" を出版し、冤罪を訴えた。これにディランが関心を持ち、獄中のカーターを訪れて1日かけて取材しハリケーンを制作したという。なお、ディラン自身は、カーターに自分と同じ精神を感じ、ハリケーンを作ったと映画のなかで語っている。

ルービン・カーターの裁判はうそだった
犯罪は第一級殺人、だれが証言したか?
ベロウとブラッドレー、ふたりともいつわった
そして新聞は、みんなつきあった
彼のような男のいのちが
バカの手ににぎられていいのだろうか?
あきらかにでっちあげにされた彼を見ても
どうにもできず ただこのような国に生まれたことを恥じるだけだ
ここでは正義はゲームでしかない

背広とネクタイをつけたすべての犯罪者たちは
自由にマティーニを飲み、日が昇るのを見る
一方ルービンは三メートルの独房に仏陀のようにすわる
生きながら地獄の無実の男
これがハリケーンのものがたり
だがまだおわったのではない、彼の名前がはらされ
ついやされた時間が彼にもどされるまでは
独房にいれられているが、かつては
世界選手権も とれたはずの男
――訳:片桐ユズル(引用《ローリング・サンダー・レビュー》)

ハリケーン」の詩を読んでもらえるとわかるだろうが、ディランはリアリズムを貫いている。なお1975年秋のツアーが始まる前に録音されており、そのスタジオ版と聞き比べると、ビートのドライブ感、鬼気迫るディランの歌声、そしてスカーレット・リヴェラが奏でる緊張感あるヴァイオリンの旋律が混ざり合って、ライヴならではの原曲を超えたより強いメッセージを受け取ることができる。

やはり、スタジオミュージシャンとして一流を集めたスーパーバンドらしい演奏としかいいようがない。

ディランというアーティストを紹介するにあたって、「ハリケーン」だけを紹介するのは、いささか不平等で、一部分でしかないのだが、ディランは全体を見てもどれも矛盾しているし、部分で見ても、それが真実なのかどうかわからない、難解な存在であるため、どうか許してもらいたい。

せめて、「ハリケーン」のリアリズムの歌詞だけは、ディランが見たり感じたものだと思いたい。このアルバムに収められているのは、そんなことを感じさせるディランとバンドの名演だからだ。


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