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子供だと言っている間に、大人っぽくなるのだろう

1〜2年前の写真を整理していて、髪色や髪型の変化もさることながら、当時と比べて顔が大人っぽくなっていることに戸惑った。
顔、というのは単なる生まれ持ったものだけでなく、その時の覚悟だったり思考だったり、精神状態や人間性を表す物だと思っている。だから顔が変わるのは一大事だ。

成人付近に感じていた、中身が実年齢に伴わない焦りと少し似ていて、少し違う感覚。大人になって、社会人になって、自覚のないままに自分が変わっていくことが少しだけ恐ろしいと思う。自分でコントロールできないことに感じる恐ろしさだ。変化は怖い。

家路を歩いていると、華奢な人に追い越された。カーキのジャケットにグレーのパンツ。なぜか男なのか女なのかわからなかった。線の細さ的には圧倒的に女性だけれど、肩パッドのせいか肩が角ばっていて、セミロングの髪型もちょうど知り合いの男性に似ているのもあり、男性かもしれないと思った。

その人を見失ったが、マンションのエントランスで再会した。ポストから物をとるときに、ちらっと横を見ると、大人っぽい顔立ちの美人で、女性だった。


永遠に、19歳と22歳に憧れ、服装のどこかに少女らしさを入れたくなってしまう、私には辿り着かないだろう極地の洗練された、そしてほどよい常識感のある美人だった。

いわゆる、大人の女の人と言われるのにふさわしい造形。私の身長や骨格からは絶対に思われないイメージをまとった人で、何やらしばらく考えてしまった。その人が6階へ消えていったことを、残っていたエレベーターが教えてくれた。私とあの人とは圧倒的に違うという溝を感じる。この気持ちが劣等感なのか、ただただ事実として認識しているのかはわからない。

とはいえ、そんな私も1、2年前の私よりは確実に大人っぽいわけだ。今の私の見た目が一般的に何歳に見えるのかはわからないけれど、それでも順調に順調に年を重ねている。学園に憧れてしまうほどには歳を重ねた。

自分勝手で、協調や世間体よりも自分のやりたいことの方が大事だと思う、子供っぽい自分。いつまでも子供だなんて、誕生日のたびに思って、思う一方で勝手に年を取っているのだろう。肉体的にもきっと精神的にも。

一見関係ないけれど、キーボードを打つ速度がこの2年で急速に早くなったことと、きっと同じことなのだ。比例している気がする。

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