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マチス美術館 その地はリヴィエラまたはコート・ダジュール  #3

南仏を代表する画家、アンリ・マティスは、70歳前後から98歳で亡くなるまで、ニースで過ごしました。マチス美術館は、マチスが住んでいたHotel Reginaの向かいの公園にありました。

シミエ地区という高台の静かな住宅街の公園の一角に、オレンジ色のかわいらしい建物が、あり、マチスの彫刻や愛用した家具も展示されていました。

美術館には、画家を目指した頃の古典的な絵からはじまり、創作期ごとに順を追って絵が展示され、画風が変わっていくのがよくわかりました。シニャックの誘いで南仏を訪れ、色彩が次第に明るくなり、躍動感のあるはじけるようなマチスの色彩に到達するのです。

 マチスの絵を東京の美術展で見た時、底抜けの明るさに、「どこからこういう色が生まれるのだろう?」と思ったものです。それが、目の前にある「オダリスク」や「昼寝する白い服の女」には、ニースについてから目にしてきた、燦々と降り注ぐ太陽の光と、街にあふれる色が絵の中に溶け込んでいたのです。この街だからこそ、生まれた色合いでした。

何枚もの、踊るダンサーの大腿部を描いたデッサンもありました。それは構図の中で、これしかないという長さ、線の太さ、角度を探り当てるマチスの探求の跡でした。繰り返し描かれる絵をみて行くうちに、『外科医が親しい人の手術をする時、脳や心臓にはすっとメスを入れられるが、掌にはメスを入れる時、一瞬ためらう』という話を思い出しました。字を書き、絵を描き、モノを創り出す手にはその人の心が刻まれています。ガラスケースに次々と並ぶデッサンに、大柄だったというマチスの肉厚の手を思い浮かべました。

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