見出し画像

カンヌのアンヌ その地はリヴィエラまたはコート・ダジュール#3

 ニースに滞在した時期は、ちょうど夏から秋への季節の変わり目で、天気は不安定だった。1日に数回、雷を伴う土砂降りが降ったかと思うと、からっと晴れ上がる。


 カンヌ行きのTGVに乗った朝も、灰色の薄曇が広がっていた。この線はモナコからコート・ダジユール空港まで地中海沿いを走り、車窓からコバルト色に輝く海が見られるはずだった。
せっかく海側の席に座ったが、あいにくの曇り空で、海も不機嫌そうな鉛色をしている。数駅過ぎた頃から、雨粒が窓をつたって流れ始めた。
 1人溜息をついた。(楽しみにしていたカンヌに行くというのに…)
クロス・ド・カーニュ(Cros de Cagnes)駅で停車すると乗客が数人乗り込み、若い女性が隣に座った。おかっぱ頭で黒縁の眼鏡をかけている。彼女が手帳を出して広げると、電車が走り出した。わたしはまた、窓をつたう雨粒を恨めし気に見て溜息をついた。
「日本からきたんだけど、生憎の天気なの。」
隣の女性に話かけようと様子をうかがった。腹の中に溜まる思いを口にすれば、気が軽くなるかもしれない。ところが、女性はキリッとした表情で正面を直視している。膝に手帳を広げているのに、見ようともしない。
何を思い詰めているのだろう?浮かれた気分の観光客がほとんどの車内で、彼女の雰囲気が気になった。これから気が進まない予定でもあって、今から断る口実を探しているとか、あるいは何かのっぴきならない事情があって思いめぐらせているような様子である。それとも、いかにも話しかけたそうな隣の旅行者に、話しかけられないようにしている?東京の丸の内線や千代田線で、隣に座った知らない旅行者に話しかけられたら、誰しも驚く。

 諦めて深く座り直し、なおも車窓を眺める。行き場のない独り言は宙に浮いたまま…

車内放送で「カンヌ」と聞こえた気がして、立ち上がりかけた。すると隣の黒縁眼鏡の女性女が、「降りるの?」と声をかけてきた。
「ええ、カンヌでしよ?」
「カンヌはその次よ。わたしもカンヌまで行くから、わたしと一緒に下りればいいわ。」「ありがとう」
 彼女は、ニース近郊に生まれて育ち、カンヌの図書館に出勤するところだった。自分のことを話すと、私に尋ねてきた。
「どこから来たの?ニースはどう?」
東京からラグビーワールドカップを見にきたこと、ニースのホテルに泊まっているが、どこを見ても写真に撮りたくなるほど美しく、明るい太陽の日差しと青い海の色が何とも言えないというと、満足げな顔をしてうなずいた。映画も好きだから憧れのカンヌに向かう所だと話した
「でも、この天気で残念。」
「そんな顔をしていたわ。カンヌは曇りでも素敵な街だと教えてあげたかったの。」
そうか、彼女も話しかけるタイミングをうかがっていたのか。あの緊張感の理由がわかった。

電車が到着した。
「着いたわ。」
改札口を出ると、
「はじめてでしょう?案内してあげる」
小さい町だからわかりやすいの。駅のある通りがフェラーシュ通り、向こうを見て。海が見えるでしょう?海沿いの通りがクロワゼット大通り。その間に細い路地がたくさんあるけれど、どこを歩いても迷わないわ。海に向かえばクロワゼット大通りに出るし、駅に向かいたければ、海と反対方向に進めばいいの。
カンヌでは、もちろん国際映画祭が一番華やかだが。ほかにも花火大会や写真のコンクールななどが年中イベントがあるそうだ。カンヌ映画祭でスターが歩むレッドカーペットで有名な『パレ・デ・フェスティバル・エ・デ・コングレ』で写真を撮ってくれた。


「好きな俳優は誰?わたしはデカプリオ」
「かれも素敵ね。わたしはブラピ。」好きな女優、映画と話して知るうちに、港の入り口に立っていた。
「わたしはそろそろ行くわね。レッドカーペットを見て帰る人が多いんだけれど、あの丘に行ってみて。一番上の公園から見るカンヌは最高よ。」
記念に二人で写真を撮りたいと頼むと
「もちろんOKよ。写真は自由に使ってね。わたしはアンヌ」
丁寧に礼を言うと、
「午後からは晴れるみたいよ。明日もくるといいわ。そうしたら海で泳げるから。」
さわやかな笑顔でそう言って、クロワゼット大通りを駅の方に去っていった。

アンヌが教えてくれた、丘は旧市街で、緩やかな傾斜に沿ってピンクベージュの煉瓦の家が続いていた。坂を上りきると、アンヌが言っていた公園にが見えてきた。下を見下ろすと、ヨットハーバー、パレ・デ・フェスティバル・エ・デ・コングレ、海沿いのクロワゼット大通りに豪華なホテル、地中海が一望できた。空にはあいかわらず、雲がたれこめていたが、気持ちは晴れやかだった。
「カンヌは曇っていても素敵な街よ。」アンヌのあの言葉と一緒に、彼女の笑顔を思い出した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?