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53話の迎井と志摩くんから学ぶ「人を好きになる」について

めちゃくちゃ恥ずかしいタイトルだ……


それはさておき、『スキップとローファー』という激オモシロ胸キュン漫画をご存じでしょうか。

高校進学を機に東京へ出てきた、田舎で育った真っすぐな少女。
そんな少女に感化されてゆっくりと変わっていくクラスメートと、
少女自身の成長が丁寧に描かれた、月刊アフタヌーンにて連載中の本作。
現在9巻まで刊行されており、コミックDAYSやマガポケでも読めます。

少し前までアニメも放映されていました。
評判もすこぶる良く、アマプラ・ネトフリ等で配信してるので、「漫画はなぁ~」という人は是非そちらを。

今回のnoteでは、『スキップとローファー』がめちゃくちゃに面白いという読めばわかる話は飛ばして、
53話にて出てきた『迎井と志摩くんによる「人を好きになるとは?」談義』について考えます。

ちなみに『迎井』と『志摩くん』に関する説明もしません。
いいから読んでくれ。


さて、『迎井と志摩くんによる「人を好きになるとは?」談義』ですが、
二人が「恋人の大切さ」について語る中で、
各々の「恋人の条件像」が異なることに気づいた場面の出来事です。

出典: 高松美咲 『スキップとローファー』 53話

ここでは、両者の違いが以下のように表現されています。

  • 迎井(コマ上): 友人・恋人の評価軸が一本にまとまっている
    加点方式でラインを超えると、知人⇒友人⇒恋人にランクup
    重要度は、恋人として好き > 友達として好き > 人として好き

  • 志摩(コマ下): 友人・恋人の評価軸が異なる
    人のジャンルごとに、ラインを超えると「好き」にランクup
    重要度は、人として好き = 恋人として好き
    (※ 『人への』人として好き > 『恋人への』人として好き)


つまり迎井にとっては「『恋人』=『友人』+『幾つか加点要素』」で、
志摩は「『人柄が好ましい人』> 『「恋人として」人柄が好ましい人』」
という認識です。

仮にこの二元論で考えると、前者(迎井)が多数派でしょうか。
志摩くんの「友人・恋人の評価軸が異なる」の方も間違いなく一定数いるでしょう。
(「『人への』人として好き > 『恋人への』人として好き」までいくのは珍しい気がします)

以上を踏まえて、これから考えたい個人的な興味は以下の二つです。

  • 『友人・恋人』は同じ評価ライン上に存在するか、または別軸か?

  • 友人から恋人への加点要素とはなにか?


一点目について。
これは「友達を恋人にしたいと思うか?」または
「恋人と別れる際、友達として関係を継続したいか?」と言い換えれます。

この問いに対しては、個人的にはYesです。
逆に「友達なれない人と恋人になる」が自分の中では全く成立しません。

ところで「友達以上恋人未満」という言葉のように、
多くの人にとっても『友達』と『恋人』が同軸上にあるかと思いましたが、
いくつかのアンケート結果を見ると、
『恋人』と『友達』が完全な別軸となっている人も一定数存在します。

以下のアンケートに至っては「恋人の前は友達だった」が20%を切っています。


次に二点目。
先の迎井の語りでは、彼にとっては「一緒にいて落ち着く」「顔が良い」といった要素があたる部分です。

この問いに対しては、自己認識をあけすけに語ると
「性欲・欲情の対象として認識できるか、否か」になると思います。

つまり結論として、「『友達』として認識できるなかで
「性欲の対象」として映る人間が『恋人』として好きになれる人」

ということになります。

改めて考えを明文化すると酷く単純でした。
迎井、志摩くん、ごめん……


ここまで考えると「友達とはなにか?」という疑問にぶち当たりますが、
今回はこの点に関する自己認識を明文化することはしません。
(明文化によって、『友達』か否かが完全な二値分類になってしまうのを避けたいからです。)


noteを書くに当たって様々なアンケートをみたことで、
「『恋人』が『友達』の延長上になり(別軸で評価する)人が一定数いる」
「延長上でも『友達』から『恋人』への加点要因を明確にしていない」
ということがわかったのは結構な収穫です。

書きながら「単純かつ当たり前のことを書いてるだけ」と感じてましたが、この作業を踏まえたことで「その人が恋愛関係をどういった枠組みに当てはめようとしてるか?」がグッと見えやすくなった気がします。

自明なことでも単純化は大事です。

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