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どこにでもある

「なんかそれ、もったいないね」

「じゃあ、食べる?」

「いや、いいかな」

 ゴミ箱に透明フィルムを捨てる。指に着いたクリームは甘かった。

「ろうそくでも立てようか」

「んー、でも誕生日ってわけでもないし」

 コーヒーと紅茶のそれぞれ入ったマグカップを小さなテーブルに置く。猫舌だからまだ飲めないな、とゆらゆら上る湯気を見ていた。

「紅茶にしなかったんだ」

「こっちの方が甘いものに合うかなって」

「そっか」

 紅茶用にスティックシュガーを用意して、座椅子に座った。近くにあった抱き枕のサメが汚れないようにそれをベッドにどかす。サメは横たわって私に口を開けていた。

「いただきます」

 軽く手を合わせて、ショートケーキの先をケーキが倒れぬようにそっと切り分ける。幸せの味がする、なんて簡単に思えるような味がした。ケーキなんて久しぶりだった。上に乗った砂糖菓子は乾いたパステルカラーで可愛らしさを主張している。

「美味しい」

「よかった、閉店ギリギリだったけど間に合って」

「うん、あのお店の人気だからもうないと思ってた」

「平日の夜でよかった」

 本当は今日じゃないはずだったけど、なんて嫌味はコーヒーと一緒に流し込む。空気を悪くするだけのことを言える程の信用を置いていないし。甘いものの前で喧嘩したくない。二口目はイチゴにたどり着いて、少しうれしい。

「一口欲しい」

「いいよ」

 皿ごと渡して交換した。レアチーズケーキが乗っていた。ベリーのソースがかかっていて食べかけの面に少し垂れている。

「あ、やっぱりあの店の生クリームうまいな」

 一口食べると皿を返してきた。そのまま皿をもとに戻す。スマホがふと目に入って、通知が来ているのが分かった。おそらくいつもの友達からの連絡だ。相手をすると長くなるのが分かっていたので返事は後にすることにした。

「明日、予定何もないの?」

「ちょっとある」

「午前?」

「午後」

予定を蹴られることが増えたから、いちいち悲しまないようにした。何回かはしっかり落ち込んだけどそれに意味はないから。もう気にしないはずだったのにぐるぐると考えてしまう。よくない。

「コーヒー、好きだったっけ?」

「うん、最近はよく飲む」

「苦くない?」

「慣れたよ」

 試しに飲んでみろと差し出すと苦かったらしく少し顔を歪めていた。

「やっぱり苦いのは嫌だな」

 照れ混じりの笑い方をしていた。



 何か映画でも見ようと音楽を消して、テレビをつけた。サメを抱きしめながらリモコンを操作する。

「何がいい?」

「前に見たやつの二作目って配信されてるっけ」

「あー、あるかも」

 履歴から飛ぶとすぐに見つけられた。

「字幕版でいいよね」

「うん」

 カーテンも閉めてあるから、画面がやけに明るく見えた。飲み物を飲んで後ろに体を預けた。二作目の映画の始まりはなんだかぼやけたようで、前作のことを忘れそうになるくらいだ。隣からはあくびが聞こえる。ふとテレビの横に花瓶があったのが目に入った。

「前から花飾ってたっけ」

「二、三週間前ぐらいにバイト先の人から貰った」

「水あげてる?」

「そっか、あげなきゃダメか」

「見た感じほぼドライフラワーになってるけど」

「じゃあ手遅れか」

「まぁドライフラワーもきれいだよ」

「そうかな」

 花瓶には本当に花を挿しただけだったようで水の影すら見えない。潤いのない花弁は形を保ち続けている。映画はようやく主役の俳優が登場しメインテーマが流れ出して、ようやく始まったという感覚だった。それでも冒頭は前作の復習に近いものがあってやはり退屈だ。抱いているサメと顔を見合わせてヒレを動かしたりして、いい場面が始まるまで遊んでいた。このサメはなんとなく抱きしめたくなるサイズでついつい触ってしまっている。口を閉じられないサメは少し間抜けに見える。両ヒレをパタパタと動かすと何か話しかけている様に見えてそこがとても好き。

「それ好きだね」

「かわいいじゃん」

 サメの顔を両手で挟むと表面にしわが寄ってさらに情けなく見えた。

「あ、あの人久しぶりに見た」

 一昨年にヒットした映画に出演していた女優だ。ロングのストレートの髪がショートボブになっていて一瞬誰だかわからなかった。

「雰囲気変わったよね」

「前の方が印象強い」

「わかる」

 ゲスト枠の女優が出てきたことで映画が少しずつ盛り上がっていく予兆を感じさせた。定番の派手なアクションに、金がかかったであろうロケ地が次々と映し出されていった。



 後半は怒涛の勢いで映画は進んでいき二時間が過ぎていった。エンドロールが早送りで流されていくのをただぼうっと眺めた。

「思ったより良かった」

「うん、前半はだるかったけど」

「だよね」

 もう一作品見る前に、コンビニまで買い出しに行くことにした。部屋から出て鍵をかける。外はもう暗くなっていて少し肌寒い。幾度か通ってしまったせいで道になんとなく慣れてしまって、人の後について歩くくのが少しむず痒い。三分ほどの距離にあるコンビニにはすぐに着いた。やる気のなさそうな店員たちはこちらを一瞬見るだけですぐに雑談に戻る。

「なに飲む?」

立ち止まっているのはアルコール飲料の前で、酔わせる気しかないのが見え透いていた。

「どれが美味しいやつ?」

 迷わずに差し出されたのは9%のロング缶でさすがに笑ってしまった。

「酒なんてすぐに抜けるんだからいけるって」

「じゃあ、いっか」

二本、かごに放り込んだ。後は適当なつまみとアイスを選んで半額ほどのお金をわたした。会計を任せて外で待つ。母親と子供を乗せて自転車が通り過ぎていく。

「おまたせ」

「戻ろっか」

 また少し暗くなった道を歩く。

「そういえば近くにいい感じのカフェがあるんだよ」

「知らなかった」

「この間、友達とこの辺りまで来て行ったんだよね」

「近くまで来たならうちに来ればよかったじゃん」

「急に行ったら嫌かなって思ったんだよ、忙しいだろうし」

「連絡くれれば全然いい。次はそうしなよ」

「じゃあ、そうする」

「カフェ、どのあたりなの?」

「大通りの一本奥の通りを少し行くとあるよ」

「郵便局のところ?」

「そう、そこをまっすぐ」

「近いのに全然この辺り知らないや。そこ、なにがあるの?」

「なんか紅茶にこだわってるらしいよ。そこのアップルパイ美味しかった」

「いいじゃん、今度行くわ」

 数回の会話で部屋にたどり着いて、鍵で玄関が開けられる。同じ位置に座って袋からロング缶を手渡された。適当に乾杯をして飲む。酔うためだけの酒だと思わせるアルコール感があって、後付けされた柑橘の味では誤魔化しが効いてないように思ってしまう。

「この量飲めるかな」

「時間はあるんだし飲めるでしょ。飽きたら別の開ければいいし」

 さっき買ったつまみのチーズは封を開けてテーブルの上に置かれた。リモコンを手に取って操作する。

「何観る?」

「途中にしてたやつなかったっけ」

 リモコンを手渡して履歴から探す画面を見つめる。同じ作品を何回も見る性格なのか、それは意外とすぐに見つかって映像は再生された。テーマパークの乗り物を制作するドキュメンタリーの二話目、小道具の話やら舞台設定の話やらでいかにもオタクが好きそうな内容で少し面白い。

「こういうの見てると行きたくなるよね」

「わかる、海外の方行きたい」

「行きたいけどなかなか金がない」

「マジでそう。国内で我慢しよ」

「来週はきついけど再来週あたりでも行こうか」

「金欠は大丈夫なの?」

「遊べるときに遊んどこうよ」

「それもそうだね」

 チケットをすでに購入したスマホの画面を見せられて思わず笑ってしまった。

「チケット代、今渡しちゃうね」

 チケット代を渡して、チケットを送ってもらった。

「酔ってないとこんなにすぐに行動できないよね」

「勢いで行かんといけない時もあるんすよお姉さん」

「お兄さんは覚めたときに後悔しないでね」

「それはないから安心してよ」

 相手はロング缶を飲み切ったらしくキッチンに缶を片付けて別の缶を開けた。最近来た友人が部屋に置いていったらしい。桃の甘そうなアルコールだった。私はまだ残っているロング缶を飲んでいく。この種類の酒は嫌に苦みが舌に残ってしまって好きになれない。だけど私はそれを飲み込んで画面を見つめた。



一話四十分ほどの映像は次の話へ移っていく。次は有名ジェットコースターの話で淡々と説明する設計者の解説に少し飽きが出てきた。どうやら向こうも同じようであくびしていた。

「別の観ない?」

「うん」

 すぐに映像を止めてメニューに戻る。おすすめに出てきた最新作に切り替える。数か月前まで劇場で上映されていた作品。

「これ、映画館で観たんだけど忘れちゃった」

「つまんなかった?」

「人と行ったら、なんか邪魔されて集中できなかった」

「あー、それはかわいそう」

 そう言って缶を傾けるとほとんど残っていないことに気付いた。

「お酒まだあるの?」

「ちょっと見てくる」

 すっと立って、そして持ってこられたのはグラスとボトルだった。

「ワイン、残ってた」

「あとどれくらい?」

「三分の一ぐらい」

「飲んじゃおっか」

 グラスに注がれたのはロゼで、適量ではない液体が注がれていく。

「多いよ」

「手が滑った」

 比較的少ない方が差し出される。

「乾杯」

グラスが軽く当たる音がした。数か月前に開けたロゼは少しだけ味が変わっていた気がした。



 映画は半分ぐらい進んで、主人公は元の世界から新しく別の世界へ踏み出す。植物や生き物を巻き込みながら歌い上げながらヒロインは旅立った。その後には不穏な影が少しちらついて悪役が不気味に笑う。お決まりのパターンが決められて、一つの見せ場が終了する。

スマホを見るとあと四分で日付を超えるところだった。なんとなく意識が緩くなる感覚があって、サメを抱えて重くなった頭を乗せる。

「眠い?」

「眠くはない」

 近くにあった布団が掛けられて、隣に座られる。

「近いよ」

「こっちの方が画面見やすい」

「あっそ」

 近くに来る理由が下手、変なところ不器用で少しおかしい。

「何笑ってんの」

「なんでもない」

 不思議そうな表情をしていた。眠るときにネックレスをつけていると邪魔だから外す。

「そんなの持ってたっけ」

「最近買った」

「いいじゃん、似合ってる」

 バッグに仕舞って少しだけ離れて座り直す。人の近くは慣れなくて落ち着かない。

「いつも少し遠いね」

「そんなことない」

 離れても近くに結局来るんでしょ、なんて思ってたら手が触れられた。

「こっち向いて」

 あーあ、アルコールの味だ。私もきっと苦い味がするのだろう。他の子だったらこういう時に居は常に備えて、何かしら対策してるんだろうな。応えながらこんなこと考えたくないんだけど。体を這ってくる手にいつも少し緊張する。幻滅されたくない、幻滅されたくない。流される側の方がきっと気にすることが多くて脱がされる度に不安で溢れそうになる。なぞられると体は勝手に反応してくれるから徐々に思考を欲に支配させていく。その時は少しだけ楽になれている感じがする。時折目を合わせればと撫でられてキスをして一時的に好意をもらえている気がした。好意はその場だけのものだから貰いすぎてはいけない、そう思いながらも体は達してくれるからさらに勘違いを起こしてしまいそうになる。嫌いじゃないから余計に悪い気がした。



 目を覚ますと上に布団かけられていて、ベランダへ目をやると半裸で煙草を吸っている姿があった。そちらへ行こうと体を起こすと運動不足で少しだけ足がふらついている。下着だけはかろうじて着けていたからそのままベランダに声かける。

「もう、起きたの」

「うん、もしかしてずっと起きてた?」

「いや十分前ぐらいに起きたとこ。よく寝れた?」

「うん」

 煙草をもらってシガーキスをする。最初だけ少しむせればあとは吸えるようになって白い煙が朝に揺れた。





 家に帰って荷物を置いて煙草を片手にベランダに出る。影に隠していた灰皿を取り出してライターで煙草に火をつける。イヤホンを着けて音楽を流そうとスマホを見ると『あとで電話』とだけの短いメッセージが届いている。『わかった』とだけ返して音楽アプリでプレイリストを流す。聞き流しながら外を眺める。そして座り込む。

「疲れた」

 独り言が零れた。煙草は箱が軽くなっていくし曲は再生され切って、勝手な選曲が流れていく。何もできないまま時間が過ぎていく。何も手に付けられない状態はいつも死にたくなる。でも人って簡単に死ねないらしくてそれがもどかしくて嫌になる。一人だと余計なこと考えてしまうなぁとか思っていたら、数か月前に流行っていたシンデレラボーイが流された。飛ばすのが面倒でそのまま流した。そういえばあいつ、この曲好きだったな。

 数時間前まで会っていた人を思い出す。基本的に優しくて顔がいい。いい奴だとは思う、だけどクズだ。花なんて普通のバイト仲間から貰うわけないし。甘い酒なんて女呼ばない限り置くことない。そんなことわかるに決まってる。大体誤魔化すのが雑だから気付きたくなくても気付いてしまう。シンデレラボーイなんて嫌いだ。勝手に悲劇のヒロインに仕立て上げやがって。勝手なことを歌い上げてくれるなよ。時々この歌を歌うあいつは好きになれない。今死んでしまえたなら、余計なこと考えなくていいのに。着信音が流れ出す。

「今、家?」

「うん」

「何してる?」

「煙草吸ってる」

「ん、俺も」

 お前への恨み言を挙げていたよと言ってしまいたくなった。



 一時間半の通話が終わってため息を吐く。好きじゃい、けど決して嫌いでもない。嫌だな、どうにかなってくれないか、思考が煮詰まっていく。面倒だな、厄介だな、消えたいな。悪い方向へ偏ってしまう。また着信が鳴る。先輩からだ。

「ねぇ、いま暇?」

「一応暇ですけど」

「飲み行こ」

「どこでですか?」

「駅前に三十分に来て」

「わかりました」

着替えをしてまた出かける支度をする。さっきの服はあいつの部屋と煙草の匂いがしたから帰ったらすぐに洗濯しよう。きれいな服に替えて、香水かけて、財布とスマホと手鏡とリップを小さめのカバンにいれる。あ、ネックレス着け忘れるところだった。鏡を見て着けて家を出る。

「お待たせしました」

「ごめんね、呼び出して」

「煙草吸って軽く病んでたんでありがたいです」

「じゃあ、誘えてよかった」

 駅の近くをしばらく散歩する。

「ネックレス、着けてきてくれたんだ」

「お気に入りなんで」

「似合ってるよ」

これをくれたその人は少し照れながら言った。


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