見出し画像

なぜこんなにいろいろモラウのか?アゲル人とモラウ人の関係。

うーむ。と思った。

北海道から出てどこかにいくたびに、必ず一度😎「何か買っていこうかな」と思う。空港でちょっとばかり見てみたりする。しかし何も買わずにそのまま飛行機に乗る。
毎回買わないなら、最初から思わなければいいのだが、ついあった方がいいかな?と思いつつ、そもそも人に何かをアゲルような心情に疎く・・・・人に声をかけるようなことも滅多にしない性格のため、コミットしきれない自分がいる。

これはアゲル話だが、今回書きたいのはモラウ話。


先月神戸で赤ワインをもらった。

もらう流れになったのはやむを得ないような事情だったけど、とにかくもらった。先月は別の方からキャンバスと画材道具をいくつかもらった。突然「いりますか?」と言われ、突然「いります」と答えた。

数日前久しぶりにメッセージを送ってくれた人がいて、曰く「近所に美味しいコーヒー屋ができたので☕️豆送りますよ」ということだった。それがヘッダの写真。なんと4種類も送られてきた。
すると今日の仕事が終わって、zoomの向こうで「肉🥩送ります」とか「米🌾送ります」とか言っている👩‍💻

そもそも3月に始めた【応援資金寄付サービス】は延べで30万を超えていて、最初その数字を見た時はたまげた😳コレ↓


どちらかといえばモラウことに遠慮がない方だ。

なのだが、考えてみると最近よくもらいまくっているな?などと思った。モノではなくアドバイスというような無形のものを含むと、ちょっとよくわからない数になる。

それでなんでこんな投稿を書いているのかというと、
もらったことに感謝がほぼ湧いてこない
からだ。

などというと、薄情かつ冷酷で無感情の傲慢かつ人間味の低い非人格者だ!とまで思う人も・・・・いるかもしれない?
ま、そこらへんのメカニズムがどうなっているか、正確に自分のことは把握している方だけど、説明すると長いし、そもそも説明したいわけでもないからごっそり省く。

それで、
感謝が湧いてこないからといってありがとうと思っていないわけでもないし、気にかけもしない無情というわけでもない。
「あげる方」も俺がそういう性質だということを知っているし、だから感謝されていい気分になるだとか、お返しをもらえるなどとは1ミリすら思っていない。

だとしても、
反応うっすいヤツにわざわざ何かをあげるなんて、普通に考えるとしない。
メッセージ送ってきて近所のコーヒーが美味しいから4種類も送り届けるなんて、少なくとも俺がやろうと思ったら気絶する。果てしなさすぎる。
なら、なんでそういう人たちはそんなことを(俺みたいな人に)するのかというと、別の人の言葉にヒントがあった。


その人は「ちょっと株で大儲けしそうかもしれない」という状態にあった。

今はわからないけど。
俗に「宝くじ当たったら何に使う?」という箸にも棒にもかからない質問があると思うが、その方は儲けの使い道をこんなふうに言った。

「私は人に何かをあげたいし、分け与えたい」
「この性質は変わらない」

あくまでそういう趣旨の内容で、言葉そのままではない。
なんだが、つまり、言いたいことは世の中にはそういう人がいるということ。

これがトラウマだとか、しょうもない虚栄心から出ているなら、俺はただただキモチワルイだけだが(でももらうけど)、どうも本心から本格的に本気で本当にそう思っている人はいる。
そこまでではなくても、美味しいコーヒーを飲んだ→豆送ろうと「ただ素直にそう思った→そうする」という人はいる。ヨコシマとかウラの目的があるのではなく。

それで、
ということは、
純粋にあげる人がいるなら、純粋にもらう人がいないと、物事は成り立たない。
プッシュがあるならプルがあってはじめて性質が通る。


で、思うんだけど、

アゲル人が特に気負うことなく普通に「送りますね〜」・・・終わり、となるように
モラウ側も多大な感謝を持つことなく普通に「もらった。ありがとう」・・・終わり、となる。そう。それが俺😎
いや、それが俺かわからんけど、常識的な考え方からすると不思議に思えることでも、それが成り立つから存在しているわけで、成り立つためには出し手と受け手のような、最低でも2種類の相互関係が必要なのだろう。

男女も、金銭のやり取りも、コミュニケーションもそういうふうにできている。

なので俺のスタンスは遠慮なくもらう。自分から催促することはあまりない。そこは性格だと思う。
俺にアゲル人は、俺の何かが良いと思っているからあげようとする。俺が嫌いな人が何かをあげようとはしない。でもその誰かも、別の誰かにはアゲルから、その別の誰かの何かがいいからアゲルのだろう。

ところでそんなモラウ俺にも「あげたい」と思うことがある。
それはどんな時か?そう、不要になった時だ・・・😑
今まさに、ドルチェグストで抽出したコーヒーがどうしても美味しくない。誰かにあげたい。大きいホワイトボードも誰かにあげたい。買ったヘアオイル、一度だけ使ってニオイが嫌いでもういらない→あげたい。

だが、アゲルというのは、俺のような人にとって相当手間がかかることで、打診して、調整して、梱包なり送付手続きをして、などがあからさまに面倒すぎて、仕事を含む全てのやる気がエナジードレインされてしまう。
無理だ。向いていなさすぎる。そこまでしてアゲルという行為そのものに踏み切れない。

そんな最近の悩み・・・悩むというほどには悩んではいない。早々に諦めている。



フォローやシェアをしていただけると嬉しいです。 よかったら下記ボタンからサポートもお願いします。 いただいたサポートは大切に松原靖樹の《心の栄養》に使わせていただきます!