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【コラム】メタ視点で見る「専門家選び」のポイント #045

どんなジャンルでも通用する、その道の専門家「選んでいい人・ダメな人」


■専門家を「お上」と崇める心理


日本だけの話ではなくて、どの国でも一定こういうのはある。例えば弁護士や株のトレーダーが偉そうな国、思いつくよな?
われわれの心理の中に専門家に対するバイアスがある。つまり「相手は上、自分は下」というヒエラルキーのことだ。無意識のスイッチがいつの間にか押されてしまう。

このバイアスから抜け出すために、こう想像してみてほしい。
自分があるいち分野のトップクラスの専門家だとしよう。仮に「威張る」ことができるのは何に対して、誰に対してだろう?考えてみてほしい。
答えは「自分の専門分野」と「その道の下の者」だけだ。
威張ること自体何かがおかしい(笑)が、自分が上であることを何かの証明に使えるのは同系列のルートしかない。例えばあなたはその道で知らない人がいない上級の和紙漉き職人だとしよう。発言力があるのは和紙職人の世界に対してだ。

こう聞くと当たり前のように聞こえる。
しかしまだバイアスは除かれていない。

もし和紙のことなどよく知らない素人の「お客」が、基本的なことも知らないだとか、基礎のことしか質問できないとする。どの分野でもそういうものだ。
さてあなたは、このど素人に対して自分が上であることを使って威張っていいだろうか?
残念なことに、多くの人が無意識に「よい」と思っている


■専門とは深める方向にベクトルが働く


内的な話を終わらせてしまおう。
職人の弟子という同じ分野ではなく、無関係の世界に住むその道の知識がない人であっても、われわれは「敬う」だとか「実績」だとかを誇示してへりくだる傾向がある。
知識や経験の上下ヒエラルキーが明白だからだ。

だとすれば、もしあなたは自分の専門分野においては威張ってよく、その他の下の立場であればいつでも喜んでへりくだるだろう。つまり日常の大半の場面でへりくだって生きているに違いない。
そう聞くと何やらおかしなことが起こっている・・・そう思えるのならバイアスは取り除かれつつある。自分がある専門分野の第一人者であっても無駄に威張ることがなければ、別の分野の上級者を前にしても無条件にへりくだることもない。つまり、これが当たり前の人間関係だ。当たり前ができている上級者は尊敬できるし、できていない第一人者は軽蔑される。
そうできている。技術や先駆者であるかで人は人を尊敬しない。

バイアスが取れたところで、専門家とは何か?をよく考えてみよう。

専門家は必ず専門分野に属する。専門分野というのはある体系の中のいちパートのことだ。ある体系というのは別の体系と区別されている「物事の相違」になる。例えば同じ科学でも生物学と宇宙物理学は違う。生物遺伝子学と遺伝子工学も似ているようで違う。
専門分野はその道の体系を確実なものにするために『物事を深める』という方向に向かう。分野がある時点で物事が定義されている。ここからここまでがあなたの牧場ですよと決まっている。あとは牧場運営を非常に良いものにするために働きかける。それが専門分野だ。

このため、多くの人がどれだけ深めているか、深いか、によって専門家やその専門家の診断なりアドバイス、治療なり構築を良いかどうか判断しようとする


■専門家はどこを向いて仕事をしているのか?


もちろん浅い専門職は信用ならない。これはどの分野でも決まっている。
しかし科学でも医学でも、スポーツでも職人でも深ければ深いほど良い専門家であると言い切ることはできない
分野によってはある一定のレベルを超えるとほぼ皆同じで差がつかないというものがある。特に技術においてよく見られる。和菓子職人の中には経歴15年と50年は全然違うという人がいるかもしれない。その道においては確かにそうかもしれない。しかし美味しい和菓子を食べようとする人にとってその違いは問題にならない。つまり選ぶ理由にならない。

専門家を利用する側にとって必要なことは、皆と同じケースに当てはめてもらうことではなく『自分の場合の成果がきちんと導けるか』だけにかかっている。
世界で著名な脳神経外科医に診てもらう必要はなく、自分のケースを最後まで治療し切れる人が良い専門家だ。

このことから専門家を見極める大きな条件のひとつは、

✅ パターン認識や当てはめ、モデルケースの扱いやこれまでの経験量との比較によって判断する専門家は信用に値しないことにある

つまりそれは、医者ならあなたを診ているのではなく過去のデータに向き合っているのであり、税理士なら顧客の帳簿に向き合うのではなく税務処理を向いている。ウエイターならあなたにサービスを提供しようとしているのではなく、早くオペレーションが回らないことを気にしている。
過去のデータが自分の症状に一致し、税務署から突っ込まれない仕事を完結させ、業務効率が良すぎる接客を受けたとしても、それはたまたまハマっただけだ。相手不在の仕事の成果がたまたま多くの人に一致するからといって良い専門家であるはずがない。経験年数があり、多くのお客から支持されている専門家にこそこういう傾向が見られる。


■「深く」ではなく「広く」


ではお客に向き合っていればいいのか、雛形に当てはめて判断しなければいいのか?というとイマイチ押しが弱い気がする。

専門家である以上、その道の「深さ」に精通していることは当たり前だ。当たり前だからこそ問題にならない。なるとしたら深くない場面だけだ。
一方、

✅ 個々人のケースや個々別々の仕事にゼロベースで取り組むことができるか

というのが専門家選びの極めて重要なポイントになる。
よく話を聞くとか、いちいち確認するとか「動作」に関係することもここに付随している。

つまりデータや経験に基づいて仕事をするのではなく、それは頭の片隅におきながらいちいち、ひとつひとつ、改めて全体像を把握するために確認をする。確認したことはすぐに答えを出さず(有力な候補があっても)このケースの場合本当にそうかどうかシミュレーションを繰り返す。例えば一見自分の専門分野に関係ない相手の日常生活や人間関係を知れば、また別の違った疑問なり答えの候補が出てくるかもしれない。
より包括的に、全体的に専門を部分として判断する振る舞いがあれば、その専門家はかなり信頼できる。少なくともケースとして当てはめているのではなく、個別に対応している。

個々別々に物事を進めるのは骨が折れる。平たく言うとめんどくさい。この面倒なことをいちいちやるのは、正確に、見逃しなく、自分と専門にプライドがあるからできることだ。
これがどのような分野であれ通用する専門職の見分け方になる。見極めるのは簡単ではないかも知れないけど、結局失敗して色々なものを台無しにするなら、最初からこの見方をしてみてもいいと思う。

自分自身も何かの分野に従事しているなら、そうできているかどうかを見つめ直した方がいい。この先何年後かにはデータに照らし合わせる判断はあなたよりもAIの方がよほど優れてできるようになるのだから。


行列の初期の頃から北村先生は好きでいる。
の、弁護士の選び方動画貼っておきます。



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