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わたしと写真--vol.2

今日はなんだか久しぶりのお天気で、ふと見上げたら桜のつぼみからひょいっと緑色の葉っぱの先っちょが見えていて、ああ、春だ、と思ったのだけれど、あいにくカメラを持っていなくて、せめてiPhone!と思ったらまさかのiPhoneのカメラが真っ暗、という謎の現象が起きて、結局写真には残せなかった。無念。

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さて、昨日の続き。

#もとくらの現像室  でオンラインインタビューをしてもらった話の続きを。

予め選んだ思い入れのある3枚について、1つ1つ、なぜそれを選んだのか、どうしてその写真を撮ろうと思ったのか、を紐解いていく形でインタビューをしてもらった。インタビュワーは、あおいろさん。

1枚目はこちら。


シンガポールの路地裏。the 観光スポットのモスクのすぐ横、ほんの1本道を入ったところで出会った、日常の光景。

もちろんこの前後でモスクの写真も撮ったし、トルコのきらめくランプや、色とりどりのタイルも撮ったのだけれど、この1枚はそれらの写真とはちょっと違って、「観光の写真」ではなく「ふと目にとまった撮りたい光景の写真」だった。

ここで質問が入る。

「日常の風景に惹かれたり、見落とさずにいたいと思うのは、なぜなんでしょう?」

ふむ。

ぐるぐると考えて、わたしの出した答えは2つ。

①生活の営みって、ささやかだけど愛おしさがあって、そういうのを大事にしたいなって思う

②メインでどーーーんっ!と目立つものよりも、さりげなくいい味だしているものに安心感とか親近感を感じる(戦隊もので言うと、レッドとかピンクより、ブルーやブラックに惹かれる感じ

そこにさらに質問が続く。

「そういう、目立たないものに目を向けていく、というのは、どういう風に形成されたんですか?」

ほう。考えたことなかった。が、考えてみた。

昔から、ささやかな幸せを見つけるのが好きだ。例えば、雨の日はあんまり好きじゃないけど水たまりに映った世界がきれいだからいいもの見れたな―、とか。今日は三日月が細くてきれいだなー、とか。心地よい風が吹いてるなあ、とか。だれもが気づけるけれど、多くの人が気づいていないかもしれないこと。そういう小さくてささやかな幸せを見つけると、なんかいいことあったなあとか、見つけた自分やっほい♪って、気持ちが上がる(単純)。わたし自身、あんまり最前列で目立つ存在ではなく、裏方で頑張るの好き、というタイプでもあるので、そういうのも影響しているのかもしれない。なるほどね。

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2枚目は、こちら。


FUJIFILMに出会って約半年、ずっと35㎜で撮ってきたのだけれど、景色や空も撮りたいしそろそろ広角も気になるなあ、と思い始めてビッグカメラに行ったところ、カメラコンシェルジュの明日香さんから「いや、今の菜生さんは90㎜だ!」というアドバイスをもらい、思い切って購入した90㎜で撮ったのが、この写真。

それまであまり人を撮ることはなかったのだけれど、こういう、撮られているって気づいてない時のふとした表情とか撮れるのいいなあ、と思ったきっかけになったのがこの1枚。

ちなみに90㎜はいろんな場面で活躍していて、すっかり気に入っている。明日香さんの見立てはさすがだ。カメラやレンズを買うならぜひご紹介します。

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3枚目。


弘前にある教会。

これを選んだのは、「レタッチっておもしろい」と思い始めた1枚だから。

これまでは結構撮って出しが多くて、使ってもスマホのVSCOぐらいだったのだけれど、Lightroomやレタッチの話を聞く機会が増え、ようやくMacにLightroomを落としてレタッチしたのがこの写真を含む弘前シリーズだった。レタッチをしながら自分のしっくりくる色味を探すというのは、すなわち、自分にとって世界はどう見えたのか、を探す作業でもある。まだまだ迷走しているけれど、わたしなりの”らしさ”を見つけていきたいと思う今日この頃。

なんてことを話していたら、もしかしたらわたし、転勤族だったこともあって、周りに自分を合わせることはわりと得意だけれど、半面、自分という軸を明確に持ったぶれない人に対してすごく憧れがあって、だから写真に”らしさ”を求めているのかもしれない、と思い立った。納得。

あおいろさんが「菜生さんの写真の中に、あたたかさの軸はしっかり写っている気がする」と言ってくれたのが、とっても嬉しかった。

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その後、話は「これから先のこと」へ。

今何を撮りたい?と聞かれてまっさきに出てきたのは「実家」だった。

わたしは転勤族なので生まれ育った家というものはないけれど、夏休みやお正月に帰るのは和歌山にある父方の祖母の家だ。今は両親もそこに住んでいる。江戸時代に建てられたというその家は築100年をゆうに超えていて、冬は外の気温より室内の温度のほうが低くて息が白く、夏は風が通り抜けて意外と涼しい、the 日本家屋。すごく好きなのだけれど、さすがにあちこちガタが来ているので、ちょっとずつ、リフォームしている真っただ中。

その家がすっかりきれいになってしまう前に、今の状態を撮り残しておきたいと思った。きっと普段住んでいる両親や祖母にとってみれば当たり前すぎてなんの新鮮さもないもの、たとえば冬に活躍する火鉢や、火縄銃やら綿の糸つむぎ機が出てくるような蔵や、なんなら軒下につるされた玉ねぎも、わたしにとっては新鮮で、古き良き生活を形作るもので、このままなくなってしまうには惜しいなと思うものたち。そういうものを、せめて写真という形で、残しておけたらいいなと思う。写真を撮りに、実家に帰る。それもなんだかよい帰省かもしれないと思った。


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そんなこんなで、インタビューを通じて、わたしやっぱりキラキラの写真よりもささやかな日々の写真を撮りたいんだと認識できた。

ここのところ、写真を撮ることにちょっとこなれてきて、「うまく撮りたい欲」が出てしまっていた気がする。もちろんそれは良い写真を撮るために必要な気持ちだと思うし、良い写真をとるためにはスキルも知識も必要だ。けれど、大前提として「この景色好きだなー」とか「この瞬間最高!」とか「この表情愛おしい」みたいな、そういう気持ちを大事にしたいなあと改めて思った。その中で、わたしらしさを見つけていきたい。

special thanks to:
タクロコマ
あおいろ

#もとくらの現像室 #エッセイ #写真 #旅しゃぶ更新部

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