権力と異動

 自分の住む自治体の首長はかなり長い期間在任している。選挙という民主主義を支える正当なシステムによって選ばれているのだから問題はない、と言えればよいが、なかなかそうはいかないのである。長く在任し続けるのはやはり問題である。

 よくある言説に「でも、あの人いい人だよ。」というものがある。すぐに思いつくツッコミとしては「いやいや政治は人柄でやるもんじゃないからさぁ…」というものだ。もちろんその通りだが、この発言にはもっと大きな問題が含まれていると思う。それは、思考停止に陥ってしまっていることである。新しい未来や理想の在り方を想像することこなく、現状を追認しているだけのことに何の疑問も持たなくなっているのである。こうやって思考停止に陥り、考えることを辞め始めると、批判的な思考が作動しなくなる。その結果、現状にフィットするような行動を取り始めてしまう。仮にその当人だけが現状追認だけで終わればまだマシだが、現状に反する行動を取る人を非難し始める人達が出てき始める。また、空気を読みたがる日本人だから、現状に反する行動を取る人は自然といなくなってしまう。出る杭は打たれる現象が静かに、自然と、見事な出来栄えで仕上がってしまうのである。真犯人は全員!というサスペンスドラマだと成立しないオチが現実世界に転がっているのである。

 他にも問題がある。それは「いい人(悪い人ではない人)」であるから、その周りにいる人達も決して「悪い人」ではないのである。さらにその「悪い人ではない人」の周りにさらに「悪い人ではない人」がくっついていく。個々人は良かれと思って自然な行動を取っているのであろうが、全体でみるとこの無限連鎖が長い時間をかけて編まれていき、気付けば皆と異なる行動を取る人が自然といなくなる。皆と異なる行動を取る人が”排除”という分かりやすい行為の犠牲になる場合もあれば、そのような悪気のない連鎖から自ら離れていくこともある。こうして長い期間をかけて編まれた無邪気な負の連鎖から良い結果が生まれることは期待できない。そのような組織が適正な組織運営を行えるはずがない。ただ、あまりにも長い期間かけてそのような状態を作り上げてしまっているので、それ以外の状態(無邪気な負の連鎖のない、一定期間ごとに新陳代謝が行われる状態)を、その組織の人間はもとより一般市民も知らないわけである。知らない以上は、現状の負の連鎖の状態に対して追認するしかないわけである。

 もちろん選挙においては無投票で再選しているわけではなく、対立候補もきちんといた上で行われているので問題はないだろうとの意見もあるだろう。だが、現職が落選する確率は非常に低い。もちろん選挙は利害関係者の組織票で動いているので思考停止ではなく、きちんとその利害関係者達の行動の結果だともいえそうである。しかし、そもそもその利害関係者達がたいていの場合に現職を当選させていることの証左ともいえるわけだし、また昨今の低投票率は国政選挙も地方選挙も共通しているのであるから、投票しなかった人達の行動は「どうせ投票したって変わらないでしょ。」という諦めや無関心の現れであるといえるわけで、現状追認や思考停止といった状態が生まれてしまっているといえる。

 では、たとえば2期8年間のような期間制限をすれば、自治体は良くなるのか!?といわれれば、それは分からない。ただ、少なくとも上記のような悪気のない人達が自然と結合していく負の連鎖はある程度抑制されるだろうし、一定期間で新しく変わることが前提となると、変わることを前提として人は行動せざるをえなくなる。その状態が良いかどうかは分からないし、また新たな衝突や課題が発生することもあるだろうが、少なくとも変わり続けることへの耐性は身につくはずである。毎日が同じように見えても、決して同じではないことは誰しも分かっている。”同じようだ”と”同じ”は似ていても異なる。その少しの違いが長い年月をかけて大きな違いに結びつくと思う。そのような市民体験を経た上で、”変化するよりもあまり変わらない方がいいよね!”という選択をすることは、それはそれで十分有りだと思う。

 ここで、グッとレベルが下がるが、自分はかなり長い期間同じ職場に在籍している。長い期間いると色々と知っていることも多くなるので、新しく異動してきた人よりも有利な立場にいるような気がする。もちろん横柄に振る舞っているつもりはないし、周りの人が何か忖度しているとも思わないが、ただ自然と楽なポジションにいることができているような気がする。そのように感じるたびに、人事異動の重要さが改めて分かる。自分は決してコミュニケーション能力の高い方ではないし、友人・知人も多い方ではない。そのため、異動後の職場で仕事はもちろん人に慣れるのにも時間がかかる。正直しんどいなと感じることの方が多い。ただ、これはあくまで個人的な事情である。人事異動によるこのようなしんどさは、裏を返せば人が謙虚になって気を引き締めるきっかけになると思える。組織全体でみたときはやはり人事異動で新陳代謝を図ることは重要だと改めて感じる。

 そんなことをあれこれ考えていると、前鳥取県知事だった片山善博さんがスパッと8年で辞められたことがとても印象深い。知事というポジションは地方自治体においては本当に権力の頂点にいるわけで、江戸時代でいえばお殿様である。ちょっとつぶやいた一言で家臣が右往左往するし、とんでもない金を自分の判断で動かすことができる。しょせん組織は人と金である。とてつもない力を握り、最高の風景を一人だけ特等席で見れるわけだから、そりゃ長居したくなる。人情としては分かる。ほとんどの人がそうだろう。だからこそ、期間限定にして、悪気のない人達の連鎖を抑制していく必要があるのである。そう思うと、片山善博さんという方はそのようなことを全て見通して2期8年で辞められたように思える。本物の政治家であり、真の賢人とはこのような人のことをいうのだろうと改めて思う。

 (今日はこの辺で)

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