観劇メモ キルミーアゲイン21

うのちゃんが出てたので鹿殺しのキルミーアゲイン21を観てきた。見た後の感覚をあんまり忘れたくないなと思ったので記録。

演劇をやるのが好きだった割に見る方にそこまで興味がなかったので、有名な劇団なんだけど、聞いたことあるなーくらい。うのちゃんが大きい舞台に立つのって嬉しいなと思うと同時に、実際見てしまったら結構悔しいと思うのかも、とか考えながら劇場へ。

見終わってからの感情は、思った以上に清々しくて、あーいいもの見たなという感じでした。
大方はドタバタ音楽劇って感じだけど、グッと迫るべきところの声量や勢いがしっかりあって、気持ちよく見れた。久々あんなでかい音聞いたけど笑、音がでかくて体の中の方にズシズシきて、迫り来るものから逃げられない感覚を体感した。

お芝居を書いてみたけど書き続けられなかった自分としては、そうなんだよな、空っぽになったら書けないよな、と思った。明日が見えない不安に勝てなかった、それでも戦おうと思えなかったことも、とてもよく自分と重なった。でもだからこそ、最後の方みんなが歌うシーンは、その恐怖と戦い続けた人にしか体感できない感情、感覚だよなぁと羨ましかった。
この怖さと高揚感を、連日やるなんて。大変なことだ。笑

学生演劇をやってた時、自分たちと同じような小劇場でやっている大人たちを、直視できないなぁと思ったことが何回かある。お芝居って全力でないはずのものを作り出すもので、大の大人が大真面目にわざとらしい芝居をしてる姿って、なかなか見てられない。子供のフリをする大人なんて、もーーすごい。まじで、、?ってなる。でもさ、ちゃんと劇場借りて、舞台作って上演してって、大人じゃないとできないから。
だからこそ大人が舞台でお芝居をするときは、やっぱり大人じゃないと描けない内容で、大人だからこそできる表現が見たい。

最後のほうきで殺陣をするシーンを見て浮かんだ言葉は「殺してしまいたいくらい、僕は不自由だ」。夢からも、人の死からも逃げきれない自分を、いっそ一回殺して欲しいということかなと思った。一回死んでリセットしたい。生まれ変わりたい。

夢を追うことは怖くて苦しいし、人の死に対して人は圧倒的に無力。変えたいと行動しても変わらないこともある。
最後にたにし座が壊されたのも、現実的でよかった。


いいものを見たと、清々しい気持ちだった。
私は今お芝居をしてないけど、私も面白い人間でいたい。今の仕事の中で経験できる最大限まで、表現に対する感度を磨きたいし、アウトプットの選択肢を増やしたい。
またうのちゃんと面白いことができるようになっておきたいと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?